子育てでいちばん大事なのは「見極める」ことだけどそれがいちばん難しい:こども食堂店主のひとりごと

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torakchi

こども食堂【虎吉】店主。整体師。音楽家。水墨画家。バツ3。元女性風俗セラピスト。元PA(音響)。

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子育て

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『子育てでいちばん大事なのは「見極める」ことだけどそれがいちばん難しい』。

 

「子育て」にはいろいろ段階があるけど、今ここで話題の中心になるのは中学生あたり。

一般的にはいちばん難しいと言われるお年頃。反抗期とかもちょうどそこらへん。

見極めることができていれば反抗期とかも避けれるので、目ん玉かっぽじって読んでもろて。

 

とある中学生と一緒に音楽活動をしたけど、いろいろあって頓挫して学んだことがたくさんあった。

頓挫した原因は「そもそも活動を始める前にいろいろ見極めて確認しときゃこんなことにはならなかったよね」っていう、大人の僕の読みの甘さ。

彼自身に問題がないわけじゃない。

でもまだ10年そこそこしか生きてなくて、世界を何も知らない未成熟な人間。

それをちゃんと導くことができるかどうかは関わる大人にかかってくる。

 

要するにちゃんと「見極める」ことができてなかったっていう、自分の至らなさが原因だった。

そしてそれこそが子育てにも通ずることだな、と思って筆をとった次第でござる。

 

見極めれなかったのは彼の「本気度」。

いちばん大事なところ。他はまぁいろいろみれてたんじゃないかなと思う。

 

この「本気度」というのは、物事に対してどこまで覚悟を持って挑めるかっていうこと。

子育てにも通ずるものがある。

ここは何をするにしてもいちばん大事なところで、見誤るとすべてが崩れていく。

 

音楽を本気でやる、というのは並大抵のことではできない。

自分の実力を伸ばすために練習をすること。

曲作りをするための知識を勉強すること。

曲作りのためにいろんな音楽を聴くこと。

どうやって自分をいろんな人に聴いてもらうかを考えること、そのための勉強もしないといけない。

自分のまわりのいろんな人間とコミュニケーションをとってお世話にならないと音楽はできないので、人間力も磨かないといけない。

 

そんなことを24時間考えることが大前提。大前提なので、息をするようにできてないと先はない。それすらできないようではもう何やっても無理。

 

そこからさらに自分の生活のこともある。

学生だから学校も行かないといけない。

人間力を磨かないといけないのでプライベートでの関わりも蔑ろにするわけにはいかない。

こりゃ大変。

とにかく時間がいくらあっても足りないぐらい、やることがたくさんある。

 

だけど本気でやるやつは何がなんでもやろうとする。

これは音楽だけじゃなく何にでも言えること。

スポーツでもいい。料理でもいい。はたまたゲームでもいい。

医者になるでもいい。

何かを仕事にするっていうのはそれだけ人の何倍もやらないと達成できない。

中学生の時点でそこまで本気になれる人間はそうそういない……っていうのが一般的な考え方だとは思う。

だけど僕が昔ライブハウスで働いてた時、そこには主に音楽が好きな高校生の少年少女が集まっていて、中には高校1年生の時から本気でプロを目指して目をギラギラさせて、実際にメジャーデビューした子もいたりした。

だから中学生だとて本気でやろうとするやつがいるのは当たり前、という感覚はある。

彼もそんな、高い志を持っていると思ってた。

 

その理由は、今この何も知らない真っ新な状態でラップがかなり上手かったのと、並々ならぬヒップホップの知識があったこと。

今の時代はネットで検索すれば簡単に情報は手に入るけど、それでも自分から堀りに行かないと細かいところまでは手が届かない。

そこにヒップホップに対する熱い情熱を感じた。

 

けど現実は違った。

 

ヒップホップに対する情熱はあったものの、残念ながら彼には「根性」がなかったのだ。

 

根性がなければ、音楽をやる上での地道な積み重ねはできない。

 

事実、彼は僕が課した「課題」を全然やらなかった。期限を決めても連絡もなく、遊びまくっていた。

遊ぶのは別にかまわない。

やることさえちゃんとやっていれば、他のことはどうだっていい。

むしろいろんな世界を知るためには遊ぶことも必要なこと。

 

約束もほとんど守らなかった。

何回も期限を守らなかったことに業を煮やした僕は「音楽を辞めるか遊ぶのを辞めるかどっちか自分で決めろ」と言って、断腸の思いで彼の行動を制限した。

 

それでも彼は遊んでいた。

そんなシンプルな決めごとすらできないのであれば、この先いろんな人が関わっていくことになった時に要らぬ心配をしなくちゃいけなくなるし、場合によってはとんでもない迷惑がかかることもある。

こういうことは、音楽とか関係ないところの話。

人との約束とか期限とか、人間関係の中ですごく大切なこと。

仕事だけじゃなく遊びでもそう。

その程度の約束が守れないならもうその人と関わるのはやめよう、という気になってしまう。

 

そしてその懸念は見事に的中した。

東京のボイトレの先生がわざわざ会いに来てくれてるのに、その約束をすっぽかして逃げた。

 

