おはようございます。
こども食堂『虎吉』店主の高木です。
本日のテーマは『子どもと大人の距離感』です。
要約してまとめると「子どもが心を開かないのは大人のせいなんだよ」です。
今の世の中、人と人との距離がすごく遠いです。
いや、今に限らず時代を問わずそうなのかもしれません。
大人と大人の距離が遠いのはどうでもいいとして、こども食堂を経営してるので話題は大人と子どもの距離について。
僕は少年野球のコーチを合計10年ぐらいやってたのですが、その時に感じたのは「大人は子どもをナメている」です。
少し大袈裟な言い方をすると子どもを人としてみていません。
要するに同じ目線に立って接していない大人が圧倒的に多い。
たぶんこれは大昔からそうだと思います。
少なくとも僕自身が子どもの頃は、人としてみてくれてない大人ばっかりだなぁと感じていました。
たぶん8割〜9割ぐらい。
僕が「人って温かいなぁ」と感じていた昭和の時代でさえそうなのだから、平成を飛び越えて令和時代の今なんかはさらに輪をかけて子どもを人としてみてない大人ばっかりだなーと感じます。
誰がそんな人間に心開くねんっちゅー話です。
子どもが大人に対して本音を言えない…いや、言わないのは大人が子どもをナメてかかってバカにしたり上から目線でものを言うからです。
それなのに大多数の大人は何もかもわかったような面して子どもを支配したようにふんぞり返っています。
先に生まれたことの何がそんなに偉いのか?
1万歩譲って偉かったとしても、頭ごなしに言う権利なんかどこにもない。
人生の先輩ならもっと同じ目線に立って寄り添っていかないと子どもは絶対に心を開きません。
なんで「先輩」なのにそんなこともわからないのか?
これは大人と子どもに限らず、大人と大人の間でも起こっていることですが。
そして子どもが心を開くにはそれなりの時間がかかります。
上から目線でいくとすぐに支配できたような感覚に陥ってしまいます。
でもそれはアホな大人認定されてるだけにすぎません。
心の中では「ダルっ」とか「ウザっ」とか「死ねっ」とか思われてしまっていることにアホな大人は気づきません。
これはもうとんでもない距離です。
大人と子どもの間でそんなふうに垣根があったら、たとえば先ほどの少年野球ならチームとしてまとまることはありません。
大人の顔色ばっかりうかがって野球をしてしまって、子どもが本来の力を100%出すことができないからです。
そんなチームが勝てるわけないのです。
うまく歯車が合えば流れに乗って勝つこともありますが、その先にあるのは「野球を辞めてしまう」です。
この現象はもはや日本の縮図です。
仕事でも学校でも至る所で起きています。
子どもにナメられるぐらいでちょうどいい
かくいう僕自身も子どもを上から目線目線でナメてた時期もありました。
でもそれだと子どもは本音を話してくれません。ホントのことを言ってないーっていうのはすごく伝わってくるので、なんか面白くないし、なによりすごく寂しい気持ちになります。
これはダメだと思った僕は何とかしないとダメだなと思い、いろいろ試行錯誤してたどり着いたのが「子どもにナメられよう」です。
大人ぶるのをやめて、自分も子どもになった感覚で子どもと接したら、ヤツらは調子に乗って大人である僕をイジってきます。
満面の笑顔で。
ひどい時は殴りかかってきたりします。
プライドの高い大人だとそんなの耐えきれないレベルでしょう。
でもヤツらはバカではないので、ひとりの大人として僕を認識しています。
普段はふざけてナメてかかってきますが、僕がマジメに話をするとちゃんと聞きます。
その時にちゃんと思ってることを包み隠さず言ってくれます。
もちろん個人差はあるので、皆がみんなそんなふうになるとは限りませんが、、、。
ヤツらだってひとりの人なんです。
それを忘れてしまうと絶対に心を開きません。
むしろ閉ざしてしまいます。
そうなるともう開くのはかなり難しい。
この大人はダメだっていうレッテルを貼られてしまうので。
大人がある程度人生経験を積んでるのは当たり前の話です。
子どもよりも長く生きてるんだから。
でもそのぶん、大人は頭がカタイので、それを武器に子どもを支配しようとしたって、柔軟な思考を持つ彼らはすぐにその支配からくぐり抜けられてしまいます。
決して長く続くものじゃない。
負の圧力をかけると人はそこから逃げようとします。
大人でも子どもでも。
そしてそんな人のところには寄って行こうともしません。
ナメられるぐらい同じ目線に立てば向こうから寄ってくるし、それは長く続くものでもあります。
大人になっても一緒にご飯食べたりできて、そこで人生の相談に乗ったりします。
そんな人間関係が理想だなーと思います。
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