こどもが成長するのは少しずつなのだから我慢が大事:こども食堂店主のひとりごと

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torakchi

こども食堂【虎吉】店主。整体師。音楽家。水墨画家。バツ3。元女性風俗セラピスト。元PA(音響)。

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子育て

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『こどもが成長するのは少しずつなのだから我慢が大事』。

 

こども食堂では毎日こどもたちが来る。

 

来るのは小学校4年生から中学校2年生の間の子たちがいちばん多い。

年齢で言うと10〜14歳。

 

精神的にも身体的にもいちばん成長する時期。

 

こども食堂虎吉だからこそ目の当たりにできるこどもの成長があった。

 

そこには必ず「我慢」があった。

そんなお話。

 

大人が焦りすぎてる

 

昨今。

気持ち悪いこどもが存在する。

"気持ち悪い"って言いすぎだろ……って思うかもしれない。

不快にさせる言い方かもしれないけど、実際にそんなふうに思った事実は曲げようがない。

オブラートに包んだところで何も面白くないのでそのままお伝えする。

細かいことを言うと"気持ち悪い"の矛先はこどもじゃなく、もっと別のところにある。

 

話を戻そう。

まだ2ケタの年齢にもなってない小学校の低学年のこどもたちが来ることが虎吉にはある。

 

僕の中のイメージでは、それぐらいの年齢なら礼儀はなってないし、言葉使いも知らない。知るわけがない。

同じぐらいの年齢の人間がそれをしてたら間違いなくボコボコにしばいてるぐらいのことをヤツらは平気でしてくる。

でもそんなもんは当たり前だと思っている。

 

だってこどもなんだもの。

知識も社会経験もまだまだ浅い。

 

でも中には「社会人なりたての営業マンか?」ってぐらい礼儀も言葉使いもキチンとしたこどもがいる。

 

「ありがとうございます」

「いただきます」

 

これぐらいならまだいい。

なんならそれすら別に言わなくても特に何も思わないけど。

 

もっとエグいのが、帰る時にドアを閉める前に「またお願いします」と放ったこと。

 

歳を重ねた大人が言うなら全然理解できる。

まだ1ケタの年齢のこどもからそんな言葉が放たれたことに僕と若女将は違和感しかなかった。

違和感というよりもはや"嫌悪感"に近い。あまりにも気持ち悪すぎて、まるでコントのようにタイミングばっちり目が合ったほどだ。

 

なんでそんなことになったのか?

 

おそらく親がそうやって教えてるんだろうな、と。それしか考えられない。もしくは通ってる塾の先生とか。

いずれにしても誰かしら"大人"が教えたのはおそらく間違いない。

 

なんでそんなことを教える必要がある?

 

そんな"社交辞令"的な言葉なんて、社会人になってから上司とかセンパイとかに教わるものではないのか?

 

そんな言葉を使っても意味なんか分かってない「テンプレ」にしかみえないから、よそよそしくて気持ち悪くてしかたない。

 

まるでロボットみたいに感情がこもってなかった。

 

でもそんなこどもは多い。

 

これが現代だからなのか昔から似たような感じはたったのかはわからない。

わかったところで気持ち悪い事実は変わらないけど。

気持ち悪いのはそれを教えようとしてる"大人"の方だ。

こどもに罪はない。

何をそんなに焦って大人にしようとしてるのかしら?

 

そこにはなんか、すごく"大人の焦り"を感じた。

 

焦ると痛い目に遭う

 

そもそもの話。

人間の成長なんてものすごく時間がかかるもの。

 

生まれてから大人になるまで最低でも20年はかかる。

しかもそれは身体的なことに限っての話。

それでも20年ってデカい。

身体が成長するのに人生の4分の1も費やしてしまってる。

 

精神的な成長はさらに時間がかかることもある。

 

僕自身は40を過ぎたあたりでようやく精神的に成長できたな、というのを自覚している。

普通に考えたらだいぶ遅いと思う。

 

でもそんなもんは人それぞれの成長曲線というものがあるから、どうしようもない。

 

身体が大きくなったからといって精神も成長するとは限らない。

 

むしろ身体は大人なのに中身がまるで成長してない大人なんて腐るほどいる。

 

そっちの方が多いんじゃないかってぐらい。

 

身体の方は放っといても勝手に成長していくもの。

栄養さえちゃんと摂れていれば。

 

でも精神的なものは、勝手に成長する部分もあるけどそうじゃないところもたくさんある。

 

勝手に成長しない部分の内訳は"大人が諭すところ"と"大人が我慢するところ"。

大人が諭すのは、タイミングがすごく重要で、何でもかんでも大人が先にアドバイスをしてしまうと、それがないと何もできない人間になってしまう。

いわゆる「指示待ち人間」。

そんな人間は社会に出ても何の役にも立たない。

自分で考えて自分で行動できる人間のほうがはるかに重宝される。

 

"自分で考える"ということをさせるにはかなりの「我慢」が必要になってくる。

 

そしてそれには膨大な時間と労力を必要とする。

 

それを焦って大人が先に先に教えてしまうから"またお願いします"なんて言葉を発する「気持ち悪いこども」に仕上がってしまうのだ。

 

そんなこどもを何人もみた。

彼らの行く末が心配だ。

 

こどもは放っとけばいつの間にか成長するもの

 

虎吉では基本的にこどもたちに対して何も言わない。

何かやらかしても黙って放置してる。

あまりにも度が過ぎたり、誰かを傷つけたりした時はすぐさま言うけど、基本的には放置。

 

たとえ言葉使いがなっていなくても、態度が悪くても何も言わない。

 

それが虎吉の教育方針だ。

 

