おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『日本のヒップホップは童貞みたいなもの』。
いろんな人に怒られそう。笑
日本のヒップホップはどうも軽いという印象が払拭できない。
それは、ヒップホップが流行ってた10代ぐらいの時からずーっと思ってたこと。
当時は音楽はやってたけど、全然違うジャンルだったからそこまで興味もなかったし「流行ってるなぁ~」ぐらいの認識でいた。
だけど、今ヒップホップのビートを作る側になって余計にそう思うようになった。
それはヒップホップの歴史を勉強したから。
むしろ勉強すればするほど軽さは増していくばかり。
でも軽い軽いと嘆いてても前には進めないので、どうして軽いと感じたのかを知りたくなった。
ので。
分析してみた。
まず。
ヒップホップが生まれたのは1970年代、アメリカのニューヨーク。
ニューヨークは世界でも有数の大都市。
…の「サウス・ブロンクス」。
その頃の日本といえば、万博が開催されたりベビーブームが起きたり、なんやかんやイケイケな時。
サウス・ブロンクスは治安があまりよろしくなかった。
そんな中で生まれたのがヒップホップ。
その根底には黒人差別に対する反骨の魂がある。
彼らは生きるためにドラッグを密売したり、それが原因でギャング同士の抗争が起きたりしてた。
悪いことをしたくてやってたわけじゃない。
むしろ平和に生きたかったんじゃないかと思う。
そういう観点でみると日本はどうだ?
日本にも治安が悪い地域はあるけど、ブロンクスほどじゃない。
ドラッグの密売もギャングの抗争も皆無ではないけど、そこまで目立ったものじゃないし数は少ない。
全員肌の色は同じ。差別はあるにはあるけど、やっぱりそこまで目立ったものじゃない。
銃もないし、ブロンクスに比べれば平和そのものだ。
だけど日本のヒップホップをやる人たちはわざと悪そうな格好をしたりわざと悪いことをしてみたり。
悪いことをする=ヒップホップ
だと思ってる人が多い。
違うくね?
彼らは生きるためにそうするしかなかった。
そうしないと明日、生きられるかもわからないっていう恐怖の中でしかたなくやってたこと。
ホントにそんなことをしたいと思ってやってたのだろうか?
中にはイキってやりたがる人もいるのかもしれないけど、大半の人は差別されることなく平和に暮らしたい、っていうのが本音なんじゃなかろうかと。
そう考えると日本のヒップホップって、生きるか死ぬかのギリギリのところで育ってきた人なんてほとんど皆無。どっちかっていうとぬくぬく平和に育ってきた人たちばっかり。
もうその時点でヒップホップじゃない。
でもそれを言うとブルースとかソウルにも同じことが言える。
でもそういったジャンルはヒップホップみたいなダサさは感じない。
この違いは一体何なのか?
僕の個人的な見解は「魂」の差。
そこに魂がこもってるか否か。
魂っていうのは数値とか目にみえるもので表せるようなシロモノじゃないから言語化するのが非常に難しいんだけども。
極論、魂がこもっていれば技術は関係ない。
駆け出しの中学生だって魂がこもってれば人を感動させることはできる。
逆にいえばどれだけ演奏が上手かろうが、魂がこもってなければ何も伝わってこない。
ブルースとかソウルとかはそういう魂がこもってるからヒップホップみたいなダサさは感じない。
だけどヒップホップはそういう魂がこもってないものが多すぎて軽く感じてしまうんだと。
それをなかなか上手く表現できなかったんだけど、こないだ中学生と下ネタ雑談してる時にふと思った。
日本のヒップホップは童貞みたいなもんだな、と。
虎吉にくる中学生のほとんどはまだ童貞のチェリーボーイ。
セックスどころか女の子とつきあった経験すらままならない。
あいつらはセックスがどうとか性の話題になった時、すごくイキがってる。
そのくせこっちが問い詰めてみると恥ずかしくなって顔が赤くなったりする。
かわいいやっちゃ。笑
自分にもそんな時期はあった。
知らないけど憧れの世界。
知ってたらまわりに尊敬される。
だから知ってる風に装ってみせる。
でも、高校生とかになるとそういうのは一気に落ち着く。
みんなそれぞれ経験してるから。
日本のヒップホップの人たちみると童貞がイキがってセックスの話をしてるのと酷似してる。
長らく感じてたものの正体がやっとわかった。
日本のヒップホップをやってる人たちの中で、ヒップホップのルーツを知ってる人がどれほどいるんだろう。
知らなくてアレなんだったらまだ救いようはある。
でも、もし知っててアレなんだったらだいぶヤバい。
ただのヒップホップごっこにしかみえない。
ヒップホップっぽいことをやってるだけ。
ヒップホップは元々、DJがファンクとかのレコードをかけていた時に、間奏部分(ブレイクビーツ)で踊ったりラップを披露したりしたのが始まり。
だからヒップホップには誰かの曲を拝借する「サンプリング」文化がある。
そこから自分たちの気持ちイイ音を探してカスタマイズするようにもなった。
日本のヒップホップにはアメリカのヒップホップ音源のビートをそのまんま使ってるような人たちもいる。
恥ずかしいと思わないのかしら?
あれを個人で発信するだけならまだしも、いろんな大人が絡んでる中でやってるならホントにやばい。誰かひとりでも「これやばくないすか…?」とか言わなかったのかしら?
ダサいとかの域を超えてヒップホップに対する冒涜だ。
そりゃ魂を感じないわ。
文句しか出てこん。笑
僕自身、いろんなヒップホップを聴いてみたけど、今のところほぼほぼそんな感じ。
まだまだ聴いてないアーティストはいるからそうじゃない可能性はあるけれど。
あんまり期待はできない。
でもたぶんヒップホップをやるっていう意識でやると可能性はかなり狭まるんだろうな。
音楽はこの世界にはたくさんある。
いろんな音楽の要素を盛り込んでそこにラップを乗せるっていう感じにした方が良さそう。
ヒップホップが日本人に馴染まないのはそういうところに要因があるのかな、と。
日本の音楽の歴史をみても、チャートの上位に食い込んでるヒップホップと名のつくものはほんのわずか。
やっぱりどの時代をみてもメロディはすごく大事。
ラップだけじゃなくてメロディが乗っかった曲ならわりとみんな知ってるけど、ラップだけの曲ってほぼ誰も知らない。
ヒップホップ好きの人は知ってるけど…みたいな。
それはそれで素晴らしいことだけど。
どうせやるなら音楽の歴史に名前を刻むぐらいのことはしたい。
ZIPPO鍛えるかー。
ご清聴ありがとうございました。
コメント
魂込めてます