おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『学校行きたくない?行かなくていいやん。地獄みる覚悟あるならな』。
こども食堂に来る子の中には「学校が面白くない」とボヤく子がたくさんいる。
それでも行かないといけない、と続ける。
なぜ?
みんな行ってるから。
親に怒られるから。
なんとなく。
などなど、これといって明確な理由は見当たらない。
キミの意志はどこにあるんだ?
別に行きたくないなら行かなくてもいいというのが僕の個人的な意見。
義務教育の小中学校なんて出席ゼロでも卒業したっていう実績にはなる。
ただ。
行かないなら行かないで地獄をみることにはなることは覚悟しておいた方がいい。
それでも「行かない」という選択をとることができるか?
ひとつめの地獄:友達がいなくなること
中学校までは義務教育だから、親はこどもに教育を受けさせる義務がある。
これは憲法で決められているので、全国民が"それが当たり前"という意識になってる。
だから同年代のこどもたちはほぼ全員、文句を言いながらも学校に通うことになるわけで。
ニッポンという国は"右へ倣え"の文化なので「みんなが行ってるなら自分も行かなければ」という、よくわからない意識になる。
みんな行ってるのに自分だけ行かないとなると、変わり者というレッテルを貼られてしまうことがある。
家の事情とか病気で行かないという明確な理由があったとしても、その扱いはあまり変わらない。
それほどに"右へ倣え"の同調圧力はえげつない。
そんな中「学校に行かない」という選択をとるとどうなるか?
最初のうちは気にかけてくれる人が何人かはいるだろう。
でも行かない期間が長くなれば長くなるほど存在を忘れられていく。
久しぶりに学校に顔を出した時、それまでとは全然違った雰囲気になってて、自分の居場所がない、なんてこともある。
そうなると居心地が悪くなり、さらに行く気がなくなってまた行きたくなくなる、という悪循環に陥る。
やがて誰からも相手にされず、孤独になる。
義務教育期間である小・中学生のうちは行動できる範囲が限られるから、学校以外で交友関係を持つのはなかなかハードルが高い。
ネット上で関係を作れたとしても、なかなか学校の友達のように頻繁にというわけにはいかない。
同じ市内とかならまだしも、県外とか遠方だと会うこともままならない。
つまりどうあがいても、とてつもない孤独を味わうことになり、これはなかなか地獄である。
ふたつ目の地獄:知識や経験を得られないこと
学校の勉強なんて基本的には社会に出てもあんまり役にも立たない。
てゆーか覚えてないことがほとんど。
だけど行ってたら行ってたなりに、わりと覚えてたりするもんで。#人による
そのうる覚えの知識が、ふとした時に役に立ったりもする。
全国民が同じように義務教育を受けてきてるから、同年代の人としゃべってる時に共通の話題になって「あれ何やったっけぇ???中学で習ったやつ〜」みたいな感じで盛り上がったりすることもある。
同年代じゃなくても学校で習ったものはわりと共通していて、世代が違っても学校で習ったことの話で盛り上がれたりする。
僕は社会人になってから坂本龍馬のファンになったので、幕末のことを改めて勉強し直したんだけども。
大筋の流れみたいなものはわりと覚えていて、学校で学んだこともわりと捨てたもんじゃねぇなと思った。
他にも、定期テストとか修学旅行、文化祭、体育祭、部活などなど、学校でしかできない経験っていうのは、社会に出た時にいろんな人と共有できるものでもある。
社会にはいろんな人がいるけど、だいたいみんな義務教育を受けてきたという土台は同じだから、そういう共通の話題があるとそれで盛り上がることもある。
そこから話が広がったりして交友関係ができていったりする。
その経験を自ら放棄した人、放棄せざるを得なかった人も社会には存在する。
だけどみんな口々に言う。
学校っていうものを経験しとけばよかった。
経験してみたかった。
ってね。
中には社会人になって「学校に行ってない」という理由だけで爪弾きものにされてツラい思いをした人もいる。
ただ「学校に行ってない」だけなのに、地獄のような思いをした、と。
みっつ目の地獄:仕事がないこと
日本という国は学歴を重んじる傾向がある。
昔に比べたらずいぶんマシにはなったかなと思ったこともあるけど、種類が変わっただけだった。笑