それで自分で痛い目をみればいい。

痛い目をみたときに初めて自分で考える。

そんな時にそーっとアドバイスをしたりもする。

 

それでもまた同じことをやらかすのがこどもだ。

 

そうやって何回も繰り返してるうちに、いつの間にか彼らは成長してたりする。

 

急に挨拶ができるようになっていた「Aくん」がいた。

 

Aくんは全然挨拶をしなかった。それでも僕らは何も言わない。

言って挨拶したところで、何の意味もないからだ。

そんなことをしてしまうとさっきの"またお願いします"って言った子とさして変わらない「ロボット」のような子になってしまう。

放っておけばいつか挨拶ができるようになるかもしれない。

ならないかもしれない。

そこに僕らには何の責任も義務もない。

だから放置できるという"精神的な甘え"は確実に存在する。

 

ある日、Aくんは友達のBくんと一緒に来た。Bくんは明るく大きな声で「こんにちは!」と言った。

それは心のこもった挨拶でとても気持ちよかったので、こちらも丁寧に「はい、こんにちは」と笑顔で返した。

 

いつも挨拶をしないAくんは、その様子をとなりで不思議そうにみていた。

 

その次来た時からAくんに変化があった。普通に「こんにちは」と挨拶をするようになったのだ。

しかもそれがいわゆる「言わされてる」ものではなく、ちゃんと相手の目をみて声も届くようにはっきりとした"心のこもった挨拶"だった。

最初は明らかに緊張した感じでおどおどしていたけど、だんだん慣れてきて毅然とした挨拶がでいるようになっていった。

 

Aくんの中で何が起きたのかはわからない。

おそらく「挨拶をすれば気持ちよく大人が返してくれる」ということを間近でみたことで学んだんじゃないかと思う。

 

それ以降、Aくんは必ず挨拶をするようになったし、なんなら弟を連れてきた時に「ちゃんと挨拶しろよ!」って教えてた。

 

どの口がゆーとんねん。笑

 

だけど全然挨拶をしなかった子が心のこもった挨拶を気持ちよくできるようになったことはすごく大きな成長だ。

 

しかもそれが自分で気づいて考えてやったことだから、忘れることなく自ら進んでできる。

自ら進んでやることは継続できる。

何とも嬉しい出来事だった。

こういう瞬間は「こども食堂やっててよかった」と心底思う。

 

他にも、生意気だった女子が急に大人になって友達を諭すようになったりだとか「どの口がゆーとんねん」な事案はたくさんある。

 

黙って我慢してみてればいつの間にか成長するもんなのだ。

どうして彼らがそんなに成長できたのか?

 

おそらくだけど、彼らは普段の僕らのやりとりをよくみてるんだろうな、と思う。

お客さんに対する態度とか雰囲気とか。

もしあの時に僕らがAくんの友達のBくんに対して挨拶の返事をしなかったとしたら。

 

もしかしたらAくんはまだ挨拶をしないままだったかもしれない。

ただ黙ってみてるだけじゃなく、大人がそういう姿勢をきちんとみせてお手本にならないといけないな、とは思う。

 

成長を止めてる原因は「親」の可能性

 

僕自身、精神的な成長を自覚したのは40を過ぎてから。

それは僕の親がものすごく厳しい人たちだったから。

 

それは決して人のせいにしてるとかじゃなくて「愛着障害」という精神的な疾患に近いもの。

 

発達障害みたいに明確な基準がないものだから、精神疾患認定はされていない。

 

自分も親の立場になったからよくわかる。

 

こどもの精神的な成長が遅いのは親にも原因はある。

 

「自分がそうやって育ったから」といって、それが我が子にも通用するかどうかはまったく別の話で、こどもだろうとひとりの人間だ。

それぞれに価値観や考え方がある。

同じ遺伝子だからと言って、必ずしも似たような人間になるかなんて育ってみないとわからない。

 

そういう感覚がない人間は、高確率で"親として"は失敗する。

 

何が失敗かは人それぞれ考え方があると思うけど、今現在僕は親との関係はうまくいっていない。

僕自身は別にそれでもいいと思ってる。

 

いつかお互いに歩み寄れるタイミングがあればその時でいい、と。

 

それがいつ来るかはわからない。

もしかしたらずっと来ないままかもしれない。

 

自分のこどもがそんなふうにそんなふうに思ってたらイヤだな、とは思うから、そういう意味では僕の親は子育てに「失敗」したと言える。でもそれもあくまで僕の感覚だ。

もしかしたら親自身はそんなこと意にも介してないかもしれない。笑

勝手にせぇ、と。笑

それならそれでもいい。

二度と交わることはない。

 

話を戻そう。

 

こどもだってひとりの人間だ。

経験値が浅かったり、知識がないだけ。

その子なりの考えや感覚があって、それは自分とはまったく別のものであるということを親は肝に銘じておかないといけない。

絶対に忘れちゃいけない。

いちばん大切なのは、こどものことをよく理解すること。

その子は何に喜んで、何が嫌なのか?

目立ちたがり屋さんなのか、引っ込み思案なのか。

それも日々変わっていくものだから、よくみておかないとわからなくなる。

決めつけはよくない。

 

その上で、大人として、人生のセンパイとしてできることをやればいい。

時には我慢することも必要だし、失敗して傷つくのを黙って見守ってあげないといけない時もある。

それは何よりもツライこと。

先に失敗を防ぐのは簡単だ。だけどそれはこどもの可能性を潰してしまうことになる。

まわりと比べるなんてもってのほか。

 

その結果、冒頭のような「気持ち悪いこども」に仕上がってしまうこともある。

 

どっちがいい?

 

ご清聴ありがとうございました。

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