こども食堂は大人とこどもが力を合わせて作っていくもの:こども食堂店主のひとりごと

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torakchi

こども食堂【虎吉】店主。整体師。音楽家。水墨画家。バツ3。元女性風俗セラピスト。元PA(音響)。

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店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『こども食堂は大人とこどもが力を合わせて作っていくもの』。

 

こども食堂(兼居酒屋)をオープンして2年が経った。

 

その中で毎日考えることがあった。

 

こども食堂って何だろう?

 

当初イメージしてたものとはいろんな意味で全然違った。

良くも悪くも。

良かったところは、思ったよりも人との繋がりができたこと。

大人もこどもも含めていろんな人と仲良くなれた。

そしてその繋がりによっていろんな楽しいことも面白いこともあった。

これは毎日こども食堂をやってないと味わえない感動だな、と。

 

予想もしてなかったことは、こどもたちの親とか学校の先生とか"近所の大人勢"がほとんど関わろうとしないこと。これはホントに全然考えてなかった。

親御さんとかは半分ぐらいは関わってくれるかなーなんて考えていたけど、全然甘かった。

まさか1割にも満たないなんて考えもしなかった。

カゲで悪く言われたりもしたし、ネット上のコメント欄なんかはけっこう荒れる。

なんでぇぇぇ???

まぁそれはそれで面白がってるから悪いこととは言い難いかもしれないけども。

最初はけっこうグサッと来たところもあったので"悪いこと"に分類しとこう。

"悪いこと"に関してはもっともっといろいろたくさんあるけどそれに関してはまた別でブツブツ言おう。

そんなこんなで良いことも悪いこともたくさんあった2年間。

 

こども食堂って一体何なんだろう?

って考えたけど答えは出ず。毎日モヤモヤしてた。

 

そんな中、とある"姫"の言葉が答えを導いてくれた。

 

その言葉は

 

『うちの旦那こども食堂キライやねん』

 

おぉ…。

 

それを言われてハッとした。

 

あれ……??

よく考えたら僕自身もこども食堂なんて大キライだ。

どこもかしこもすごくウソくさいのばっかりでどうも好きになれない。

 

特にCMでやってるどっかのこども食堂なんて虫唾が走るほどだ。

こどもなんてもっと生意気だし言うこと聞かねーし。

そんなキレイなもんじゃねーよ。…と思ってしまう。

一緒に映ってる大人たちなんてこどもたちに対して「怒る」なんてことは絶対にしないんだろうな、と思ってしまう。

 

なんか、こどもに対して清く美しいものみたいな扱いをしてて、すごく気持ち悪い。

 

でも自分はこども食堂を謳ってしまっている。YouTubeでもインスタでも何でもかんでも。

 

なんだこの矛盾は?

 

言い訳としては、最初は「食べれないこどもたち」が来るものとばっかり思っていたし、CMでやってるようなものをイメージはしてた。

何よりも「よくわからないし他にいいの思いつかないからとりあえず"こども食堂"にしとくか」ぐらいのノリ。

 

けど、実際には「食べれない」こどもなんて来やしねぇ。

地域的なものもあるかもしれない。

潜伏してるこどもがいるのかもしれない。

 

真相はわからない。

 

食べれないこどもどころか、家にごはんはあるくせに平気でそれ以上を求めてタカってくるやつがごまんといる。

アイツらに感謝の気持ちなどありゃしねぇ。

 

そんな状況に戸惑いつつモヤモヤがどんどん溜まっていき、しまいには怒りを爆発させてこどもらにぶつける始末。

自分がまだまだ未熟なのと、人間だものっていう部分とが入り混じって感情が大渋滞した。

こんなことになるとは思ってもみなかった。

 

一体何をやってるんだ?おれは?

 

だけど、先ほどの"姫"の言葉で頭の中がやっと整理できた。

 

虎吉は俗にいう「こども食堂」じゃない。

 

「こどもスナック」だ。こっちの方がなんかしっくりくる。

 

虎吉はそもそも居酒屋で、こどもたちに向けても開いてる状態だから11時から23時までぶっ続けで営業している。

昼間からお酒を飲みに来る大人もしょっちゅう来る。

いろんな大人がお酒を飲みつつふだんなかなか言えないようなことを吐露してくれたり「ここにくるとホッとする」と言ってくれたり、大人にとっては居酒屋と言うよりスナックに近いものがある。

 

そしてそれはこどもたちにとっても同じ。

食堂と言うよりかは昭和の駄菓子屋と思っていたけど、どっちかというとスナックだ。

 

家出した少年が駆け込んで来たり、学校帰りにフラッとジュース引っかけに来たり、特に何も用事がないのにいきなり扉を開けてなんか叫んですぐ帰ったり。

時にはこどもたちの悩みなんかを聞いてアドバイスしたり。

食堂を逸脱している。

 

それなのに名前が「こども食堂」だからずっと違和感があったのだ、と。

今はもう名前なんてどうでもいいし、すでに「こども食堂虎吉」が定着してしまってる感があるからこのままでいこうと思う。なんならこんな形態がスタンダードになればいい。

 

そして今。そのスナックからも少し逸脱してきているのを感じる。

 

その内訳は、スナックはお金を払って空間を買うところ。

でもこどもたちはお金を払わない。

 

かと言って、彼らからお金を取る気はない。

もとより払えるお金なんか持ってないし、お金を取るってなると格段にこどもは来にくくなってしまうだろう。

だけど、このままずーっと無料でやっていくとなると、大部分のこどもは感謝の気持ちが薄れていってそれが"当たり前"になっていく。

当たり前になるとこちらの精神的な負担が大きくなり、モヤモヤが積もり積もってやがて爆発してしまう。

もはや誰も幸せになれない。

 

それはもう実証済み。

 

