「オネショ」は怒るととんでもないことになるので絶対怒らない方がいい:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『オネショは怒るととんでもないことになるので絶対怒らない方がいい』。

 

僕は小学校3年生ぐらいまで、ほぼ毎日オネショをしていた。

 

夜寝る前にちゃんとトイレに行こうが行かなかろうが、ちゃんと毎日布団に世界地図ができる。

毎日よ???

1年365日のうち360日はオネショをしてた。

 

自分でもどうしていいかわからない。

 

出るもんは出る。

 

どうしようもない。

 

でも親はそんな僕を毎日毎日叱りつけた。

「またやった!」と。

 

言いつけを守って寝る前は必ずトイレに行った。

寝る前に飲み物は飲まないようにもした(たまに飲んでたけど)。

 

なのに。

 

それでも出るもんは出る。

 

だから僕は毎日毎日寝るのが怖かった。

 

朝起きた時にまたやってしまってたらどうしよう。。。

 

そんな恐怖におびえながら毎日布団に入っていた。

 

たまーに。年に5回ぐらい、オネショをせずに目覚める朝が来る。

 

その時は何モノにも代えがたい爽快感があって、すごく幸せな朝を迎えることができた。

 

こんなことはオネショをしない人からすると何が爽快なのか到底理解できないかもしれない。

 

でも当時の僕にとっては何もない朝は年に5回というとってもレアなもので、それだけですごく幸せを感じていたのだ。

マイナスを知ってるとゼロがプラスに感じる素晴らしい例だ。

 

それ以外は「またやってしまった…」という絶望的な朝を迎える。

でもそんな幸せな朝はいつ訪れるかわからない。

だから寝る前は毎日恐怖でしかないの。

 

爽快な朝を迎えれたとしても、それを予測できるハズもなく、たまたま何もなかっただけの話。

何かをしたからオネショをしなかった、というこれといった明確なものはない。

 

だから小学校3年生以降、オネショをしなくなってからも、しばらくはその恐怖と戦い続けてた。

 

それよりも何よりも。

 

毎日毎日親に怒られることで、僕の親に対する不信感はどんどん募っていった。

 

そりゃーさ。

毎日毎日お布団を干したりパンツとか洗濯物が増えたりするし、布団を敷いてた畳はボロボロになっていくし、怒りたくなる気持ちはわからなくもない。

親になった今ならその大変さは理解出来る。

 

でもっっっっ。

 

さっきも言ったけど、オネショをしたくてしてるわけじゃない。

 

生理現象だから自分ではどうにもこうにもコントロールできないものなのだ。

お腹が空くのと同じで、人間が自分でコントロールして止めれるようなシロモノじゃない。

何もしてなくても腹は減る。

そんなことに対して怒りぶつけたところで、何も変わるはずがない。

 

でもどこに対して怒りをぶつけたらいいのかわからなかったのか、毎日毎日怒られた。

 

おかげで物心ついた時には僕の心はすでにすっかり閉ざされていて、親に対して何も言えなくなっていた。

 

もちろん当時はそんな自覚はない。

 

後になって、心が開いてから自分の過去を振り返って分析してようやく理解できたこと。

 

なので親に対してホントの心の内を明かすことなんかできなかった。

 

何か言ったら怒られるんじゃないか

 

そんな思いが常に頭を支配してた。

別に何も悪いことをしてなくても、普通に話しかけるのすらちょっと億劫になってた。

 

その土台があって、かつ僕の心は元々繊細なので、かなりの小心者になっていた。

 

さらに追い打ちをかけるように繰り返す転校でどんどん心は閉ざされていった。

 

今考えるとよく生きてたなと思うぐらい。

 

もし。

 

毎日オネショをしてなかったら。

 

もっと心を開いて生きていくことができたんだろうか。

 

あんなに苦しくてツラい思いをしなくてすんだのだろうか。

 

そんなタラレバの人生に多少の興味はあるけれど、そんなこと考えたって人生が変わるわけでもないし、今は「あれがあったからこそ今がある」って思える。

 

逆になかったら今の自分はないのかーって考えるとそれはそれでイヤだなと思う。

 

およそ40年。

 

かなり時間はかかってしまったけど、自分のことがいろいろと理解できて清々しい気持ちになった。

 

なのでそれを親に伝えたかった。

 

あの時めちゃくちゃしんどかった、と。

 

でもだからといって親を責めたい気持なんか1ミリもなく、ただただ笑い話にしたかった。

それでも今は心の底から笑えてるよ、と。

 

でもそれが全然伝わらなくて、むしろ責められてると感じたみたい。

 

なんかちょっと気まずい雰囲気になってしまった。

 

いやいや……。

 

笑って話したかったのに。

僕の伝え方が悪かったのかもしれないけど。

 

今さらそんなことを責めたってしかたないことぐらい理解してるのに。

でもそれって裏を返せばちょっとは後悔してるってことなのかしら?

真相はナゾのまま。

それ以来1回も親には会っていない。

 

会う気になれない。

 

それは僕の心が本来の姿を取り戻したから。

 

今までは「親だから」という理由で会いに行ったりしてたけど、親といえども、血のつながりがあろうがしょせん赤の他人だ。

人生の時間は限られてる。

気の合わない人間と関わるヒマなんてない。

 

それなら気の合う人と一緒に楽しい時間を過ごしたい。

 

って思うけど、やっぱり親なんだから、なんだかんだ僕を育ててくれたことには感謝してるから、このまま離れるのはちょっと寂しい。

 

逆の立場で考えて、自分のこどもにそんなこと思われてたら、と思うと胸がはち切れそうになるぐらいツラい。

 

もし親がこれを読んでたらとても悲しむかもしれない。

 

でも今の心境はそういう感じ。

 

また何年か経ったら気持ちも変わるかもしれない。

 

その時はその時でよろしくお願いします。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

……いや、違う違う。

言い残してたことがあった。

 

オネショを治す方法はわからない。

自分のこどもがオネショを毎日してたとしたら。

現実はそうじゃなく毎日快適な朝を迎えてらっしゃって、そこは問題ナッスィングだったので、そうだったらと仮定した場合。

 

僕だったら防水の布団を作る。

そこで安心してオネショをしろと。

家ではそれで、外泊する時はオムツみたいなパンツを作ってそれをこっそり履け、という。

パッとみ普通のパンツと変わらないぐらいのクオリティに仕上げて。

布団もパンツもこどもと一緒に作る。

「こんなんどう?」

「えーーカッコ悪いーーー」

「マジかぁー。じゃあもうちょっとこんなんは?」

「さっきのよりはマシかなぁ」

とかなんとか言いながら。

 

オネショをしたらダメなんだ、とか、オネショをしたら怒られる、というネガティブな思考になるのがいちばんダメなパターンで、しても大丈夫っていう安心感があれば治るのも早くなりそうな気がする。

 

治しようがないものなので、一緒になって対処法を考えるのがいちばんこどもにとっては嬉しいことかなと。

僕自身、父ちゃんが研究者的な仕事をしていて、会社でオネショに効く薬を作ってきたことがあった。

その薬の効果は何もなかったけど、そうやって僕のことを考えて作ってくれたことはすごく嬉しくて、今でもそのことはハッキリと覚えてる。

普段怒ってばっかりだったけど、そんな優しい面もあったからなんとかやってこれたんだろうな。

 

今度こそ。

ホントに。

ご清聴ありがとうございました。

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