おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『人と人との距離が遠い現代の人との付き合い方』。
テレビ、ネット、リアル、いろんなところで人と人が接するところをみても、全然面白くない。
ワクワクしない。
これは別に批判してるんじゃないぞ。
何でなんだろう?っていう素朴な疑問。
ギリギリの脳みそをフル回転させて出た答えは、
人と人との距離が遠い
ということ。
平たく言えば「みんなよそよそしくて気持ち悪い」。#批判しとるやないかい
なんか心の内を明かさずに接してるから、心と心が通じ合ってる感じがしない。
ゆえに気持ち悪い。
そんなものよりも、虎吉で関わってるキワモノな人たちとしゃべってる方が圧倒的に面白い。
ただ。
こういう思ったことをハッキリ言う場所って確実に世間からは激しく浮いているな、ということもわかる。
それは世の中全体がなんだかよそよそしくなっていることの証でもある。
そんな、現代版「人との付き合い方」のお話。
人と人が付き合っていく上で大事なこと
人と人が付き合う目的はさまざま。
ただ楽しいから。
仕事の関係。
男女の関係。
親子関係。
ご近所さん。
いろいろあるけど、大事なことは「心と心が通うこと」ではなかろうか。
そんなこと言われなくてもわかってるわい!
って声が聞こえてきそうだけど、心が通ってる人たちをみるのはなかなか稀で、さっきも言ったテレビとかネット上でみるものは全然そんな感じがしない。
心と心が通う瞬間ていうのは、お互いが理解していればいい、という至極シンプルなもの。
まわりがどうこういう問題じゃないけど、ある程度は空気感で理解できる。
もし、さっき言ったものが通ってるのだとしたら。
通っててそれなの?ってなるからもはや必要ない。
そんなものに時間を割く気にはなれない。
だから地上波のテレビは全然みてない。
昔は面白かったのになぁ~…。
リアルでも同じようなことが起きてる。
なんでこんなことになったのか?
それはたぶん、人間ひとりひとりがいろんなことを気にしてしまって、本来の自分を出せてないからなんだろうなぁ…とぼんやり思った。
ぼんやりだとこれを書いてる意味がないので解像度を上げていこう。
みんな優等生になりたいの?
最近よく思うのが、みんな優等生になりたいの?ということ。
なんだか皆が皆、丁寧に丁寧にいろんな所に気を使ってしゃべろうと努めてて、個性の欠片もなくて何も伝わってこない。
もう今日は「優等生」というワードを悪口にしか使わないぞ。
テレビの地上波だったらまぁなんかわかる。
地上波だししゃーねーか、ぐらいの感覚。
ホント地上波も落ちたもんだな。
そんなことを考えつつ、僕はタバコに火をつける。
地上波はまぁしかたないとしても。
それがYouTubeとかまでがそういう風潮になってる。
ユーチューバーの人たちも、案件とかがあるからか、なんかいろんな所に気を使ってしゃべってしまってるから、地上波と同じようなことになってしまってる。
もっと自由じゃなかったっけ?YouTubeって。
プロ野球のヒーローインタビューでもそうだ。
内容だけを聞くともはや誰がしゃべってるのかわからない。#声でわかる人もいるけどそれは別♡
スポーツ選手だからしゃべりをそんなに頑張らなくてもいいとは思うけど、でもプロとしてこどもたちに夢を与えるのが仕事なんだとしたら、もうちょっとワクワクさせてくれてもいいんじゃないか?と思ってしまう。
一体誰に気を使ってしゃべってるんだろう。
スポンサーとかか?ファンたちか?
いちばんハテナが飛ぶのは、
「〇〇させていただいてます」
とかいうヤツ。
めちゃくちゃ細かいことだけど。気になるんだもの。言わせてよ。
テレビのバラエティとかで出演者が「こないだ〇〇に出させていただいてナンチャラカンチャラ」って言ったりしてるとすごく気持ち悪い。
誰に気ぃ使ってそんな丁寧なんだかなんだかよくわからない口調になってんの?
ふつうに「〇〇に出て〜」とかだったら何がダメなの?
言葉ヅラだけ丁寧にしてるけど、裏で何を思ってるのかわからんよ?
