おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『こどもに対する過干渉が生む悲劇』。
こどものスマホを覗いたり。
こどもにGPSつけたり。
位置情報共有したり。
部屋を覗いたり。
机の中覗いたり。
何がそんなに気になる?
え?恋に恋するメンヘラのお子ちゃまなの?
そんな気持ち悪い親がこの世にはたくさんいらっしゃる。
そんなに過干渉になっていろんなもの気にしたところで。
いくら把握しようとしたところで。
やればやるほどもっと気になって、どんどん不安になっていくばかりなのに。
メンヘラ女子と何も変わらない。
それはもう抜け出すことのできない無限地獄にしかならざり。
気持ちが昂りすぎて少々言葉が変になってしまった。
こども食堂をやっていると、こどもたちの素の部分を垣間みることができる。
その時によく聞くのがこの「過干渉」。
父親、母親問わず、何ならじいちゃんばあちゃんまで、我が子我が孫のやることなすこと把握・管理しようとしすぎて「ウザい」んだ、と。
全員が全員そうではないものの、肌感では半分ぐらいの親は「過干渉」になってるんじゃねぇかと推測。
声を大にして言いたい。
絶対やめといた方がいい。
っていうのも。
過干渉は言わば「精神的暴力」であり、暴力を振るわれた相手にとっては一生残る傷になる。
それが原因で、大人になっても親子関係がギクシャクすることもある。
そんなふうになりたくなかったらぜひやめていただきたい。
40歳を過ぎても親子関係がギクシャクしたまんまの僕のようになりたくなければ。
過干渉って何だ?
過干渉の正体は、ただの「自己満足」であり、相手のことなど1ミリも考えていない、極めて自己中心的な考え方でしかない。
そしてそれはねじ曲がった禍々しいものであるということを自覚してらっしゃらない。
むしろ自分の中では「こんなに相手を思っているのに」と、清く正しいものであるかのような錯覚にすら陥る。
ストーカーと同じ心理である。
ウンコ撒き散らしてるのに清涼なアロマを振り撒いてる感覚でいるようなもの。
他の人間からすると迷惑極まりないものをこどもに押し付けようとしてるのが過干渉。
それを押し付けられてる身にもなってもらいたい。
もはやただの暴力でしかない。
"身体的には特に何も傷は付いてないからと暴力じゃない!"なんてのは本人の勝手な都合でしかない。
やられてる側からすると大げさでもなんでもなく、立派な暴力だ。
1回やられてみろ?
ただただ苦痛でしかないのだよ。
押し付けてる本人にはそんな自覚はまったくないから余計にタチが悪い。
過干渉は、その精神的暴力を毎日のように無意識に相手に浴びせてしまってる、ということだと理解していただきたい。
過干渉は一生残る傷になる
大事なことだから何回も言うけど、精神的な暴力は一生残る傷になる。
具体的にどうなるか?というと、相手と対峙しただけで、なんなら姿が目に入っただけで心がギューッと圧力をかけられたような感覚になり、思っていることを言えなくなったり、コミュニケーションがうまくいかなくなる。
それは大人になってもなかなか払拭できるものじゃない。
実例がここにいる。
僕は親に過干渉ではないけど、ある種の精神的暴力を受けていた。
その後、大人になってから歩み寄ろうとしたけど相手がその気配がなかったのでムリだった。
だから今は距離を置いてる。
育ててもらったこととか、感謝の気持ちはある。
だけど今は距離を置いた方がいい、という判断をした。
この先どうなるのかはわからない。
ずーっとこのままかもしれないし、いつかまた仲良くなるかもしれない。
答えが出るのはまだだいぶ先の話。
たかが過干渉が…なんて思うかもしれない。
とんでもございませぬ。
されど過干渉なんだよ。
具体的にどういう精神的暴力を受けていたかというと。
まず。
幼少期の頃、僕は毎日オネショをしていた。
自分ではコントロールできないものなのに、毎日理不尽に怒られた。
それが大きなトラウマになり、親とのコミュニケーションがうまくいかなくなった。
これを「愛着障害」という。
その上で。
中学の頃、門限が18時だった。
18時て。笑
それを過ぎるとベラボーに怒られる。
ひどい時は晩ごはん抜きとか。
殴られるまではいかなかったものの、こっぴどく怒られるのがイヤで、しかたなく守るしかなかった。
大人になって親の立場になった今でもあれはやり過ぎだと心の底から思う。