ボイトレの先生は日本国民なら誰もが知ってるような大手のレコード会社に所属していて、事前にそれを教えていたので、そこに怖気づいたのかもしれない。

 

…だとすると、とんでもねぇ根性なしのチキン野郎だ。

まぁ怖気づいたのかどうかはあくまでも僕の臆測にすぎないけれども。

 

だけど、根性がなかったのは憶測でも何でもなく、間違いなく事実だった。行動がそれを表してしまっている。#キンタマついてんのか

いろんなことが重なって、彼に対する信用が崩れた。

これだけを聞くと「中学生に対してそこまでしなくても…」という声が聞こえてきそうだけど、そこは僕自身も考慮してそういう話もした。

「音楽に関することは、もう中学生としてみないぞ。ひとりのアーティストとして接するぞ。」「それとも中学生としてみるか、どっちがいい?」と聞いた。

そしたら彼は「アーティストとしてみてくれ」と言った。

それが虚勢だったのか、本気だったのか。事実はいまだに闇の中。

 

いろんな話をした上で、連続して盛大にアホなことをしてしまった。

大人ならもう一緒にやっていくことはナシだ。

たとえ高校生でもムリだ。一瞬で切られる。社会ってそういうものだ。

これは音楽だけじゃなく、どんな仕事でもそう。アルバイトでも同じだ。

 

現状のまま一緒にやっていくことはかなり難しいと考えて、すべてを白紙にした。

 

それも元をたどればすべては僕の責任だ、っていうのがこの話の真実。

 

僕の役割は先輩として彼を音楽の世界に導くこと。

 

ヒップホップに対する情熱があるのは素晴らしいこと。

それを増幅させられるかどうかは教える側の問題だ。

 

今だからこそ冷静にあの時の自分を省みることができる。

 

情熱を増幅させるためには「根性」が必須。

 

あの始めた時点では情熱はあったものの、それを増幅させるための「根性」があったかどうかは未知数だった。

 

あるかもしれないし、ないかもしれない。

そこを見極めることができてなかった。

 

もし今あの頃の自分にアドバイスができるとしたら、僕が言うことはただひとつ。

 

『声をかけるのはいいけど、温かく見守っていろいろ細部まで見極めろ』

 

あの時の僕は「情熱があれば同時に根性も同居してるものだ」と思ってしまった。

根性がないなんてことはまずないだろうと思い込んでしまっていたのだ。

根性がないなんてありえない。たぶんそんな感じに高を括ってしまってたんだろう。

 

それが甘かった。

もっといろんな可能性を考慮して、根性があるかどうかとかも見極めていればもうちょっと違った結果になったかもしれない。

 

それに気づいたのは、白紙に戻してしばらく経ってから。

 

なぜもっとちゃんと見ようとしなかったんだろう?と。

 

その原因のひとつに、僕自身が「一緒に活動している」という感覚になってたこと。

 

それはそれで何も間違ってはいない。

 

何よりも僕自身が彼のファンで、彼の魅力に惹かれた人間のひとりだ。

 

何とかして彼を押し上げたい。彼の名前を、声を、世界観をいろんな人に届けたい。

 

そんな気持ちが先行して焦ってしまった、というのもある。

 

だから冷静になり切れなかった。

 

根性というものが生まれついて持ってるものなのか、後天的にも持てるものなのかはわからない。

 

僕自身は自分で言うのもなんだけど根性はわりとある方だと思う。

 

幼少期からやりたいことがあれば、何がなんでも食らいついていくという性格で、大人になった今でもそれは変わらない。

 

だから彼のように「やりたいことが明確になってて、環境も整ってるのにやらない」という行動の意味がわからなかった。

 

「やらない」の内訳には、たぶん"臆している"があったように思う。

 

「日本のヒップホップはカッコ悪い」という話をよくしていたから、ヒップホップにこだわるんじゃなくて新しいジャンルを作ればいい、と話したことがある。

 

それに対して彼は「おぉ!それめっちゃカッコイイやん!」とノリノリで乗っかってくると思った。

 

だけど、違った。

 

彼は明らかにビビっていた。

 

そのビビっていたことに当時は「ん?」ってわずかな違和感は覚えたものの、さほど問題にはしてなかった。

 

今思えば、そのわずかな違和感をもっと追求すべきだったな、と思う。

 

違和感を覚えたということは、その時点では僕とは感覚が違ってたということ。

 

僕が逆の立場で同じことを言われてたとしたら、ノリノリで「やろう!」と即答してた。

 

それができてないのだから、そこはもっと追求してコミュニケーションをとるべきだった。

 

見極め不足でしかなかった。

 

この問題の根っこは僕が彼のことをよく知らなかったこと。

 

もし幼少期から知っていて、性格とかも熟知していたとしたら、同じ結果にはならなかったんだろうな、と思う。

 

これは子育てにも言えることで、我が子のことをよく知りもせずに親が勝手に想像とか願望とかで物事を進めてしまって、それが原因でいろんな問題が起こってる。

 

僕自身も自分のことを親にわかってもらえなかったから、いまだに親との関係はうまくいってない。

これから深く関わる時には、ちゃんとその子のことを知ることがドチャクソ大事だな、と思った出来事だった。

 

ご清聴ありがとうございました。

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