って自ら暴露してるみたいで気持ち悪い。
なんか生徒会長の選挙に当選したくて表面だけはいいことを言ってる優等生みたい。
優等生は成績優秀でみんなの人気者で、生徒の代表になるんだから、学生のお手本のような人間を演じないといけない。
政治家みたいだな。
事実、政治家は学生時代「優等生で生徒会長やってました!」っていうようなヤツが多い。#だからすんげぇ気持ち悪い
僕は、優等生とは真逆の人生送ってきたから彼らのそういった感覚がよくわからない。
あんなにいろんな所に気を使って取り繕って生きてて何が楽しいんだろう?って思っちゃう。
今まで会った人の中で生徒会長やってました!ってやつに面白い人間はいない。
そして。
優等生で生徒会長やるようなヤツは、だいたいアンダーグラウンドの世界を知らない。
学校サボってタバコ吸って酒飲んでバイク乗り回して女の子追いかけ回して、なんてことはしたことがない。#できるわけないだろうけど
だからその世界で生きてる人間の気持ちなんかわかりゃしない。アンダーグラウンドで生きてる人間の方がよっぽど人間味にあふれてる。
優等生という感じは"優"れたと書くけど、何が優れてるのか。
何にもわかってやしねえ人間のどこが優れてるというのか。
表面的な数字だけが優れてても、そんなもん何の役にも立ってねぇじゃねぇか。
むしろ頭デッカチになって柔軟に対応できない無能じゃないか。
この世の中の半分ぐらいはアンダーグラウンドの世界なんだよ。
その世界のことを何も知らねぇで何ができるってんだ。
何も知らないから人とコミュニケーションなんて取れやしない。
現代人の皆さまはそんな「優等生」になりたいのか?って思う場面が多々ある。
こどもたちをみてても、親が優等生に仕立てたいんだろうなぁ…って子がたくさんいる。
そんなんじゃ心の通った深いコミュニケーションなんてとれないよ。
深い人間関係なんかできないよ。
世の中がよそよそしくみえるのは、そういう人間が増えたからだ。
経験値が浅すぎる
皆が皆優等生にみえる理由は、いろんなことに挑戦しない人が多いから。
それが深いコミュニケーションをとれない、ということにもつながってる。
「なんかよくわからんけどとりあえずやってみる」
っていう遊び心がないから、人とコミュニケーションを深くとる余裕がない。
遊び心があれば、どうやってその場を楽しんでやろう?っていう余裕も生まれてくる。
遊び心を養うには、とりあえずいろんなことをやってみるのがいちばんイイ。
とりあえずタバコ吸ってみる、とか。
とりあえずお酒飲んでみる、とか。
とりあえず無免許だけどバイク乗ってみる、とか。
とりあえずドラッグやってみるとか。
どれもこれも法律には違反してる。
成人だと漏れなくお縄について、ヘタすりゃ刑務所行き。
10代でそれをやっても警察にはお世話になることになる。
ほとんどの人はそれにビビってやろうとしない。
故にタバコがどんなものか知らない。
酒が自分にとってどの程度許容できるのかがわからない。
バイクの乗り方なんかわからないからいざという時に何の役にも立たない。
タバコなんかは別に百害あって一利なしだから、知る必要なんてないけど、実際にそれを好んで吸ってる人がいるのも事実。
そういう人たちと深いコミュニケーションをとろうと思ったら、そういう経験はしておいた方が面白おかしく話ができることもある。
初めてタバコを吸ったのは小学校5年生の時。従兄弟のヤンキーの兄ちゃんに教わった。
そんな話をすると笑いが生まれたり「えーーー」と非難の声が上がったりする。
お酒も同じく。
飲まなくても別に人生に大して影響はないのかもしれない。
タバコと同じく健康には害のあるものだから。
でもこの世の中、お酒を飲む人は間違いなく存在する。
しかもたくさん。
初めてお酒を飲んだのはたぶん幼稚園ぐらいの時。
家族でお好み焼きを食べる時はもれなくこどもたち全員がビールで乾杯してた。
そんな話をすると笑いが生まれたり悲鳴が聞こえたりする。
バイクも同じく。
僕はバイクは興味はないけど、10代の時にとりあえず乗ってみた。それも無免許で。
それはそれでその世界の人たちとの時間を共に過ごせたからいい経験になってる。
さすがにドラッグ系はやったことがないけど、18歳の時に友達が何かしらの葉っぱを持ってきて一緒にやってみたことがある。
お酒を飲んでないのにお酒を飲んだ時のようにナチュラルハイになり、そのまま夜の街へ繰り出してイカれポンチになったことがある。
