おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『こどもはこどもらしくって言うと嫌われる』。
「こどもはこどもらしく」ってよく大人は言う。
これ。
言われた側のこどもからすると「こいつ、おれのことナメてるな…」って思ってる。
全員が全員そうではないけど、少なくとも僕自身はこどもの頃そう思ってたし、他の人からもそんな話を聞いたことが幾度となくある。
イヤな思いをしたから自分では絶対に使わないし使いたくない。
大人になった今でも"こどもらしく"って言葉を使ってる大人をみると「こいつナメとるな」って思う。
そういう考えを持ってるってことは「自分は大人でてめぇらお子ちゃまとは違うんだよ」って線引きしてるみたいでやだ。
そういう大人はこどもに嫌われる。
そんなお話。
「こども」の定義
そもそも。
こどもらしくの「こども」ってどこからどこまでがこどもなのかがよくわからない。
はっきりした定義なんてないものをよく使えるなーと思う。
中学生はこどもなのか?
「こども」と言えばこども。
精神的にはまだまだ未成熟な子もたくさんいる。
だけど、「大人」だなぁと感じる子もたくさんいる。
大人の階段を一生懸命上ってる最中だから、どっちが正解でもある。
高校生にもなると、もうほぼ「大人」だろう。
アルバイトをして自分でお金を稼ぐこともできるし、人によっては「大人」と同じ扱いで仕事をして経済的に自立してる、なんてこともある。
一般的には、中学生や高校生は「大人」と「こども」の中間地点ぐらいのイメージなので、「こどもらしく」の範疇に入れる人はたぶんいない。
……たぶん。笑
じゃあ小学生は「こども」なのか?というとそうでもない。
ランドセルを背負ってる姿とか、小さくて成長しきってない姿なんかを見ると、ついつい「かわいい♡」とか思ってしまいそうになる。
いや、それはそれでいいんだけれども。
でも「見た目はこども、頭脳は大人」なんて、名探偵コナンみたいにとんでもねぇ小学1年生なんてそんなにいないと思うけど、ゼロとは言いきれない。
コナンとまではいかなくても、もしかしたら頭の中ではとんでもないことを考えてる場合もあるので、中身をよく知った上で判断するのがベスト。
大人でも、見た目はどっからどうみてもオッサンなのに、しゃべってると「こどもかよ」っていう人もいる。
「こども」っていう呼び方には明確な基準なんてなく、人それぞれで感覚が違うから一概にどうこうは言えないから、安易に「こどもだから」って線引きをすると痛い目にあう可能性が高い。
こどもの本質をみれなくなる
こどもを「こども」という線引をすると視野が狭くなってその子の本質をみれなくなる。
「こども」だってちゃんと考える力は持ってる、ひとりの「人間」だ。
経験とか知識が少ないだけで。
ちゃんと知識を教えたり、経験をさせてあげればそこらへんのアホな大人よりもはるかに素晴らしい結果を生む、なんてこともある。
実際に、ランドセルを背負ってる小学生がちゃんと目的意識を持って日々取り組んでて、いずれはプロの世界に行って活躍したい、って子もいる。
その時点でいろんな"大人"よりも素晴らしい人間だと思った。
まだまだこれからやることはたくさんあるけど、挑戦しようとする姿勢、心意気がステキだ。
その子と話をした時、素直にリスペクトの気持ちが生まれて、心の底から応援したいと思った。
だけど、その子の親は我が子のそういう真っ直ぐな気持ちを知らなかった。
いや、知ってるんだろうけどちゃんとこどもと向き合おうっていう意志が感じられなかった。
そのことを話してる時の、その子のすごく寂しそうな表情は忘れられない。
「プロの世界が厳しい」なんてことは本人がいちばんよくわかってる。
だからこそ挑戦する意味がある。
こどもだからとナメてるのかどうなのかはわからない。
だけど、本気で取り組もうとしてる気持ちを素直に応援できる大人がいないと、まだ精神的に未成熟がゆえに潰れてしまうことだってある。
「こどもだから」っていうフィルターを通すと、視野が狭くなってその子の本質なんてみれなくなる。
こどもの心を傷つける
僕自身「こどもだから」っていうフィルターを通してみられてることがわかると、すごく拒否反応が出たこどもだった。
明らかにいつもと違う甲高い声でしゃべりかけてくる大人に対して、心底「気持ち悪い」と思った。
なぜ多くの大人はこどもにしゃべりかける時、あんな甲高い声になってしまうのだろう?
それで喜ぶこどももいるかもしれないけど、僕のように引いてるこどもだって少なくない。
僕は気持ち悪いと思っただけで、そういう大人とはできるだけ関わらないようにしよう、となぜか冷静に考えることができたけど、中には「この大人は僕を人として見てくれてない」なんてネガティブに考えてしまう子だっていると思う。
「"こども"が何言ってんねん」みたいな感じで終わらせて意見として聞いてくれない。
状況的にそれは仕方ないことなのかもしれない。
だけど、僕は「ひとりの人間」として向き合ってくれる大人と話をするのはすごく楽しかったし、嬉しかった。
だから僕自身もそう思ってもらえるようにするにはどうしたらいいか?を考えてこどもと接するようにしてる。
こどもにナメられる
こどもを「こども」というフィルターを通して見た結果、逆にこどもが大人をナメてかかるという皮肉が起きる。
僕が指導者として所属していた少年野球のチームで、指導者の何人かがこどもをひとりの人間として向き合ってなかった。
むしろ「しょせんこどもだから」みたいな態度で、すごくナメてかかってた。
それは傍から見ててもすごくわかりやすくて「なんだかなぁ…」と、あまりいい気分ではなかった。
ある日、こどもたちと話をしていて「あいつめっちゃウザイねんけど」と、本音をポロッと言ってくれたことがあった。
"あいつ"とはこどもたちをナメてかかってた指導者のことである。
その瞬間、背筋が凍った。
と、同時に「こどもだってひとりの人間なんよな…そういやおれ自身もこどもの時イヤな思いしたな…」とかいろいろ振り返って、こどもとの向き合い方をちゃんと考えないとダメだな、と襟を正した。
こどもをナメてかかると、逆にこどもにナメられる。
当時その話をしてくれたこどもたちを、よくよくみてると、明らかに指導者をナメてかかってた。
怒らせたり文句言われたりするとうっとうしいので、話をちゃんと聞いてマジメに取り組むフリをしている。
でもその直後に話を聞きにいくと「全然本気で取り組んでない」「やってるフリしてるだけーww」と嘲笑ってた。
こどもってこえーな。笑
こどもが怖いんじゃない。
そうさせてる大人が悪い。
そして世の中には、そんな大人がまだまだたくさんいる。
「こいつ、おれのことナメてやがるな?」って感じたこどもがちゃんとマジメにやってるフリをするのは、自分が怒られたり傷ついたりしないようにるための防御反応だ。
ナメてかかる、というのはこどもに対する冒涜であり、暴力だ。
彼らだって「ひとりの人間」。
ちゃんと向き合わないと向き合ってくれない。
向き合い方なんて人それぞれだから自分で考えてもろて。
その方が世の中平和になると思う。
ご清聴ありがとうございました。



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