おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『こども食堂を毎日やる理由』。
こども食堂「虎吉」は毎日開催していて、一時は1か月まるまる休みなしで開いてた時もあった。
さすがにそれは"死ぬな"と思ったので、今は週1回はお休みをいただいてる。
全国的にも毎日やってるこども食堂は珍しくて、だいたい月イチ開催とか、週イチ開催とか、開催と開催の間隔が空いてるところがほとんど。
理由は主に経済的なこと。
毎日やってたらお金がもたねえ…っていう。
だから「毎日やってる」と言うとよく驚かれる。
なんでわざわざそんな危険なマネをするのか?
そんなお話。
こどもたちがいつでも来られる場所にするため
オープンする前とオープンした後ではいろんな気持ちの変化はあるものの、ここは1ミリも変わってない。
オープン前
オープンする前にいろいろこども食堂について調べてみたところ、どうやら皆さん月イチとか週イチとか、わりと間隔を空けて開催してるところが多かった。
そこでこども食堂の意味について深く考える。
食べれないこどものためにやるんだとしたら、月に何回かの開催って意味あるんかな?
食べることは人間にとって不可欠なもの。
毎日食べて常に栄養を摂取していないと"死"に至る。
最悪、生き延びれたとしても確実に栄養失調にはなっていく。
週イチでもしっかり食べれるんだったら、全然マシだという考え方もできるけど、育ち盛りのこどもがそんなに食べれないのは将来的によろしくない。
…とか、オープン前はそんなことをツラツラ考えていた。
だとしたら、毎日開催してる方が「食べれないこども」にとっては嬉しいんじゃないのか?と。
たとえ家で満足に食べることができなくても、虎吉に来れば1食は確保できる。
それだけでも全然違うだろう、と。
毎日開催にすることでまわりの反対はあった。
そんなにやったら持たないぞ、と。
それも理解はできる。
でも僕の意見は違った。
毎日やらないと意味がない。
仮に満足に食べれないこどもがいるんだとしたら。
月イチとかの開催にしてしまった時に、じゃあその空白の時間をこどもたちはどうするんだ?と。
気が気でならない。
落ち着かない。
それなら毎日開催にした方が気持ちは落ち着く。
持つか持たないかはやってみないとわからないし、何がなんでも持たせてやる!って気概であふれてた。
ところが。
オープン後
いざオープンしてみると、食べれないこどもなんて全然いないでやんの。笑
2年やってるけど、いまだにひとりもお目にかかったことがない。
でもそこについてはまだ答えは出ていない。
たかだか2年だ。
まだわからない。
もしかしたら来てる子の中に食べれてない子もいるかもしれない。
でもそれをおいそれと口には出せない。
そんな子もいるかもしれない。
まぁ、たぶん今のところほぼいないだろうけど。
その事実はわりとすぐに判明したけど、とりあえず1年ぐらいは様子をみてみよう、ということになった。
もしかしたらまだ認知が広がってなくて、食べれないこどもに届いてないだけかもしれない。
スタイルさえ変えなければ、いつか届くかもしれない。
そんな思いもあり、毎日開催は貫こうと思った。
毎日開催の意味が変わった
2年目に入って毎日開催の意味が変わった。
おおよそ。食べれないこどもはいない。
つまり「食」の貧困はいない。
それもそのはずで、今は貧困家庭向けに自宅に食材が届くというサービスもある。
わざわざ足を運ばないといけないこども食堂なんかよりも、よっぽどそっちの方が都合がいい、と考える人は多いだろう。
なんせ、自宅に届けば気負いがなくなる。
人と人との距離が遠い現代、人と関わることが煩わしいと考える人も少なくない。
そんな人にとっては、こども食堂にお世話になることは、精神的な負担が大きい。
あいさつしに行ったり「何か持って行かなきゃ…」って気負いが生まれたり。
まわりの目も気になるところ。こども食堂=貧困というイメージはいまだに拭えないからだ。
僕の中での常識だと、それすらもどうかしてるぜ、って感じだけど、現実はさらに残酷だった。
親が来ねぇ。笑
今は別に親が来ようが来まいがどうでもよくなったけど、最初の頃は戸惑いが大きくてイライラしっぱなしだった。
しかもこどもたちに話を聞くと、家にごはんはある、と言うではないか。
そしたらナニかい?
タダやねんからべつに食べて来てもいいよ
的なアレかい?