あー…ドラッグってこんな感じなのかー…と恐怖を覚えた。
ドラッグと葉っぱでは少々性質が違うかもしれないけど、自分以外の何かに頼って自分の中の潜在的なものを引き出すっていう点では、まぁだいたい似たようなもんだろう。
別にそんなものに頼らなくても自分の力を引き出せるような人間になりたい、と深く心に刻んだ。
体も壊れていくしね。
そんな経験も大人になって笑いのネタになった。
麻雀とかもよくやった。
友達と徹マンして、大勝ちした朝のごはんの味は格別だった。
何よりも麻雀というゲームは奥が深くてめちゃくちゃ面白い。
初めてやったのはたぶん5歳ぐらい。家族でよく卓を囲んでた。
競馬も大好きだ。
僕はギャンブルの競馬が好きなわけじゃなく、馬が好きなだけ。
好きだから競馬のイロハを自分で調べたりして、競馬好きのオッサンと同等に話ができるぐらいにまでなった。競馬にはロマンがある。
初めて競馬をやったのは中学の時。友達のオカンに連れて行ってもらった。
元々競走馬育成シミュレーションゲームの「ダービースタリオン」にハマって、現実の競馬もみてみたい、というのが始まりだった。
タバコ、酒、バイク、ドラッグ、女、ギャンブル。
この世の中でいわゆる「不良」と位置づけられてしまうようなものでも、とりあえずいろいろ試してみた。
どんな世界なのか興味があったからだ。
後、これは自分から進んで経験したわけじゃないけど、僕自身が愛着障害で親とのコミュニケーションがうまくいってなかった。
その影響と数々の転校を繰り返したことにより、心を閉ざしてしまった。
そのおかげで、人の顔色や行動をすごく窺うようになり、なんとなくその人が何を考えてるのかとかが読めるようになった。読まないと生きていけない、と危機感を覚えたからだ。
その上でいろんな経験をした。
元々持ってた人の顔色を窺うクセといろんな経験が相まって、いろんな人とコミュニケーションが円滑になり、面白がってくれる。
こどもたちもそう。
彼らは僕がいろんな経験をしてるということを本能で察知するみたいで、面白がってくれてる。
こどもたちがよく本音をさらけ出してくれるのはそういった理由だろう。
いろんな経験をしたということは、それだけ失敗もたくさんしてる。
学校の先生にタバコをみつかって停学になったり。
お酒を飲んで捕まったことはないけど、飲みすぎてベロンベロンになってクラブの入口の所で寝ゲロしていろんな人に大迷惑かけたり。
バイク盗もうとしてガチャガチャやってたら通報されて警察に捕まったり。
取調室ってすごく狭くて刑事さんがすっげー高圧的なの。
徹マンして負けた時の朝、明るくなってきた外をみると、もう何もしたくないぐらいの絶望感に苛まれたり。
そんな数々の失敗も経験してるけど、それを笑いに変換することでコミュニケーションが円滑になる。
そうすると相手は「面白いヤツ」と捉えてくれて、懐に入りこむことがやりやすい。それも深いところまで。
ちょっと余談だけど、失敗をたくさんしたことにより、新しいことに挑戦する時に躊躇しなくなった。
なんでもやってみたらいい。
やってみてダメだったらその時にそこからどうするか?を考える。
それが失敗しても話のネタになり、笑いを生んでいい循環になる。
普通に考えたら失礼にあたることでも"とりあえず言ってみる"という挑戦がしやすい。
もしかしたらそれで怒らせてしまうかもしれない。
怒られたら怒られたでそれでもかまわない。
その程度の器の人間なんて相手してても面白くない…と見切りをつけれる。
いろんな経験をしたから人を見切るのもサッとできるようになったんだろう。
コミュニケーションの基本は「相手の話を聞く」こと。
話を聞くためには、その人が話しやすい体勢をこちらが作らないといけない。
じゃないと話なんかしてくれない。
そのためにはやっぱりいろんな経験を積んでることがカギになってくる。
「こいつなら話しても大丈夫だ」
って思ってもらえるかどうか。
それは自分と向き合って受け入れた分だけ可能性が広がる。
つまり、経験値がものをいう。
何にも経験してない"優等生"では絶対にたどり着けない境地だ。
なので。
人と面白おかしく付き合うには何でもやってみることが大切。失敗しても成功しても話のネタにはなる。
でも何もしなかったらコミュニケーションのチャンスは生まれない。
挑戦しない人間に明るい未来はない
僕はたぶん、わりと人とのコミュニケーションが上手い人間ではある。
