おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『「人間こうなったら終わり」って教えてくれた人を断捨離』。
警察沙汰の動画が思いのほか大バズりしてから3ヶ月。#これ書いてる時点
その期間、例のジジイは虎吉には顔を出していない。#1回だけ
おかげさまですごく穏やかな日常を送れてるし、頭の中がだいぶ整理できた。
過去を無きものにはできないけど、あの警察沙汰のことや性被害のことはすごくいい経験になったし「こうなったら人間は終わりだな」というのを間近でみれたのは僕の人生の中ではすごくプラスになった。
本気で殺してやりたいって思ったのも人生で初めてだったし、人間の深みが増したな、と思えるのはあのジジイのおかげと考えることもできるから、それはそれでいいことだな、と思う。
どんなに悪いことでも、どこかにいいことがあるはずだと思わないと人生は損をする。
そんなことも学んだ。
ほら。
学びばっかり。
いろんな人に見捨てられる人間
ジジイと出会ってから約15年。
3ヶ月も顔をみないことがなかった。
ずっとあんな調子で自分の気に入らないことがあったら何かと脅してくるので、来る日も来る日も恐怖に怯えてた。#さっさと去ればよかった
その恐怖はいまだに少しはある。
何か卑劣な手を使ってまた僕を貶めようとしてくるんじゃないか、と。
何か企んでるんじゃなかろうか、と。
反面、あれだけ臆病な性格だから何もできないだろうな、と思ったりもする。
なんせ、いろんな人があの動画をみてくれて、たくさん応援する声をいただいて「僕は間違ってなかったんだ」と心の底から思うことができたし、やっと呪縛から解放されたから。
中には批判する声もあったけど、それは僕のあの時の行動に対してのもので、決して僕自身を批判するものじゃなかった。
多かったのは「こどもの前でやることじゃない」とか「大の大人がこどもの前で大声で恥ずかしい」とかそういう類のもの。
でもそういう類の批判なんかは予想の範疇なので、特に問題はなっすぃんぐ。
ハナからそれを狙ったもので「それでいろんな人がみてくれたらいいな」なんて考えてたけど、思ったよりもはるかに大バズりしてくれたので、みてくれた人の数は計り知れない。
おそらくだけど、ジジイの家族とか知人とかにも届いたものと思われる。
それを確信した出来事があった。
あの動画を公開してから2ヶ月ほど経った頃、ジジイのお孫さんから突然DMが届いた。
長文の謝罪だった。
「うちのおじいちゃんが申し訳ないことをしてすみませんでした。おばあちゃん(ジジイの嫁)にもずっとあんな感じでした。私も髪の毛を引っ張られたりしたことがあったので100%おじいちゃんが悪いと思います。」
的な内容だった。
そのDMを送ってくれた日のうちに、お孫さんが直接お店に来てくれた。
おそらくだけど、直接謝りに来てくれたんじゃないかな、と。
その時、ちょうど他にもお客さんがいて、しかもかなり酔っ払った状態だったので、ゆっくり話をすることもできず、直接謝ってきたわけではないけど、タイミング的にそうとしか考えられない。
お孫さんが帰った後、DMに「今日は話できなかったけどゆっくり話したいからまたおいで」と返信した。
だけど、その後お孫さんはまだ来ていない。
なんか変だなーと思っていた。
これを書くにあたり、あその内容を改めてみようと思ったら、DMが削除されてた。
推測だけど、ジジイから圧力がかかったんじゃないかなーと。
これ以上あの店に関わるな、と。
これ以上恥さらしなことをしてくれるな、と。
あくまでこれは勝手な憶測にすぎない。
だけど、可能性はじゅうぶん考えられる。
お孫さんが虎吉のアカウントをフォローしてくれてたのかはわからない。
だけど、ホントにいろんな人がみてくれてて、Uber Eatsの配達員の人が「今日朝オススメで回って来たのであの動画みました」と言ってくれた人が何人もいた。
それぐらい反響があった動画だ。
お孫さんが虎吉をフォローしてなかったとしても、オススメで勝手に流れてきたというのはじゅうぶん考えられる。
だとするとこれはもう確実にジジイの家族や知人にも届いてるだろう。
そしてあのジジイのことだから、これ以上恥を晒してくれるなとかふざけた圧をかけてるかもしれない。
もしくはジジイの家族が危機を感じてお孫さんに対して圧をかけた可能性もある。
何にしても、お孫さんがあれ以来虎吉に来てないこと、DMが削除されてること、世間的に圧倒的に批判されてることとかを鑑みるとそんなことも考えられる。
僕が身内だったら「もう二度と外に出歩くな」と言うと思う。
あんな醜態を晒した人間が身内だと思われたら恥ずかしくてしかたない。
そんな理由から親戚関係に圧をかけられてる可能性もある。
ただ単にお孫さんに嫌われた、という可能性も否めないけど。
だとしたらあの長文のDMの説明がつかない。
真相は闇の中。
自分に「軸」がない人間
ジジイと長期間関わってたことで得たいちばん大きな学びは「自分の軸がない人間は面白くない」ということ。
ジジイには「自分の軸」がない。
生きていく上での信念みたいなものかな。
自分の軸がないから他人の評価とかに影響されてしまって意見や考え方がコロコロ変わってしまう。
名誉とか権力ばかりを追い求めてる人間がそれに陥りやすくて、ジジイはまさにその典型だった。
名誉も権力も他人がいてこそのもので、自分だけでどうにかなるものじゃない。そんなものに執着してる人間に面白い人はいない。#経験上
名誉は自分以外の人間が決めるもの。
例えば「総理大臣賞」みたいな。
ジジイはそういうのが大好きだった。
印象に残ってるのは「叙勲」というものにすごく執着してたこと。
