おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『時代劇から学ぶ現代の生き方』。
現代は生きにくい。
そう感じてる人が多いのではなかろうか。
何か面白いことをしようと思っても、やれコンプラだなんだと騒ぎ立てられる。
タバコが法律で禁止されてるわけでもないのに喫煙者は肩身が狭い。
アホが騒いで、それに応じる形でアホみたいなルールができる。
自由とは程遠い現代の空気感。
いったいどないしたらええねん??
そんなことを考えながら時代劇をみてたら、現代の生き方のヒントが転がってた。
そんなお話。
時代劇に共通する不思議な法則
時代劇をみてると、作品の年代、監督、脚本、演出、出演者、全部違うのにいくつも共通点がある、という不思議な現象が起こってる。
ひとつは、ほぼ全員がものすごく気が短いところ。
やれ切腹だの仇討ちだの。
気に入らないことがあればすぐ命を絶とうとする。
しかもその「気に入らないこと」が真実かどうかを確かめることもしないで。
ウワサみたいなものを信じ込んでるだけでとか、すごい短絡的。
時代劇はたくさんあれど、だいたい気が短い人ばっかり。特に名高い大名の人なんかはもーお短絡的過ぎて「おまえよーそんなんで人の上に立ってるな」という人ばかり。
そんなにあせらなくても大丈夫なのに。
ふたつめは、気が小さい人ばかり。
いろんなものに怯えてる感じがする。
気が小さいから気が短くなるのかもしれない。
名高い大名が自分の家来にすら怯えていて、すぐに「ええい!やかましい!」とか怒号が響くシーンをよくみる。そしてその怒られた家来が切腹を命じられたり。
めっちゃビビってるやん。笑
歴史的には名高いはずの大名の人がすんごい気が小さくて「おまえよーそんなんでその地位に行けたな」って人ばっかり。
みっつめは、人よりも家が大事なところ。
みんながみんな、家の権力とか名誉のために命をも投げ出そうとする。
殿様よりも「家」の方が大事っぽい。
家を守るために切腹したりとか。
家を守るために刺客やスパイを送り込んだり、あれこれ策を講じたり。
「家」という形のないものがいちばん大事なもので、人なんて二の次三の次だ。
家が大名家とか権力がデカイような家だと、その権力を笠に着てやたら偉そうに振る舞う。
「お殿様のおなーりー」的な。
でもいつその権力と名誉を奪われるかわからないから常に疑心暗鬼で、ビクビクしてるような印象を受ける。
これが気が小さくて気が短いことの根源。
ほんでもって男尊女卑が当然の文化なので、家を継ぐのは絶対的に男性。
女性は跡継ぎを産むための道具みたいな扱いになってて、それを本人たちもまわりの人たちも承知の上で「そういうものだ」と、半ばあきらめのようなものもみえる。
あきらめてるのか、そう信じ込んでいるのか。
そんなに深いところまで演出があるのかはわからない。
でもいろんな時代劇でそういう現象が起こってるのは事実。
法律もそう。
時代劇では現代のような細かい法律が整備されてる舞台ではないけど、法律を守らないと自身の命が危ない。すぐ切り捨てられる。
だからみんなある意味では現代よりもはるかに法律を守ろうと必死だ。
さらに時代劇で怖いのはまわりの人たちによる「同調圧力」だ。
ちょっとでも皆と違うことをしようもんならすぐに弾かれて仲間はずれにされてしまう。
村八分というやつだ。
時にそれは社会的な「死」を意味するので、そうならないようにみんなの意見に従わざるを得ない。
他にも細かいところはたくさんあるけど、どの時代劇でもだいたい共通してる点。
時代劇をみるかぎり、昔の人は総じて窮屈すぎて生きにくそう。
全然楽しくなさそう。
自由なんて程遠い。
作品を盛り上げるための演出っていうだけなのかもしれない。
…にしてもだ。
細かいところで差はあれど、こんなにも共通点があって、同じような感じに仕上がってるっていうことはやっぱり昔の人は全体的にそんな感じの人が多かったのか?