老若男女問わず、けっこう本音を打ち明けてくれるから、たぶん上手いんだと思う。
イジられるキャラも相まって、わりと人気者(?)的な立ち位置にある。
それは今までに数々のいろんな経験をしてきたからだ、と考える。
でも。
ただ経験するだけじゃ何の意味もない。
いろんな経験してるわりに全然面白くない人間もいる。
たとえば昔タバコ吸うわ酒は飲むわ夜中遊び回るわのヤンキーだったくせに、大人になったらまるで別人で、変にマジメに取り繕ってるような人とか。
だからその時代のことは極力話したがらない。
こっちがノリで暴露しようもんなら烈火のごとく怒り狂いやがる。
自分がしてきたことを受け入れずに封印してしまったら、せっかく経験したいろんなことが全部台無しだ。
醜態をさらしたからこそ伝えられることがあるだろうに。
僕はもう全部さらけ出して笑いに変えようとする。
警察に捕まったことも、タバコで停学になったことも。寝ゲロで大迷惑をかけたことも。
そういう話を自分からすることもある意味では挑戦だ。
それをさらけ出すことで「こいつはアホな人間だ」と、アホのレッテルを貼る人もいるかもしれない。拒否反応が出る人もいるかもしれない。
でもそれはそれでかまわない。
その程度のことで僕を判断するような人間はこちらから願い下げだ。
でも。僕と同じような人間だと、そんなこと意にも介さない。
むしろ面白がってくれる。
そういう人って「今から何を成すか?」しか考えてない。
だから面白い。
過去のアホな経験をさらけ出せないのは、つまり今の自分自身をも受け入れられてないっていうこと。
何も面白い経験がないならそれはそれでいい。
それもひとつのネタになる。
"何も無い"という経験を面白おかしくさらけ出すことによって「おっしゃ、ほんじゃあ今からやってみよう♡」って僕なら言う。
いろんなことを経験してるかどうかはオプションみたいなもんだ。
大切なのは今から自分に何ができるか?
やってみよう!っていう気概があるかどうか。
その覚悟があれば、誰とでも面白おかしくつきあっていける。
あ。
もうひとつ。
てゆーか。
ここからが今日の核の部分かも。
自分の意志をしっかり持つ
いろんな経験をするのも、それを基にいろんな挑戦をするのも、人とのコミュニケーションを円滑にするため。
人とのコミュニケーションの前に、やることがある。
それが「自分の意志をしっかり持つ」こと。
「おれはこう生きる!」とか「私は〇〇をしたい!」などなど、生きていく上での"軸"を据える。
いろんな経験をしてもそれが台無しになってしまうのは自分の"軸"がないから。
軸はどうやって持てるのか?
僕の経験上、軸が持てるようになるのは、何か強烈な憧れを持つこと。
僕の場合だと、幼少期にテレビでみた「志村けん」に強烈な憧れを抱いた。
テレビの向こうで僕の親ぐらいの年齢のオジサンがあんなにもキラキラ輝いてる。
僕もこんな大人になりたい!
って。
その想いがあったものの、僕は志村けんのように笑いをとることはできない。
そこじゃなかった。
その当時は言語化はできなかったけど、今ならできる。
ただただ、楽しそう。
それだけだった。
大人がこどもみたいにはしゃいでる。
それでお客さんや他の出演者の人たちもすごくイキイキしてる。
こんな大人になるにはどうしたらいいんだろう?ってめっちゃ考えた。
そして出た答えが「何かしらのプロになる」だった。#漠然としてた
最初はプロ野球選手だった。
でもそれは親の都合により早々と消滅。
その次はバスケット選手。
その当時は日本にプロリーグがなく、断念。
その次はバンドでプロになる。
そして今に至る。
40歳を過ぎた今でも幼少期の頃のままだ。
何も変わってない。
それが土台にあった。
だからいろんな経験をしても、失敗をしても腐らずにそれを活かしてじゃあ何ができる?って前向きになれたんだと思う。
いろんな人とコミュニケーションをとることが簡単になったんだと思う。
そんなわけで。
いろいろ長くなってしまったけど。#ホントにw
要するに。
自分をしっかり持っていて、肝っ玉が据わっていれば誰とでもカンタンにコミュニケーションはとれるよって話。
そのためにはいろんなことを経験しておくのが近道だよ、と。
まとめるとそんな感じ。
ご清聴ありがとうございました。



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