ふざけんなよ
…ってな感じでイライラしっぱなしだった。
でも冷静になって考えたら、かわいそうなのはこどもたちだ。
こどもたちに罪はない。
そんな非常識な親のもとで育ったら、将来ロクな大人にならない。
今現在、中学生にそんなニオイをプンプンさせてるやつはたくさんいる。
コイツ将来大丈夫か…?と。
親が人間的にどうかしてる。
先生も人間的にどうかしてる。

家と学校以外で大人と関わる機会がないこどもたちにとって、虎吉の存在は非常に有り難い存在になるはず。
言い換えれば、こどもたちは家にも学校にも心が安らぐ場所がない。
学校や家で何か嫌なことがあった時、家にも学校にも居たくない時、虎吉に行けば愚痴を聞いてくれる。
心が安らぐ。
昔で言う「駆け込み寺」のような存在になれればいいな、と考えた。
じゃあ。
いざという時に開いてないってなると、こどもたちが逃げ場を失ってしまうことになる。
落ち込んだりした時はその一瞬一瞬が大事だ。
特にまだ精神的に未成熟なこどものうちは。
明日また…なんてわけにはいかない。
だからこそ、毎日開催には意味がある。
オープンしてから毎日開催の意味は大きく変わった。
いろんなものを収集するため
家にも学校にも心が安らぐ場所がない。
こどもたちは、家や学校で嫌なことがあると、虎吉に足を運んでいろんなことをしゃべってくれる。
それを知れたのも毎日開催にしてるおかげだった。
"いつでも開いてる"からこそ、こどもたちは「嫌なことあったからちょっと虎吉行って愚痴って発散しよう!」っていう考えが生まれる。
実際にそうやって愚痴ってくれた子がたくさんいて、いろんな情報が集まった。
学校のこと、親のこと、友達のこと。
こどもたちと関わる上で重要な情報を話してくれる。
これが月イチとか週イチとかの開催だったらこうはなってなかっただろう。
なぜなら、こどもたちとの信頼関係が築けないからだ。
毎日やることの真の意味はここにある。
こどもたちとの信頼関係を築くため
今の"こども食堂虎吉"のスタイルは、
こどもたちが友達同士で初めて来る
↓
最初はあんまりしゃべらない
↓
ひとりで来るようになる
↓
毎日来るようになる
↓
何でも話してくれるようになる
だいたいこのパターンが多くて、仲良くなる子は毎日じゃないにしろ、頻繁に顔をみせてくれる子だ。
虎吉の方針は「こちらから積極的に話しかけることはしない」。
自分自身がこどもの時、積極的に話しかけてくるような大人はどうもうさん臭くて好きになれなかった。
実際、そういう大人にはロクなやつがいなくて、ずいぶん傷ついたものだ。
それなら第一印象は悪いかもしれないけど、とりあえず最初は様子をみよう、という話になった。
かと言って初回からいきなり雑に扱うわけではなく、嫌な思いはしないようにある程度の配慮はしている。
だから最初はすごく無愛想にみえるかもしれない。
「なんじゃこいつ?」って思うやつもいるかもしれない。
でもそれでいい。
信頼関係を築くのは時間がかかるもの。
表面だけ取り繕ったところで何にもならないからね。
その程度でギャーギャー言うんだったら、その子との縁はしょせんその程度のものでしかなかったってこと。
相性が悪かったね。で終わり。
虎吉にはいろんな大人が来る。
世の中の辛酸をなめてきた大人ばっかりが。
だから「変な人」扱いされるような人が多いけど、彼らは人一倍優しい。
そして簡単にこどもたちの懐に飛び込めて、こどもの立場に立って考えれる、ホントの意味での大人だ。
そんな大人とふれあうことで、世の中の広さを知ることができる。ホンモノの優しさにふれることができる。
こどもの頃に通ってた虎吉の経験が大人になった時に絶対に役に立つはずだ。
こどもたちと信頼関係を築くためには「毎日開催」が必須。
こどもの頃の自分が欲しかった場所にしたい
さっきチラッと言ったけど、自分がこどもの頃には家や学校以外で大人と関わる機会なんてほとんどなかった。
もっといろんな大人とふれあっていろんな世界を知ってたら、人生はもっと違う形になってたのかなぁ…なんて思うこともある。
かと言って今の人生に不満があるわけじゃない。
むしろいろいろあったからこそ今がある。
やり直したいなんて1ミリも思わない。
だけど、こどもの頃の自分のことを振り返ってみると、あまりにも不憫でならない。笑
たとえば今自分の前に過去の自分が現れたとしたら、思いっきり抱きしめてあげたいもの。
「よく頑張ってるね」
と。
そんな過去の自分が「こういう場所があったら嬉しいだろうなぁ…」というのをイメージしてやってる。
そのイメージだと、毎日やっていて気のいいおじさんが温かく迎えてくれてただただ何も言わず話を聞いてくれる。
今の自分が果たしてそれができてるのかはまだ答えが出ていない。
数年先にやっと答えが出る。
もしかしたら出ないかもしれない。
答えなんてないのかもしれない。
それでもいい。
思い描く理想は、虎吉に通ってるこどもたちが成長して大人になった時、こども食堂に通ってたことを思い出して顔をみせに来てくれること。
それが虎吉流の「答え」だ。
いつになるかはわからないけど、その答えにたどり着くまでは頑張ろうと思う。
ご清聴ありがとうございました。


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