「好き」という気持ちが何よりも自分を成長させる:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『「好き」という気持ちが何よりも自分を成長させる』。

 

「好き」になれるか、が自分が成長するかどうかを左右する。

そこまで「好き」になれなかったら、たぶんそれ以上の成長は望めない。

 

望んだところで結局挫折してしまうのがオチだ。

そんなお話。

 

僕は引きこもり。

 

小さい時から外で遊ぶよりも、家の中で絵を描いたり何かを作ってる方が楽しい性質だった。

 

気がつけば何時間も経ってる、なんてことはザラにあった。

 

それぐらい、黙々と作業をすることに夢中になれた。

ただの引きこもり。

 

特に絵を描くことはほっとけば一生やってた。

 

よく描いてたのはドラゴンボール。

 

鳥山明氏の絵は何か不思議な魅力があって、いつの間にか引き込まれてる。

その感覚は当時も今もずっと変わらない。

 

おかげで絵を描くのがすごく上手くなった。

 

1枚ウン万円とかの値段がついたりもした。

 

そうなったのは、描くことが「好き」だったから。

 

いちばん根底の部分にはそれがある。

 

エンピツで線を描いてその線が形を作っていくことがワクワクするしドキドキする。

思い通りの形が描けたらそれはそれはもう至上の喜びである。

こどもみたいと言われればそれまでだけど、こどもみたいに夢中になれないと絵は上手くなれない。

これは断言できる。

 

だけど、上手くいくことばかりじゃない。

 

線を描いても全然思い通りにならないことがよくある。

 

そんな時は悔しくてしかたがない。

 

思い通りにならないことがくやしくて何回も何回も、うまくいくまで描き続ける。

 

結果としてそれが「練習」になる。

 

まわりからみたら絵が上手くなるために努力してるようにみえる。

 

でも自分の中では努力してるという感覚が1ミリもない。

 

ただただ、自分の中で納得のいくものにしたい。

そして「よっしゃー!」ってガッツポーズしたい。

 

それだけのためにやってる。

 

それを人は努力と言い、僕は絵が上手くなるための努力を結果的にはした。

 

でも単純に「好き」だから、楽しいからやってただけ。

 

「好き」という感覚は人それぞれあって、尺度が違う。

 

僕の中の「好き」は24時間、常に絵を描くことが頭から離れなくて、「あ〜〜〜っっっ…絵を描きたい……っっっっ!!」っていう思いがずっとあふれてて、絵を描かないと落ち着かない。

 

それぐらいの感覚。

 

絵を描くことが「好き」という気持ちが24時間ずーっとあって、常にそのことを考えてると、どんなものでも絵のことに結びつけて考えるクセができる。

 

たとえばカゲの付き方。

ふだんの生活の中でいろんなものをみる時に、どうやったら絵につながるかを考える。

光がこの角度で入ったらこんなカゲができるのかー…

 

服はこの姿勢の時、こんなシワが入るのかー…

 

次絵を描く時やってみよー♫

 

などなど。

 

一般的にはこういうのを「オタク」と呼ぶ。

 

映画とかドラマをみてても、この構図面白いな、とか。

ワンシーンの一瞬の景色をみて、こんな絵を描きたい!っていう欲望がわいてきたりとか。

 

一般的にはこういうのを「オタク」と呼ぶ。

 

そしてその絵を売るためにはどうしたらいいか、とかも学んだりする。

 

ネットの活用法なんてまったく知らなかったけど、絵を売るためにネットの勉強もした。

 

おかげで世の中のことも前よりは理解できるようになって、それが人との関わり方にも良い方向に働いてる。

 

それで得た知識は今虎吉でもフルに活用できてる。

 

ムダなことは何ひとつなくて、すべてが自分を成長させることにつながった。

 

絵は個人的なものだから、ひとりで勝手にやればどんどん上手くなっていく。

それを判断するのも自分だ。

仕事になれば他の人の評価は入るものの、まず自分が納得しないことには提出できない。

なので基本的には自分の評価が第一。

 

でもバスケは違う。

団体競技だ。

 

練習を頑張るのは当たり前で、それを自分以外の他人が評価して認めてくれないと試合には出れない。

 

中学2年のとき、バスケ部の顧問が新しく赴任してきた先生に変わった。

それまでの顧問はバスケど素人で、僕はあまり試合に出させてもらえなかった。

理由はわからないけど、いつも先発ではなくベンチスタートだった。

だけど、顧問が変わった途端に僕は急にレギュラーになった。

 

何かと気にかけてくれる先生で、練習中はいつも怒鳴られてた。

 

でも僕はそれが嬉しくてしかたなかった。

 

怒鳴られるのは期待されてる証拠。

 

怒鳴られてはいるものの、そこには愛情を感じれたからだ。

だから僕も負けずに必死で食らいついた。

そういう根性は昔からあった。

先生もそんな僕とのやりとりを楽しんでいるようにみえた。

明確に言葉のやりとりがあったわかじゃないけど、たぶんそうだ。

 

レギュラーになって3年に上がる時に、その先生は急病で帰らぬ人となってしまった。

 

また顧問はど素人先生に戻ったけど、僕は変わらずレギュラーで試合に出れた。

 

人によってみるところは違うけど、腐らずにやり続ければそんなこと関係ないぐらいの実力はついてくる、ってことを学んだ。

 

腐らずにやり続けることができたのは、バスケが「好き」だから。

 

ふだん歩いてる時にジャンプの練習をしてみたり、ドリブルの練習をしてみたり。

すべてはバスケが「好き」だから。

コートの中を走り回ってると楽しくてしかたがない。

 

音楽も同じ。

 

ドラムのことを常に考えてると、映画とかテレビから音楽が流れてくるだけで手と足が勝手にリズムを刻んでいて、貧乏ゆすりみたいになってしまう。

こんな展開面白いな、とか、自分だったらこうするな、とか、常にそんなことばっかり考えてしまってる。

 

意識してやってることではなく、体が勝手にやってしまってる。

 

もっと上手くなりたいし、いい音楽を作りたいからだ。

 

上手くなりたいのはドラムが、音楽が「好き」だから。

好きな音楽を聴くと体の底から衝撃が走る。

 

それがワクワクするしドキドキする。

 

もっといい曲を作りたい。

もっといいドラムを叩きたい。

 

そんな思いが常に爆発してあふれてる。

 

何事も「好き」という気持ちがあれば勝手に上達するし、知識もついてくる。

 

そうならないのはシンプルに「好き」じゃないから。

 

上手くなりたいならまず「好き」になるにはどうしたらいいかを考えるのがいちばん早い。

「好き」になれば間違いなく自分を成長させられる。

 

…と、経験からそんなことを考えた。

 

ご清聴ありがとうございました。

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