おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『偉そうにする人が迎える孤独な末路には同情の余地もない』。
世の中には偉そうな態度をとる人がたくさんいるけど、その人たちはいずれ孤独な末路を迎えるので温かく見守ってれば大丈夫。
時代は今、昭和・平成を飛び越えて令和になって、優しい世界を提唱する世の中になっているというのに、そんなの知らん顔。
いまだに昭和のあの頃が忘れられない人たちが特に偉そうに振る舞う人が多い。#高齢の方は特に
でも、若くても偉そうな人はたくさんいるので、どうやら年齢とか時代はあんまり関係ないようで。
自分の体験や聞いた話も含めると、偉そうに振る舞う人は、最終的に孤独な末路を迎える確率はおよそ8~9割。ほぼほぼ孤独な末路を迎えると言っていい。
だけど、残念ながら本人にはその自覚がない。
まぁ、だからこそ孤独な末路を迎えてしまうんだろうけど。
最悪な末路「孤独死」
偉そうに振る舞う人が孤独になるのはだいたい同じ道筋をたどる。
一見、人との交流が盛んにあるようにみえて、実は陰であまり良く思われてなかったりとか。
権力とかお金を持ってる人がこうなりやすい。
そして権力とお金を持ってるがゆえに偉そうな振る舞いをする。
だけど権力もお金もなくなった時には、それまで寄ってきてた人たちがクモの子のように散っていく。
そこでそれまでの振る舞いを省みて自分の過ちに気がつく人もいる。けど、それでも自分を省みない人はどんどん孤独になっていく。
中には権力もお金も持ってないのに偉そうに振る舞う人もいるけど、もう意味不明。
家族からも見放され、職場でも誰にも相手にされず、何が楽しくて生きてるのかわからない。
そして迎える最悪な末路は孤独死。
以前、YouTubeで遺品整理士さんの仕事をみたことがあって、孤独死の方は死後1週間とか1ヶ月とか誰にも発見されずにそのまま放置されるらしい。
んで、まわりの住人が異臭によって発見する、と。
発見した時にはいろんな体液が床にしみ込んで跡とか匂いが残ったりして超大変なんだとか。
ほぼほぼ自宅で発見されることが多いらしく、その後いくらキレイに掃除しても誰も住みたがらないとかなんかいろいろ大変。
そりゃそうよね。
知らない誰かがここで死んだんだって思うと、いくら安くてもちょっと気が引けてしまうのが心理。
あれはホントに悲しい。
でも孤独死っていうのはそういうことで、誰にも気にもかけてもらえない。
偉そうにする人ってどんどん人が離れていってしまって、孤独死する確率がめちゃくちゃ高くなる。
余談だけど、僕の従兄弟のお父さん、つまり僕の叔父さんが孤独死を迎えたと聞いた。
それはそれは聞くだけでも悲惨なもので。何が悲惨かっていうと、こどもであるはずの従兄弟が「ほんま、死んでまで迷惑かけんといてほしい」ってつぶやいてたこと。
死んでから実のこどもにそんなこと言われてしまうほどどうでもいい存在になってしまってることに僕は恐怖を覚えた。
小さい頃によく遊びに行ってたからその叔父さんのこともよく知ってるし、遊んでもらってた記憶もある。
ただ、偉そうに振る舞ってたような記憶もあるから、「あぁ…しかたないか…」って思わざるをえない部分もあった。
孤独死する人の一例を体験した。
偉そうに振る舞う人の心理
偉そうに振る舞うことで「孤独死」に向かってしまうのなら、是が非でもそれは避けたいところ。
どうしてそんな偉そうな態度をとるのか理解できないって思ってたけど、自分の過去を振り返ってみると、そんな態度をとってしまってた時期もあったなと、背筋が凍った。
その当時、僕はライブハウスで仕事をしていて、PA(音響)の仕事をメインで任されたり、本気でバンドでプロを目指したりとやる気と野望にに満ちていて、ずいぶん調子に乗ってたように思う。
そんな時、たまたま後輩Aとしゃべる機会があって、Aに対してずいぶん偉そうな態度をとってしまっていた。
偉そうな態度をとって相手がシュンってなったら優越感さえ生まれてとても気持ちよくなって悦に浸ってた。
調子に乗ること自体は何も悪くはないけど、それを人にぶつけると、とんでもなくおかしなことになっちゃう。
仮に自分がそういう態度をとられると、すごく不快な思いをするクセに、だ。
当然の事ながらそれは相手もまったく同じで、その後「なんかムカつく」と言われた。
そりゃそーだ。
そしてそれを言われた僕はひどい虚無感に襲われた。
そこから僕は自分と向き合ってひたすら考えた。
そしたらひとつの答えが出た。
偉そうに振る舞ったって何も生まれない。
生まれるのは「なんかムカつく」とか「なんで?(# ゚Д゚)」といったネガティブな感情ばかり。
なんならそれを生み出した張本人でさえ、その瞬間は気持ちいいかもしれないけど、後でネガティブな気持ちでいっぱいになる。
誰も幸せになれない。
この時を最後に僕は偉そうにすることは絶対にしないでおこう、と誓った。
その時の心境を考えると、結局自分に自信がなかっただけだった。
自分に自信がないから自分を大きくみせたい。
自分を大きくみせるために自分以外のものを否定して少しでも優位に立とうとする。
否定をしてなくても偉そうにするだけでそう聞こえてしまう。
そんな感じだった。
悲惨な末路を迎えないために
僕はたまたまこの時に偉そうな態度をとることなんて何の意味もないってことに気づけたけど、歳をとって何10年も生きてるのにいまだにそのことに気づけていない人たちがたくさんいる、ってのが大問題。
そんなことしてる人たちは、ホントに孤独で誰にも相手されていない。
誰にも相手されないのは、相手を1ミリも信用してないから。
相手を信用できないのは自分を信じれていないから。
自分を信じれないのは他人の評価ばかりに意識がいってしまって、自分と向き合っていなかったから。
自分と向き合っていないと自分自身のことがわからなくなって人の目ばかり気にしてしまう。
そして人から評価されないとすごく不安になる。
不安になるから相手を脅したりして評価をむりやり得ようとする。
そうすると人は離れていって、最悪の場合、孤独な死を迎える。
僕のまわりにもそういった人は少なからずいるけど、すごく寂しそうだ。
でも寂しそうにしてて、こちらがらいくら声をかけたとしても、もはや耳には入らない。
たぶん僕はまだ彼の中では信用されてる方なんだろうけど、そんな僕の意見ですら彼の耳には入らない。
耳には入ってるけど脳まで届いてない。
いちばん信用してる人間ですらその状態なのでもう誰の意見も彼には届かない。
これはホントにみるに堪えない。
ハッキリ言ってツラい。
でももう、どうしようもないんだ。
もしかしたら頭ではわかってるのかもしれない。
でもたぶん長年それでまかり通ってきてるから今さら素直になれなくてそのまま死ぬ間際まで貫き通すんだろうなと思う。
たぶん死を悟った時、ようやく素直になれる。
そんな気がする。
そしてその時に
「あぁ…素直になるのってこんなに簡単なことだったんだ…」
ってなりそう。
その時を迎えるまで特に何もできない自分の無力さが悲しいのと同時に、結局人を変えることができるのって自分自身だけなんだなぁ、と痛感。
僕はこんなに寂しい終末を迎えたくないので、しっかり自分と向き合って、常に謙虚でありたいと思った。
ご清聴ありがとうございました。



コメント