嘘はつかれる方にも原因がある:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

今回のテーマは『ウソはつかれる側にも原因がある』。

 

 

決して。

 

ウソをつくことを正当化しようとしてるわけではなく。

 

あくまでもウソをつかれた時に思うことである。笑

 

ウソをつくってことは、本当のことを言いたくない、もしくは言ってはいけない、言えない理由があるってこと。

嫌がらせでウソをつくこともあるけどそういうのはとりあえずおいといて。

 

僕はウソをつかれた時、自分に何か原因があったからウソをついた、もしくはつかざるを得ない何か理由があったのかな、と自分を振り返る。

決して怒ることはない。

怒っても何もならないし相手を委縮させるだけだ。

相手がこどもならなおさら。

 

でも相手がどなた様であれ、それが巧妙なものだったらウソかどうかなんてわからない。

 

仮にバレないまま終わるんだったらその方がいい。

 

でも明らかにこれはウソだな、ってわかることの方が多い。

 

その辺のセンサーはなんか優秀みたいで、わかってしまう模様。

 

ウソをつかれたってことよりも、何故そのウソをついたのかってことの方が興味がある。

 

家族とか友達とか自分に近しい人の場合、相手を傷つけてやりたくてウソをつく、なんてことはそうそうない。#そうであってほしい願望

 

それはだいたいウソをついた相手を傷つけたくないとか、怒られるからとか、そういう自己防衛的な理由であることが多い。

 

傷つけたくないからっていうウソは、相手を傷つけたくないっていう優しさからきてるものと、傷ついた相手をみたくない、っていう自己防衛的なものがある。

 

僕自身、そのテのウソはよくつく。

でもその場合、それがウソだとわからないように、徹底的にやる。

 

なんならそのウソが真実になるように動く。

ウソをつく時はそれぐらいの覚悟がいる、と思っている。

 

失敗して結局バレてしまうこともあるけれど。

 

どっちにしろその時はそれがウソだった、ってバレなければそのまますべて丸く収まる。

 

ウソをつくこと自体がいいか悪いかはおいといて、それが相手を傷つけたくないっていう理由なら、その心遣いは決して責められるようなものじゃない。

むしろそんな心遣いしてもらってありがとう。

 

そんなことよりも。

 

ウソをつかれる側になった場合、ホントのことを言ってしまったら傷つくと思われてしまってる自分がイヤだ。

 

その程度の人間なんだ、と思われてしまってることの方がなんだか悔しい。

 

怒られるからとか、自己防衛的な理由にしても同じく。

 

ホントのことを言ったら怒られる。

それは自分で悪いことをしたって思ってるってこと。

 

じゅうぶん反省してる証拠だ。

 

それならもうそれでじゅうぶんじゃないか。

…って思っててもその能天気な心が相手に伝わってないってことになる。

それまでにじゅうぶんな関係を築けてない証拠。

そっちの方がイヤだ。

 

それならコイツは何を言っても大丈夫、って思われてる方がよっぽど痛快だ。

 

嘘も方便

 

っていうことわざがあるように、ウソをつくことがいいか悪いかはその時の状況とか相手によるものなので、一概にどうこう言えるものじゃない。

 

たとえば。

自分がすごく大切に思ってる人が亡くなってしまった。

でもその人はすごく寡黙な人で、何を考えているかわからないような人だった。

その方の奥様が「あの人はあなたのことをとても誇らしく思っていた、と申しておりましたよ」って言われたら。

そんなことをいう人じゃないってわかってても。

それがウソかまことかなんてもう確かめようもないこと。

そういう言葉ってすごく救われる。

 

それがウソだったってわかったとしても、気を使って言ってくださったんだなーって、奥様の優しさを痛いほど感じる。

こんなウソならステキやん。

 

でもたいがいのウソはそのウソがバレてしまったらもうその時点でアウト。

 

なので。そうならないようにウソを誠にするしかない。

 

それができそうにないなら覚悟キメてホントのことを言うしかない。

でも。

その覚悟をなかなかキメることができない人間もいる。

 

だからホントのことをなかなか言えない。

なかなかホントのことを言えないでいると、次第に言うタイミングをどんどん逃してしまう。

 

そうなるともっと言い出せなくなる。

 

だけど僕から言わせれば、ホントのことを言い出せなくなるような空気を作ってしまってるから言い出せない、ってのもある。

こういう場合はウソをつかれる側に問題があるな、と思う。

そしてその空気を作ってしまうような人間は感情的な人が多い。

 

決して。

ウソを正当化しようとしてるわけではない。

 

ウソをつかれることがイヤっていう人はたくさんいる。

その中でも「ウソをつく」っていう行為そのものがイヤっていう人は多い。

でもそれは物事の表面しかみていない。

 

そしてそういう人に限ってウソってわかった時点で激昂して、その後の話なんか聞く耳持ってくれない。

 

そういうのは器の小ささを露呈してるようなものだなーと、はたからみてるこっちが恥ずかしくなるほど。

 

基本的に怒りの沸点が低い人間はそういうことでもすぐキレる。

だとしたら損をすることが多いし、そんな人間にはなりたくないしかかわりたくない。

 

ウソは基本的にはよくないことだとは思う。

でも中には悪意がみじんもないウソだってたくさんある。

 

ちゃんと物事の全体を見渡してから判断できる人間になりたい。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

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