イジメがなくならない原因は学校という制度に問題がある:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『イジメ』。

 

僕は「学校なんか必要ない」っていうことをよく言うんだけど、いちばんの理由はこれ。

 

学校という制度があるからイジメが起きる。

もちろんそれだけじゃない。

でも学校で起きてるイジメは学校という制度が大きく関係してる。

そもそもイジメが起きてしまうのは、人間の奥底に眠る闘争本能によるもので、暴力をふるいたい、攻撃したいっていう気持ちを誰しもが持っているから。

でもそれを理性で抑え込んでるから平和に過ごせてる。

だから学校以外でも、職場とかスポーツクラブとか、人間が集まるところには必ずイジメは存在する。

大人はまだ精神的に成熟してる人が多いから、理性を保って比較的イジメは起きにくい。

でも学校はこどもが通うところ。精神的にまだ未成熟な子が多いから、理性を保てず攻撃してしまう。

それがケンカとかイジメにつながっちゃう。

 

THE BLUE HEATSの甲本ヒロト氏が「学校なんてたまたま同じ年に生まれてたまたま近所に住んでるこどもが集められただけ」っていう言葉を残してて、すごく核心をついてらっしゃるなぁ、と感服した。

 

でも同時に「学校は友達でも仲良しでも好きでもない連中とケンカしないで平穏に暮らす練習」ともおっしゃってた。

 

それも確かにそう。

 

ヒロト「居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。友達なんていなくて当たり前なんだから。友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。」

「趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。」

「ただ、友達じゃないけどさ、喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。だからいいよ、友達なんかいなくても。」

 

ヒロト氏の時代ならなおさらなんだけど、学校は絶対的な存在だった。

そんな時代にヒロト氏のような核心をつく考えは誰にでもできるものじゃない。

 

いや、今も「学校が絶対」っていう概念は何ひとつ変わってないんだけど。

 

その時代に比べたらまだ緩くなった方ではある。

 

とはいえ。

 

学校が絶対という概念は根本的にはどの時代も同じだ。何も変わってない。

 

結局「行かないといけない場所」になってしまってる。

 

たとえイジメにあってたとしても。

 

ココが大問題。

 

確かにヒロト氏の言うとおり、仲良くない連中と平穏に暮らす練習をする場所ではある。

 

でもいくらこっちが平穏にしたいと思ってても。

 

できるだけ波風立てないように静かに暮らしてたとしても。

 

向こうから来るのを拒んだとしても。

 

徒党を組まれるともうどうしようもなくなる時もある。

 

そうなると精神的に追い込まれてしまって、冷静な判断ができなくなる。

 

ヒロト氏を否定するわけでは決してなくて。

あの人は今よりももっと厳しいっていう時代背景もあっただろうし、情報も少なかっただろうし、個人間での連絡も今よりもっと取りづらかったんだと思う。

 

その中でそれだけの考えができるのは素晴らしいことだと思う。

 

何より僕自身がヒロト氏を崇拝してるから否定なんかおこがましい。

 

話を戻そう。

 

僕自身、軽いものだったけどイジメにあったことはある。

 

あの時は学校に行くのがすごい憂鬱で、できれば行きたくなかった。

行ってまたイジメられて嫌な思いをするぐらいなら行かない方がよかった。

 

でもそれを誰にも打ち明けることができなかった。

 

友達はもちろん、親にすら本音を言えるような精神状態ではなく、ひたすら孤独だったからだ。

 

だから結局行かないという選択肢はとれない。

仮に学校をサボろうもんなら必ず学校から親に連絡がいく。

 

親は学校は絶対!な人だったから、行かなかったのがバレると必ず怒られる。

そんな状況で理由を聞かれるとウソを突き通せる自信がない。

結果イジメにあってるのがバレる。

そうなると学校にも話が行って、まわりの友達とかにも知られてスーパーめんどくさいことになる。

 

そんなことになるぐらいなら学校に行ってガマンした方がマシだ。

そんな考えだった。

 

僕の場合はその程度の軽いもので済んだからよかったものの、世の中には段違いで酷いイジメを受けている人がたくさんいる。

 

でもイジメにあってる人っていうのは、基本的にはそれを誰にも言わない。

 

まわりの人が「学校が絶対!」っていうマインドになってたらなおさら言えない。

 

でもサインは出してる。

 

助けて

 

って。

 

でも誰も気づかない。

気づいてくれない。

気づいたとしても自分も巻き込まれるのではないか、と怖気づいて見て見ぬふりをする。

 

誰も助けてはくれない。

 

それでも学校に行かないといけない。

 

学校は絶対

 

だから。

 

そりゃ精神的に追い込まれるよ。

 

軽いイジメで済んだ僕ですら、かなり追い込まれてたのに、もっと酷い人の追い込まれ具合はもう計り知れない。

 

そりゃー自分を見失って自ら命を絶ってしまうよ。

 

逃げ道がなくなっちゃうんだもの。

 

そんな人がたくさんいるのに、いまだに学校側は「イジメはやめましょう」とか綺麗事を言う。

 

やめるわけないじゃないか。

人間の本能なんだから。

 

自殺にまで追い込んでるのはそういう学校の制度が原因でもある。

 

そんなイジメを放置するような学校なんか要らねぇよ

義務教育とか法律で定めちゃってるからそんなことになっちゃう。

いいかげん時代も変わったんだからその法律を見直した方がいいんじゃないか。

そういう方向で考えた方がイジメはなくなる可能性が広がる。

っていうのが僕の考え。

 

学校を全否定するつもりはない。

僕自身、学校に行ってたからこその出会いもある。

高校に行ってなかったらバンドをやるという選択肢はなかった。

 

バンドがあったからこそ真剣に音楽に向き合えた。

 

そういうかけがえのない出会いをしてる人はたくさんいると思う。

 

それはそれで素晴らしいこと。

 

でも。

 

その裏でイジメという、命に関わってくるような問題が潜んでる。

 

死んでしまったら終わりなのに。

 

どこかに逃げ道があればまだマシなんだろうけど。

 

フリースクールのような場所はある。

 

あるにはあるけど、まだまだ一般的な認知度は低いし、数も多くない。

 

もっとそういう場所をたくさん作って選択肢を増やした方がいい。

 

虎吉がそういう場所の選択肢のひとつであればいいな、って考えてる。

 

ご清聴ありがとうございました。

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