いまだに学歴を重んじる傾向は根強く残ってる。
でもそれも仕方がない。
どこの学校を出たとかでその人の能力値をある程度測ることができるからだ。
わかりやすいのが"東大"みたいな一流大学。
そういう学校に入るには、ものすごい量の勉強をしないと入れない。
そのために塾に通ったり、寝る間を惜しんで勉強したり、みんな死ぬ気でやってる。
一流大学に入れたということは、それだけ努力ができる人間なんだ、という見方もできるから学歴はないよりはあった方がいろいろ有利にはなる。
昔のように終身雇用なんてものはもうないけれど、就職できる幅が広がって、人生が豊かになる可能性は上がる。
一方で、中卒が最終学歴の人は「学生時代何も努力をしてこなかった人」っていう偏見を持たれることがある。
『努力はしてた。けど家庭の事情で中学校に通うことができなかった。』
それでも中卒の肩書はとりあえずもらえるから、どのみち中卒扱いになる。
"家庭の事情"という明確な理由があったとしても、そんなこと他人にはわからないので「努力をしてこなかった人」っていう偏見を持たれることはよくある。
だから中卒の人は就職しようと思っても、雇ってくれるところが少ないのが現実。
パッと思いつくだけでもこれだけの地獄を味わう可能性がある。
学校に行かないという選択肢
それでも行きたくないというなら行かなければいい。
僕はむしろ行かないことを推奨する。
そういう地獄を味わってる人間の方が深みが出て面白いと思うから。
自らその道を選んだ人にしても、望んでないけどその道に行くしかなかった人にしても、行ってない人と話をするのは面白い。
みてる景色が全然違うから。
僕自身はわりとマジメに学校には行ってた人間なので、話は尽きない。
もし行かないという選択をするのであれば、将来やりたいことを明確にするといいと思う。
人が生きていくためには仕事をしないと生きていけない。
一流大学を出ていれば選ぶこともできるから、高い給料をもらえる仕事にも就くことができる。
でも中卒だとなかなかそうはいかない。
それなら自分で仕事をすればいい。
そしてどうせならこの先長く生きていく上でずっとできることの方がいい。
たとえば音楽をやりたい、とかね。
音楽の世界は学歴なんて関係ない。
むしろ他の人と違う感性を持ってる方がそれが有利に働くことが多い。
学校に行ってない時間を使って楽器を練習したり曲を作ったりして、音楽の知識や技術を積み上げることができる。
それはそれで地獄をみることにもなるけど。
なかなか上達しなかったり、覚えられなかったり曲ができなかったり。
一朝一夕にはいかないことばっかりで、それはそれはツライ経験をするハメにはなる。
だけどモノになった時は何物にも代えがたい喜びにもなる。
可能性はゼロじゃない。
音楽以外のことでも同じ。
人と違うことをやるっていうのは、それなりにしんどいこと。
それなりどころじゃない。
とんでもねぇ地獄をみることだけは覚悟しとかないといけない。
その覚悟はあるかい?
もしその覚悟がないのなら、頑張って行くしかないんじゃないかな。
僕自身は学校が面白いと思ったことはある。
授業の内容によってはだけど。
理科の実験なんかはワクワクしながらやってたし、数学とかでも解けた瞬間は面白いなと思ったことは何回もある。
学校が面白くないなら自分で面白くすればいい。
先生がクソすぎて授業がつまらないこともある。
それなら聞いてるふりして教科書の面白いところを探すなり、自分なりにプラスになるような時間の使い方をすればいい。
面白くない
ってボヤくのは簡単なこと。
でもボヤいたところで学校がなくなるわけじゃない。
ネガティブな気持ちで学校に行かないという選択をしたところで、何も変わらない。
むしろ後から高校に行きたくなって学校に行かないとどうにもならなくなったらそこからが大変だ。
死に物狂いで勉強しないといけなくなる。
そうならないようにするためには、覚悟を決めて「学校に行かない」という選択をするか、学校という枠の中で面白いことを探すか。
どっちかしかないんじゃないかな。
戦争とかで学校に通うことができなかった人が高齢になってから改めて学校に通う、なんてこともある。
どうしてもっていう明確な理由がない限り行っておいて損はないと思う。
ご清聴ありがとうございました。



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