おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『こどもにやりたいことがあるのとないのと』。
まさに今直面してる、こどもたちが生きるか死ぬかにかかわってくること。
虎吉にはいろんなこどもがきてて。
プロサッカー選手になりたい人。
プロ野球選手になりたい人。
ラッパーになりたい人。
何もやりたいことがなくてただなんとなく生きてる人。
こどもに限らずだけど、やりたいことがある人は目がすごく輝いてる。
そのまま輝いた目のまま成長していってほしいと願うばかりなりけり。
心を折ろうとしてくる人は少なからずいるけど。
そんな人に負けることなく、成長できるようにメンタルの底上げをするのもこの虎吉での役割かなーと勝手に思ってる。
自分の目でみたものと、人から聞いた話も踏まえると、ホントにこどもの夢とか希望を否定してくる大人は多い。
なんでそんな簡単に否定するのか1ミリもわからない。
否定された側がどれだけ落ち込むかを分かってて言うのかしら。
だとしたら。
落ち込ませてどないするのかしら。
何がしたいのかしら。
残念だった自分と重なるように引きずり下ろしたいのかしら。
しかもそれが親とかチームの監督とかコーチみたいな、密接に関わってる人間が否定するケースが多い。
応援すべき人がなぜそんなことをするのーーーー。
百歩譲って。
否定して得られるものといえば、否定されたことで湧き上がってくる「反骨魂」。
それを糧に頑張れというメッセージなのかもしれないけど、それはあまりにも二度手間で効率が悪い。
⇒褒めたらアカン文化が二度手間な件:こども食堂店主のひとりごと
一旦凹んでしまった気持ちはかなりマイナスになる。
まずそれをゼロに戻すだけでも時間がかかる。
時間だけじゃなくてエネルギーもかなり消費する。
そこからさらにまた気持ちをプラスの方向に持っていかないといけない。
こうして書いてるだけでもめんどくせーわ。
ごらんのように、否定するのってかなり時間と手間がかかることだし、人によっては凹んだまま二度とはい上がれないぐらい気持ちが落ちてしまうこともある、っていうリスクもはらんでる。
ヘタしたらそのやってることを辞めてしまうことだってある。
そんなリスクを冒してまでやることなのか?
褒めたら調子に乗るからもっと謙虚になれってことなのか?
調子に乗って失敗することを恐れてるから否定するのか?
人生調子に乗ってナンボじゃないか。
調子に乗るぐらい自分に自信を持つことは素晴らしいことじゃないか。
調子に乗って失敗するのをみてられないってのもある。
逆ですねん。
失敗はするものと想定しとてあえてそれを見守るのが教える側の仕事。
とゆーわけで。
否定することは1ミリもためにならないから、言われたとてそんな言葉は無視しとけばいいし、言う側の人間はマジでやめた方がいい。
やりたいことがある人はいろいろ大変なこともあるけど、やりたいことのことを語る時とか、実際にやってる時とかは目がギラギラに輝いてるから、その目の輝きは失わないように、なんならもっと輝かせるために大人がちゃんとみてないとダメだ。
一方で。
やりたいことがない人は目が死んでる。
そして無気力だ。
大人でそういう状態になってしまってる人はもう再起するのはなかなか難しい。
てか再起不能。
それってどこに原因があるのかを考えたら。
もちろん自分自身でそういう道を選んでしまったっていうのもあると思う。
でもさっきみたいに否定ばっかりされて育ってきた可能性もある。ていうかむしろほぼそれかと。
否定されて落ちた人間の成れの果てがそれだ。
つまり親やまわりの関係者は自分たちでそういう人間を作ってると言ってもいい。
大人ならまだしも、こどもでもすでにそういう死んだ目をした子は少なからずいる。
そういう子はやっぱり親に否定ばっかりされてしまってる。
そのまま育っちゃうと死んだ目の大人になっちゃう。
そして自分のこどもに対しても同じことをしてしまう可能性が大。
それが積み重なって今の日本の「褒めない文化」が出来上がってしまった。
目が死んでるだけならまだいい。
それがそのままさらに歳をとると、かなり卑屈な人間が出来上がってしまう。
もう何を話しても否定ばっかり。
生きてて楽しいんだろうか…
って思っちゃうぐらい希望のかけらも持ち合わせてない。
そんな人間になってほしくないなー、と思うんだけど、この世から否定する人間はいなくならないだろうなーとも思う。
親が自分のこどもを否定するのは親自身を自分で否定してるも同然。
こどもは親の鏡。
そしてそういう親に育てられると、自分のやりたいこともわからずに自分自身がみえなくなってそのまま腐っていく。
最悪の流れができてしまう。
止められないのかーーーーー。
ご清聴ありがとうございました。
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