おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『無宗教になったら心身ともに軽くなって改めて宗教の無意味さ・恐ろしさを知った』。
約10年間、僕は創価学会に所属してた。
所属……?入信……?なんて言ったらいいのかわからないけど、とりあえず創価学会の名簿の中に僕の名前があった。
元奥さんのおばあちゃんが熱心な学会信者で半ば強引に引き入れられた感じだった。
最終的に学会員の方のうっとおしい絡みが究極にめんどくさくなったので、脱会を決意した。
そもそも入会の前に創価学会ってどんなものなのか?を知っていれば。
よく調べておけば、こんなめんどくさい思いはしなくてよかったなーと、改めて自分のテキトーさ加減を知ることになってしまった。
まぁそれも経験にはなったので後悔はしてないけれども。
正直、ホントに脱会できたのかどうかは確認のしようがないからわからない。
二度と関わりたくないから学会員の方と接触するのもイヤなので、聞くこともしたくない。
現時点で「これしかない!」という方法を実行したから、おそらく大丈夫なはずなんだけれども。
それよりも何よりも。
手続きが死ぬほどめんどくさかった。
正直「なんでこんなことせなアカンねん」っていう思いでいっぱいだった。
でもそれも全部自分の責任。
そんなめんどくさいであろうことも、入会する以前からなんとなく匂いは感じてた。
学会員の方と接触したことがゼロではなかったからだ。
にも関わらず。
結婚した相手の家族が学会員だった場合なんて1ミリも想定してなかった。
僕は何も知らなかった。
調べようともしなかった。
無知ほど恐ろしいものはない。
ちゃんと調べとけばよかった。
いろんなことがあったけど、創価学会に入ったことで改めて宗教ってめんどくさいな、と心底思ったし、そういう時は後々めんどくさいことにならないように意志を貫いて自分をしっかり持っておかないと、いい教訓になった。
晴れて無宗教の身になって、ひと息ついてた時に、YouTubeにいろんな宗教の解説動画があったので「そういえばそもそも宗教の起源ってどこにあるんだろう?」と深掘りしてみたくなったので、この際だからみてみた。
今後、また誰かに勧誘されても言い返せるように、ちゃんと知識は入れておこうと思ったのかもしれない。
すると。
想像してた以上にくだらないものだった。
これはあくまで僕の主観でしかなくて、熱心に信じてる人をバカにしたいという気持ちは1ミリもない。
世の中にはいろんな宗教がある。
代表的なので言うと「仏教」「キリスト教」「イスラム教」「ヒンドゥー教」などなど。
キリスト教もイスラム教も元をたどればユダヤ教なんだとこの時はじめて知った。
厳密にはイスラム教は、キリスト教とかユダヤ教の影響を受けてはいるものの、直接関りがあるわけじゃないんだけれども。
驚いたのはキリスト。
彼は元々ユダヤ人だったのね。笑
そんなことも知らないぐらい、宗教に関してはかなり無知で、そもそも興味がなかった。
仏教とキリスト教に関しては、ひとりの人間が教祖として崇められてるからまだなんとなく理解できるものの、ヒンドゥー教とイスラム教に関しては崇める対象がすごく曖昧。
誰かの「創作」でしかなく、神という概念はあるものの、直接その人から教えを受けたわけじゃない、言わば詐欺みたいなものだった。
ヒンドゥー教がいちばんひどくて、ざっくり言うと「先住民を支配したかったから」という、すっげぇ雑なもの。
歴史がけっこう古いからいろんなものがうやむやになって現在に至ってしまったという感じが否めない。
イスラム教は部族同士の争いを鎮めるためにムハンマドさんが立ち上げたもの。
なんでも神の声を聞いて、そこから自らが神の代理みたいなものになって宗教化したんだとか。
んなアホな。
よく信じたよね。
それに比べたら仏教とかキリスト教はまだマシな方。
仏教のブッダも、キリスト教のイエス・キリストも生きた頃を知らないから何とも言えないけど、実在の人物でどんな人間だったかを記した書物はたくさんある。
ブッダなんかは手塚治虫氏が描いたマンガ「ブッダ」が自分の中では代表的。
てゆーかそれしか知らない。
手塚治虫作品が元々好きだったのもあるけど、めちゃくちゃ面白くて、ブッダという人は人間的に素晴らしい人だったのかもしれないな、という期待を抱くにはじゅうぶんだった。
でもそれもあくまで手塚治虫氏の解釈なのであって、実際のところはどうだったかはわからない。