なんせどこにも行けない。
当時僕は部活をやっていて、終わって帰ってくるともう程なくして18時になってしまうので終わってから遊びになんて行けない。
まぁそもそも部活で疲れきってるから遊びに行く余裕なんてなかったからそこは別にどうでもよかったんだけども。
夏。
近くの小学校で祭りがあった。
友達同士で行くものの、これからお祭りが盛り上がってくるという時間に僕だけ帰らないといけない。
楽しそうにしてる友達を尻目に僕だけスゴスゴと帰路に着く。
この時の切ない気持ちは今も鮮明に覚えている。
っていうのも。
僕は愛着障害で心を閉ざしていて、その後転校をくり返したことにより、もう精神的にかなり病んでいた。でも当時は"病んでる"という自覚なんてなく、大人になって呪縛から解放されてから自覚できたこと。
でも心のどこかに「寂しい」という感情があった。
それはそれは深いもので、どうにかこうにかその寂しさを紛らわしたくて、友達がほしかった。
ただただ仲良くなりたかった。
祭りなんて仲良くなれる絶好の機会なのに、それが叶わなかった。
他のみんなは夜遅くまで遊んでいて、翌日の学校とか部活とかでその話をする。
僕は話についていけず、疎外感を感じてすごく寂しかった。
そんな少しのことで疎外感を感じてしまうほどに、僕の心は弱っていたのだ。
その時の記憶は今でも鮮明に残っていて、それも親子関係がギクシャクしてる要因のひとつになってる。
大人になった今、それも含めて全部笑い話にできていれば、こんなギクシャクした関係のままじゃなかったんだろうな、と思う。
木の上に立って見るのが「親」
門限を厳しく設定したことは過干渉なのか?
人それぞれいろんな考え方があると思うけど、僕は立派な過干渉だと思う。
時間が遅くなればまわりは暗くなる。
暗くなれば何が起こるかわからない。
もしかしたら誘拐されてしまったり、変なイザコザに巻き込まれてしまうかもしれない。
まだ未熟なこどもをそんな暗い世に放つなんて恐ろしい。
そこは理解できる。
僕も親の立場だ。
我が子がいなくなってしまったら、と思うと心配でしかたない。
だけど、この「心配」がこどもからしたら余計なお世話で、これが過干渉にあたる。
10代なんて好奇心旺盛で、いろんなことを知りたいと思う時期。
ましてや思春期に突入したばっかりの中学生。
いろんな世界を知ることで、知識も増えるし経験も増える。
親が門限を厳しく設定することでこどもの可能性を潰してしまうかもしれない。
どっちの気持ちも理解できる。
だけど、親はある程度放任の方がいいと僕は考える。
好きなようにやらせて、失敗したらその時に初めていろんな話をすればいい。
なんならこちらから話しかけることはせず、距離を置いて様子をみるだけでいい。
何かを聞かれたらその時にはしっかりと応える。
それでいいんじゃないか?
だから僕は心配な気持ちをグッとこらえて、好き放題やらせた。
長男が中3の時、夜中12時ぐらいに家を出ようとしてたことがあった。
母親(嫁)はすでに就寝中で、僕は起きていた。
僕が中3の時だったら、そんなことしたらたぶんシバかれてた。
だけど、それはそれだ。
自分がされてイヤだったことは息子にはしたくないし、その一瞬がもしかしたら息子にとってはすごく大切な時間なのかもしれない。
自分と重ねた時、どうしてあげるのがベストなのか?を考えたら、放置するのがいちばんだと思い「気をつけて行けよ」と軽ーく言って送り出した。
そんなことはしょっちゅうあって、たぶん息子との関係は良好だったんだろう、と思う。
それがベストだったのかどうかはまだ答えは出ていない。
なんせ今は離婚して離れて生活している。
何年か経った時に一緒にお酒を飲みながら当時のことを話せたらいいな、と思う。
話を戻そう。
過干渉は悲劇を生む可能性が多分に含まれてる。
少なくとも、僕の親にとってはそれが悲劇を生む要因になったことは間違いない。
親が僕との関係がギクシャクしてることを後悔していれば…の話だけど。笑
僕だったらこどもに距離を置かれたらそれは悲劇以外の何物でもない。
そうなりたくなければこどもはある程度放置しておいた方が幸せになれる。
……はず。
これに関しては、まだ答えが出ておらず、少々自信がないのだけれども。
でもたぶんいける。
大丈夫。
以上です。
ご清聴ありがとうございました。



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