と思わざるを得ない。
現代と時代劇の共通点
よく考えたら時代劇は画面の中だけの出来事じゃなく、現代でも同じことが起きてることに気づいた。
気が短くて気が小さい人なんてたくさんいる。
特に高齢の方の多くは時代劇でみるような人の特徴そのもの。
すっげえ偉そうにしてるし。
関西のオッサンは関東の人間のことを忌み嫌ったりとか。
さすがに「家」を話題に持ち出す人はそんなにいないけど、一部にはまだそんなことを言ってる人もいて、完全にいなくなったわけじゃない。「○○家の跡継ぎだ」とか。そんなこと考えてるやつおるん?笑
時代劇で言う「家」が、何か別のものにすり替わった。
でもそれが肩書きだったり権力だったりするので、実体のないものという点は同じ。
時代劇とさほど変わらず、肩書きや権力を武器にして人を蔑んだり弄んだりしてる人はたくさんいらっしゃる。
現代は法律も昔より細かく規制されて、警察もちゃんと配置されていて、昔のように簡単に命を奪われることはなくなった。
だけど「同調圧力」はむしろ昔よりもキツくなってるのではないか?と思う。
防犯カメラで常にあらゆるところで監視されてる。
スマホでいつでもどこでも写真や動画が撮影できる。
撮影したものをSNSでいつでも世界中に発信できる。
LINEのグループチャットみたいな閉ざされた空間で意見の交換をしたり写真や動画を晒したりすることも一瞬でできるので、そういう意味では同調圧力が昔よりもはるかに強く、そして陰湿だ。
時代も使ってる物も違うけど、本質的なところは何も変わってない。
とあるユーチューバーの言葉を借りるけど、
歴史は韻を踏む
現代も時代劇も大して変わらず、皆さん窮屈で生きにくそうだ。
現代をどう生きるか?
同調圧力、法律、権力や肩書き、いろんなものに縛られて生きる現代人と時代劇の人々。
時代劇から学べることは「いかに自分の思いや考えてることを主張できるか?」だ。
それができてないからみんな苦しいんだ。
同調圧力から逃れようと思ったら村八分に遭う。
法律を守ることも大切なことだけど、法律では守り切れないものもある。
そんな時に大切なのは「どうやったら守れるか?」を自分なりに考えることだ。
ヘタすると社会的に殺されてしまう可能性だってある。
肩書きとか権力を失うこと可能性もある。
それを押しのけてでも自分を出す覚悟を持てるか?
いろんな人に嫌われる覚悟があるか?
そこが分かれ道。
その点。
僕はそんなもの関係なく自由に楽しく生きれてる方だと思う。
反面。
ある方面からはすこぶる嫌われている。
嫌われたっていい。自分を押し殺して生きて好かれたって何も面白くない。
ワクワクしない。ドキドキしない。
しょせん人間は万人から好かれるなんてことはない。
じゃあ別に自分のやりたいようにやって嫌われてやる。
肩書きなんていらない。権力もいらない。
そんな覚悟で生きてる。
そんな感じで生きてたら、一部の人たちにはすこぶる愛されるようになった。
その一部の人たちがあまりにもマイノリティすぎて時々ちょっと悲しくなることはあるけど。笑
世間ではいわゆる『変な人』と呼ばれる人たちだ。
その変な人たちの共通点はアホみたいに強い信念を持ってること。
自分がこうだと思ったものは絶対に曲げない。
かといってガンコというわけではなく、自分が信じた人の意見だったら素直に聞くという柔軟性も併せ持ってる。
だからこそ変な人と言われる。
そして僕自身も、もれなくその枠に入っており、よく「変な人」と言われる。
元々そんなふうに言われてたけど、虎吉を始めてからはより一層それが濃くなった。
そんでもって変な人代表みたいな若女将が虎吉に入ってからは、もう極まってしまった感じ。
ふたり揃って嫌われることもたくさんある。#ご近所のママさんから嫌われてるらしい
それでも。自分で言うのもなんだけど、人生はすごく楽しめていると思う。
波長の合う変な人ばっかりが集まってくるから、自分の素を出せてワチャワチャできてる。
僕にとってそれは何物にも代えがたい幸せな時間だ。
こんな窮屈な現代でも楽しく生きようと思えば楽しく生きれる。
人間はそれぞれ個性がある。
小学校から、たまたま同じ年に生まれた人とムリヤリ同じ箱に詰め込まれてムリヤリ同じ時間を過ごす。
それは人間社会で生きていくための"協調性"を養うための訓練にはもってこいだ。
一方で「みんな同じでなきゃいけない」という同調圧力にもまれることで、その子の個性を失うという危険も孕んでる。
そんな中でどうやって自分らしさを保ったまま成長できるか?
それは、自分の中で「これだ!」っていうものに出会うこと。
それさえみつかれば、何があってもそれしかみえなくなる。まわりがどうとか、関係なくなる。
そのためにはひたすら自分と向き合って「おれは何がしたい?何が好きなんだ?」と自分自身に問いかけること。
自分から逃げないこと。
まわりの人間ができることは「自分の好きなように生きろ」と背中を押してあげること。
しんどいこともたくさんある。
ツラいこともたくさんある。
「みんなと同じ」ではいられなくなるから、いろんな人に嫌われるし、恥をかくこともたくさんある。
だから自分のやりたいことをあきらめて、なんとなくみんなと同じ方向に進んでいっちゃう。
その結果、心の底から大笑いできることが少なくなってしまう。
さて。
あなたはどうする?
ご清聴ありがとうございました。



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