そこであるひとりの中学生のことを思い出した。

 

彼の名前は一応伏せておくけど、Aくん。

 

たびたび虎吉の動画にも出演してくれていて、彼はことある毎にお手伝いをしてくれる。

 

雨が降ってる中、いきなり扉を開けて募金だけして帰ったり、食材が足りなくて困っていると自ら買い物を志願してくれたり、虎吉で飼ってるメダカの水を近くの川に取りに行ってくれたり、何かと協力してくれて、ものすごく助かっている。

 

Aくんはわりとピンポイントで困ってるのを察して自らお手伝いを志願してくれるので、なんかその気持ちが嬉しくなっちゃって、彼が好きなファンタを1本ご馳走したりしている。

 

でも彼はそれをタカってくることはなく、あくまでこちらが「プレゼントしたい」と思った時だけ。

 

それがいいんだ。

 

だから気持ちがいいんだ。

 

こないだも。

 

Aくんはフライドポテトを食べたいと言った。

 

でもその日、虎吉に残ってるフライドポテトはひとり分にも満たなかった。

若女将と話していて、ついでに在庫がなかった手羽先も買いに行こう、という話になり「ちょっと買ってくるから待っといて」と言うと、Aくんはすかさず「おれが買いに行こうか?」と言ってくれた。

 

その行動は彼にとっては珍しくないけど、それを横でみていた"たまたま居合わせた常連のおっさん"がエラく感動したみたいで、とらきチケットを買うと言ってくれた。

 

なんて素晴らしい流れなんだろう。

これこそ僕が思い描く「こども食堂虎吉」の理想のカタチだ。

こどもが感謝の気持ちと敬意を持って行動して、それをみた大人が感動してチケットを買ってくれる。

正直、この流れはネット上ではすでにあった。

たくさんの人がネット上で動画をみて、それに感動した人がチケットを買ってくれた。

でもリアルでそれを目の当たりにしたことがなかったから、頭が整理できなかったものと思われる。#基本アホなんです

全員がそんな感じのこどもだったら「こども食堂虎吉」は半永久的に回っていける。

そうなったら僕はなんて幸せ者なんだろう。

 

でも現実はなかなかそうはいかない。

 

Aくんのような子はホントにひと握り。

 

片手で数えれるぐらいしかいない。

Aくんのように積極的にお手伝いをするわけじゃなくても、何かに向かって一生懸命日々努力していて、挫折したりうまくいったりしてるのを知ってると、ついつい応援したくなる。#人間てそんなもんよね

 

世の中のほとんどのこども食堂は与えるばっかりで、こどもたちが学びを得られる場所じゃない

 

社会に出ればいろんなことが自分の身に降りかかってくる。

その時に自分で考えて自分で行動を起こさないと、社会の荒波に揉まれて自分を見失って、ロクな人間にならない。#そんな人間いっぱいみた

そうならないためにも、こどもたちが自ら考えて行動を起こせるような場所にしていきたい。

こどもたちに忘れてほしくないのが「食べさせてもらってる」ということ。

そして自分ひとりだけで生きてるわけじゃないんだということ。

食事ひとつとってもそう。

例えばみんな大好き「からあげ」。

鶏肉がお肉の形で手に入るのはその専門の仕事を請け負ってくれる人がいるから。

卵も片栗粉もお味噌もマヨネーズもしょうゆもみりんもお酒も全部そう。

スーパーで並んでるのを買えばいいだけだけど、そこに至るまでにはいろんな人間がそれぞれの専門分野で仕事を請け負ってやってくれてる。全部を自分だけでは決してできない。

そこには必ず「お金」というものが発生する。

無料でやってくれる人なんかいない。

虎吉だってそう。

この1食のごはんはいろんな大人の人がチケットを買ってくれてるから食べれてる。

 

感謝と敬意。

 

それが常にあれば、Aくんのようにこちらが困っている時に自らお手伝いを志願してくれるはず。

 

そう言う気持ちでお手伝いをしてくれると、こちらも何かしてあげたくなる。

応援したくなる。

 

虎吉に来るこどもたちはお金を払ってサービスを受ける「お客さん」じゃない。

 

働かざる者食うべからず。

 

かと言って、ふだんから常にお手伝いをする必要はない。

 

いざという時にやってくれたらそれだけでじゅうぶん嬉しい。

 

かといってお手伝いをルール化してしまうと、それはそれでおかしくなっちゃう。

そのうち「やればいいんでしょ?」ぐらいの気持ちになってしまって、それはそれで気持ち悪い。

結局同じ轍を踏んでしまうことになる。

そんなものは何ひとつ嬉しくない。

 

感謝の気持ちと敬意を持ち続けるというのは、簡単なようで難しい。

 

人間はついつい楽な方に逃げてしまうから。

 

Aくんだっていつまでもその気持ちを持ち続けてくれるかなんてわからない。

でもたぶん彼の中では虎吉への感謝の気持ちと敬意持ち続けてくれてるんだと信じたい。

こちらが困ってるのを察してくれるのはそういうことなんだと思う。

一応ルールとして、「大人がいたらその人にありがとうを言いましょう」って紙に書いて貼り出してはいる。#もはや誰もみてないけど

それはそれですごく大切なこと。

 

だけど感謝の気持ちと敬意はルール化するようなものじゃない。

 

日々少しずつ学んでいくもの。

 

それを伝えるのもすごく難しい。

ひとりひとりヒザを突き合わせてやっていかないと達成できるものじゃない。

達成するには虎吉に関わってくれる人たちにもこの考えを共有しなくちゃいけない。

たぶんこれを読んだ人は理解してくれるものと信じてる。

無理強いはしたくないけど。

できると思ったことはやってもろて。

 

さて。やるかぁ…。

 

ご清聴ありがとうございました。

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