子育ては「育てよう」と思ったら失敗する。「待つ」ことのみ:こども食堂店主のひとりごと

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torakchi

こども食堂【虎吉】店主。整体師。音楽家。水墨画家。バツ3。元女性風俗セラピスト。元PA(音響)。

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子育て

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『子育ては「育てよう」と思ったら失敗する』。

 

こどもを「育てる」とは言うけれど。

 

「育てよう!」って意気込んだら失敗する。

 

「勝手に育つ」ぐらいの緩〜い気持ちでいればいい。

 

そんなお話。

 

育てよう=焦りが生まれる

 

「こどもは育てるもの」

 

その思い込みが焦りを生む。

 

たしかに、赤ちゃんの時はひとりで放置してたら死んじゃうし、誰かが手を貸さないと何もできない。

ごはんを食べるのも、トイレも、着替えるのも、何もかもがやってあげないとできない。

 

そういう意味では「育てる」という言葉はちょうどいい。

 

「子育て」っていう言葉も"子を育てる"だし。

 

ただ。

 

"育てる"っていう言葉にとらわれすぎると「自分がいないと何もできない」という錯覚に陥ってしまう。

すると、

 

ちゃんとした子に育てないと…!

 

っていう強迫観念みたいなものが出てくる。

 

そうなると、自分の思い通りにいかない時に、激しい苛立たしさを覚える。

 

自分でたちで作った子なんだから責任持って育てないと…っていう気持ちは理解できる。

 

だけど、こどもはこどもでひとりの人間だから、独立した考えや価値観を持ってる。

その事実を忘れてしまうと、まるでこどもが自分であるかのような錯覚になっちゃう。

 

"ケガをして痛い"とかの感覚は共有できるものじゃないのと同じで、その子はその子だけにしかわからない感覚がある。

 

一緒に学校に行ってるわけじゃないし、おしっこだってウンコだって別々だ。

 

だからこそ、未熟だけど自分なりにいろんなことを考える。

 

歩き出す時とかがわかりやすい。

 

ひとりでなんとか立とうとしてるけど足元がおぼつかなくてフラフラして何回も転ぶ。

 

でもひとりで立ちたいから何回転んでも頑張る。

 

たぶんまだ自我がないからその時のことなんて記憶にはない。

でもどこかでは「立ちたい!」とかは考えてるのかもしれない。

 

生まれたばかりの馬が必死で立とうとするのと同じ。

 

ひとりで立たないと生きていけないことをわかってるかのように、必死になってやろうとしてる。

 

それは生き物としての本能だ。

 

ごはんを食べるのもそう。

最初は"あ〜ん"してあげないと食べれない。

 

でも時間が経てば、まずはひとりで手づかみで食べようとして、少しずつスプーンを使ったりお箸を使ったりして食べれるようになっていく。

なんなら手伝ってあげようとしてもその手を振り払って「自分でやる!」っていう姿勢でやり通す。

 

彼らは生きるために何をしなきゃいけないか、を彼らなりに必死で考えてる。

 

「待つ」ことの大切さ

 

赤ちゃんが自分の力で立とうとしてる時、どうしてた?

支えようとすることもあったかもしれないけど、最後は自分の力だけで立つのを「待って」たんじゃないか?

 

そうやって支えたいのをグッとこらえて「待って」る時。

手を貸したいのを必死で耐えてる時、すごく苦しかったはず。

それを経て、自分の力だけで立った時の喜びは何物にも代えがたいものがあったんじゃないか?

 

何事もそうなんだよ。

 

ひとりで立とうとする時、何回も転んだだろう?

 

さすがに頭を打つかもしれないってなった時は手が出ることもあるだろうけど、それ以外は「待って」たはず。

 

「待つ」のってとてもシンドイことだけど、それが大事なことなんだ。

 

失敗するかもしれない。

失敗してケガをするかもしれない。

大泣きするかもしれない。

 

それでも待つんだよ。

 

あなたが差し出したその手は、もしかしたらひとり立つことができる瞬間の一歩手前だったのかもしれない。

 

あの"何物にも代えがたい感動"を自らの手で潰してしまったかもしれない。

 

意識がない1歳とかならまだ記憶がないからいいかもしれないけど、それが5歳とか6歳とかだったらどうだろう?

 

こどもからすれば「あとちょっとで自分ひとりでできたのに!」って烈火のごとく怒るかもしれない。

 

ひどい場合は、それがトラウマになって親のことを嫌ってしまう可能性だってある。

 

自分ひとりの力だけで何かができるようになるのは大いなる「成長」だ。

 

その成長を親が止めてどうする?

 

どっちがいい?

 

こどもは勝手にどんどん成長していく。

 

いつの間にか首が座ってるし、いつの間にかハイハイできるようになってるし、いつの間にかひとりで立てるようになったりしてる。

 

そのタイミングは本人にしかわからない。

 

なんなら本人にすら何もわかってないのかもしれない。

 

親は、それを黙って見守ることしかできない。

でもそれでいい。

 

いざという時。

このままだったら命の危険にまで及んでしまう、って時以外は、じっくりみていればいい。

 

失敗するのを見届けるのも親の役目だ。

 

その失敗を親が恐れて先に手を出してしまったら、その子の成長を止めることになる。

こどもが失敗を恐れてないのに、何もできない、感覚の共有もできない親がそれを恐れてどうする。

 

「しっかり育てなきゃ…!」なんて意識を持ってる人にありがちなこと。

 

そういう親の子は反抗的になり、中学生あたりですさまじい「反抗期」が訪れる。

 

その後の親子間のコミュニケーションもうまくいかなかったりする。

 

放っときゃ勝手に育っていくよ。

 

それを横で温かく見守ってる親の方が「反抗期」とかはないし、後々コミュニケーションがしっかりとれる親子になれる。

 

どっちがいい?

 

ご清聴ありがとうございました。

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