叙勲・・・国家や社会に対して長年にわたり功労や顕著な功績を挙げた人に対し、国が勲章を授与する栄典制度
他にも厚生労働大臣賞みたいなものをやたら自慢してたこととか。
とにかくそういう「国とか公的な機関から表彰されるもの」にものすごく執着してた。
僕自身はそういったものにまったく興味がないので、意味がわからなかった。
権力は自分よりも身分の低い人間に対して使うもの。
つまり、仮に自分ひとりだけだったら権力なんかあっても何の意味も持たない。
ジジイは権力も大好きだった。
ことある毎に「業界の首領(ドン)」であることを自慢してた。
よく言ってた言葉が「おれを何様だと思ってるんだ」とか「無礼者」とか。
時代劇でもない限り、そんな言葉を生で聞く機会ないよね。
初めて聞いた時は目が飛び出るかと思った。
とにかく偉そうに振る舞うことが多かった。
よく飲みに行くことがあったんだけど、お店の人に対してもすごい横柄な態度で「おい」とかアゴで呼んだりしてた。
「すいませーん」って口で言えばいいのに。
なんで謝らなアカンねん、とか言って絶対それは口に出さなかったな。
それを横でみてるこっちが恥ずかしかった。
そんなことしても誰も気持ちよくないやん。気持ちいいのおまえだけやん。
自分より下だとみた人間に対してはとにかく偉そうに振舞ってた反面、自分よりも上だとみた人間に対しては「コントかな?」って思うぐらいへりくだってた。
あからさますぎて笑けてくる。
こんなにもわかりやすいのはドラマとかでもあんまりみない。
とにかく考え方が昭和を通り越してもはや江戸。
家父長制の時代のそれだ。
肩書とかも大好きだった。
「○○大卒」とか「一流企業に就職した」とかそういうことをよく口にしてた。
いつまでそんな半世紀も前の過去の栄光にすがりついてるんだろう。
「○○大卒のクセに誰にものぬかしてんねん」とかよく言ってたな。
大切なのは"今から"何をするかだろう。
過去ばっかりみていた人だった。
考えたら「権力」も「名誉」も過去の功績によるものだな。
だからなのか。
恩着せがましさも超一流。
ことある毎に「〇〇してやった」とか「あいつが今あるのはおれのおかげ」とか、超絶上から目線だった。
感謝されたくてたまらなかったんだろうな。
そこにも自分の軸がない。
自分に軸があったら他人がどうなろうが知ったこっちゃない。
自分のやったことで他人が変われたとしても「よかったやん」で済む。
むしろそこから変わったのなら、それはその人がそこにまい進した"努力"のおかげだろう。
自分が変えてやったなんて厚かましいにもほどがある。
そんなんだから家族とか身内に対しては傍若無人っぷりがすごかった。
僕に対してもそうだった。
「何様じゃゴルァ」って心の中で何回思ったことか。
それが積もり積もって爆発したからあの警察沙汰の動画が生まれた。
感謝しなきゃ。
自分に自信がないから、自分に軸がないから偉そうに振舞ってないと自分を保てない。
自分は優れているんだ、特別な人間なんだ。
そう思いたいから人の話なんか聞きやしない。
家族や友人の話すらも。
ジジイが友人だと紹介してくれた人とのやり取りをみても、およそ友人とは言い難い振る舞いだった。
なんか政治家と政治家の対談をみてるみたいに、表面を取り繕ってるだけの関係にしかみえなくてすごく気持ち悪かった。
高校時代の同級生に対してですらそうだった。
昔は「神童」って呼ばれてた、とジジイは自分で言ってたから、おそらくその時にまわりの人間から脚光を浴びることに全振りしてしまったんだろう。
ジジイは話を盛るクセがあるから神童って呼ばれてたのも怪しいけど。
心の底から「こうはなりたくないな」と思った。
感謝はするけど尊敬はできない人間
ジジイから学んだことは「自分を受け入れることでまわりの人間が助けてくれる」ということ。
ジジイは真逆だった。
自分を受け入れないから、何か悪いことが起きても自分のせいだと認めない。良いことが起きたらそれはすべて自分の手柄にしてしまう。
ジジイがやってることの真逆を選んだら人間的に成長するんだ、という考えが生まれた。
悪いことが起きたら、仮にどこを探しても自分に非がなかったとしても、どこかに自分の責任はあるはず。そう考えることで自分が成長するきっかけが生まれる。
良いことが起きたら、仮にどこを探しても自分にしか手柄がなかったとしても、どこかでは人の助けをもらってるはず。そこには感謝が生まれて、人との関係が良くなっていく。
ジジイは完全に真逆だったからいろんな人が離れていった。
「最愛の弟子」とか公言してた僕ですら大切に扱われたという感じはしなかった。
どこまで行っても「自分」の名誉とか権力だけしかみえてなかったんだろうな。
そんな人間には何の価値も感じない。
世話になったことは確かにある。
学ばせてもらったこともたくさんある。
そこには感謝してる。
それは今も変わらない。
だけどだからと言って何でもしていいことにはならない。尊敬なんか到底できない。
もう80歳を超えた今、ジジイの人間性が変わるとも思えない。
散々変わることを期待してきてダメだったから。
万が一、今さら変わろうとしてももう遅い。
それを僕が信用できるまでには何年もかかる。
心の傷はなかなか癒えるものじゃないから、たぶん10年以上はかかるだろうな。
そんなに待つ気もない。
これからは自分と自分を大切にしてくれる人だけを大事にして生きていきたい。
そう思えたのもたぶんこういう人間と出会って長い間関わってきたからなのかもしれない。
二度と会うことはない。会いたくもない。
ありがとう。
さようなら。
ご清聴ありがとうございました。



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