キリストも同じような感じで、人間的には素晴らしい人だったそうな。
もしこんな人たちが自分と同じ時代に生きていたら、たしかに「僕もついていきます!」とか言って崇拝していた可能性がゼロじゃないな、と思えたのかもしれない。
でもあくまでも同じ時代に、という話。
もうずいぶん昔にお亡くなりになってるから、この人たちの人間性を知ることなんてできない。
仏教徒やキリスト教徒の人たちを批判する気持ちは1ミリもないけど、関わったこともなく、詳しく知りもしない人のことをよくそんなに崇拝できるなと思う。
たしかに人間的には素晴らしい人だったのかもしれないけど、よく知らんやん。
百歩譲って崇拝するのはまだいい。
個人の自由だし、僕自身も全然知らない人に対する憧れは持ってる。
坂本龍馬なんかがいい例で、関わったことはないけどマンガとか映画とかで彼の人間性を知って「あぁ、この人のような人間になりたいな」と思った。
「崇拝」と呼んでもいいぐらいの感情は持ち合わせているかもしれない。
でも実際に関わったら「あれ…?思ってたんと違う…」とかなる可能性だってある。
そんなことはもう確かめようがないけど、そんなふうに自分が勝手に憧れたものを他人に共有することはしても、押し付けるようなマネは絶対にできない。
たとえファンクラブのようなものがあったとしても。
それはそれでテメーで勝手にやる。
宗教はファンクラブみたいなもん。
ファンクラブはその人のファンだから成立するようなもので、推したいとか応援したいっていう気持ちがなかったらただただ興味ないものを押し付けられてるだけにすぎない。
信仰心を他人にムリヤリ押し付けて、いろんな人から搾取してるから宗教は恐ろしい。
心が弱ってる人だとそういうのにコロッといきやすいからなおさらタチが悪い。
それはすべての宗教に言えることで、宗教が世の中に広まった本質的な理由はそこ。
ブッタもキリストも、今の現状をみたらどう思うんだろう?
「そういうことじゃないんだよなー」とか言いそう。
でも世の中の熱心な宗教信者の人は、ブッダやキリストの本当の意味での考えを理解していないのかもしれないなー、と思う。
創価学会にしてもそうだった。
創価学会は比較的新しい宗教だから、ブッダやキリストとは違ってまだ代表の人が存命だから、他の宗教とは違って神格化がまだそこまで進んでないようにみえる。
だけど、むしろ信者さんの熱量は他の宗教よりもなんかすさまじい感じがした。
その理由はわからない。
後で調べてわかったことだけど、創価学会の理念がそうさせてるのかな?とは思った。
「創価」
つまり、その人の価値を創るというのがそもそもの創価学会の始まりであり理念。
人にはそれぞれ価値があって、それを自分で磨いて高めていこう、みたいな感じのことを創始者の人が言っていた。
なんだ。
まともなことを言ってるやないかい。
じゃあ学会員の人たちはその理念に魅力を感じてるから熱心に活動をしてらっしゃるのかしら?というとそんなこともなかった。
学会員の人たちの中でそこんところを理解してる人なんていないんじゃないか?と思うぐらい、話題に出たのを聞いたことがない。
少なくとも、僕が出会った学会員の人の中では。
いちばん大事なのってそこなんじゃないのかな?と思うんだけれども。
皆さんとにかく粘っこくて暑苦しい。だけどそこには芯がなくてフワフワしてる感じ。だから説得力がない。
他の宗教の熱心な信者の人には会ったことがないからわからないけど、だいたい宗教ってこんな感じなのかな?って思ってしまう。
もちろん人によって信じる度合いは違うんだろうなとは思うけど。
だとしたら。
僕みたいに信じる気持ちが皆無な人とかだったらそもそも入信する意味なんてどこにもない。
てゆーか名前だけでいいからっていうこと自体がおかしな話。
もはや教えとか創始者の理念とかそんなことどうでもよくて、ただ数を集めりゃいいみたいなことになってしまってる。
なんなら宗教が戦争の引き金になったりしてる。
そんな、誰かもわからないようなものにすがってること自体が気持ち悪いし、命まで奪うようなことなのか?ってすっげぇ怖くなった。
でもそれが現実に起こってしまってる。
この流れはもう止めようがない。
そんな流れの中に一度は乗ってしまったことを教訓にして、自分とそのまわりの人間だけでもその流れに乗せず、強く生きていかないといけないな、と思った。
ご清聴ありがとうございました。



コメント