ドラえもん好きなワタクシですが何か:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『ドラえもん』。

超国民的アニメで原作連載から50年以上経ってて、アニメも同じぐらい長期間にわたって続いてる。

そのうち旧声優陣がキャラクターを演じてたのは25年。

その声優陣が変わってから早20年が経とうとしている。

 

もうそんなに経ってるのかー…と。

 

先日風邪をひいて体調がすこぶる悪くなって一日中寝てる時にNetflixでひたすら旧ドラえもんをみてる時にふとそんなことが頭の中を駆け巡った。

 

小さい頃にも風邪で学校を休んでた時、ひたすらドラえもんばっかりみていたなー、と。

 

なんにも変わってねーや。

 

僕はドラえもんで育ってきたようなもので、人生でいちばん最初に描いた絵がドラえもんだった(覚えてないけど絵は残ってた)し、単行本は物心ついた時すでに全巻揃ってたし、映画は毎年観にいってた。

 

ドラえもんがなかったら今の僕は確実に存在していない。

 

そんなドラえもんで育った、僕のような人はたくさんいることと思う。

 

だからこそ、声優が交代になった時のショックたるや、すさまじいものがあった。

 

こんなのドラえもんじゃない……

 

最初の頃はまったく受け入れることができず、交代するぐらいならとっとと終わってくれた方がイイ…って何度思ったことか。

 

でも声優交代になったのが僕が24、5歳の時で、もう立派な大人になってからだったからまだよかった。

こどもの頃に交代ってなってたらショックデカすぎてたぶんトラウマレベル。

 

慣れるまでに5年ぐらいかかった。

 

慣れたといっても完全に受け入れれるようになったわけではなく、たぶん別作品として認識してたような感じ。

 

声優が変わればキャラクターも全然変わってるし、全体的な空気感はあの頃のドラえもんとは完全に別モノ。

 

でも。

そんな僕みたいな人間がたくさんいるからこそ、声優の皆さんの苦しみはそれこそ半端じゃなかっただろうな、とも思い始めた。

 

特にドラえもんの水田わさびさん。

 

どれだけ否定的な声に悩まされたことだろう。

 

そんなことを考えたら終わってくれた方がイイとか思ってた自分がすごくちっぽけに思えた。

 

ホントにドラえもん好きを名乗るならそれはそれで受け入れないと、ドラえもんを語る資格はないな、と。

 

どんな形であれ、ドラえもんはドラえもんだ。

 

今はもう普通にみれるし、水田ドラえもんは水田ドラえもんで素晴らしいドラえもん作品に仕上がってると素直に思える。

 

でもどっちが好きかって言われると0.1秒で、なんなら食い気味に旧ドラえもんって答える。

 

やっぱり別格だ。

 

なにが違うんだろう?

って深ーく考えてみたところ、わりとすぐに答えは出た。

 

旧ドラえもんにあって現ドラえもんにないものは、藤子・F・不二雄のSF感だ。

 

藤子・F・不二雄はドラえもんとかパーマンみたいな国民的アニメだけじゃない。

 

いや、それはそれでもちろん素晴らしいんだけれども。

 

真の藤子・F・不二雄ファンが好むのは、「ミノタウロスの皿」みたいな SF短編漫画だ。

 

この「SF」というのは、サイエンス・フィクションではなく、(S)少し(F)不思議の略。

 

読めばわかるけど、ドラえもんとかパーマンみたいな平和なほのぼのとした内容ではなく、少し怖い。

 

ヘタするとトラウマレベルの怖い内容のものもある。

 

初めて読んだ時、これがあのドラえもんを描いてる藤子・F・不二雄なのか……???

 

と疑いたくなるほどの衝撃を受けた。

 

絵柄は藤子・F・不二雄のもので、中にはドラえもんじゃん!ってキャラも出てくる。

間違いなく藤子・F・不二雄が描いたものだ。

 

それにしても内容が全然違う。

 

しかもそれがめちゃくちゃ面白い。

 

なるほど。

 

これが藤子・F・不二雄の真骨頂なのか、と。

 

どおりで大人になっても惹き込まれる不思議な魅力があるわけだ。

 

なんせ高校生になっても、社会人になってひとり暮らしをしても、相変わらずドラえもんはみてたし、なんなら夜寝る時には子守唄代わりに毎日違うやつをみてたほど。(主に映画のヤツ)

 

そういえば、ドラえもんの話の中でもたまにホントにドラえもんか?というぐらい怖い内容のものもあった。

 

小さい頃に恐怖だったのは「パラレル西遊記」。

ドラえもんの道具の影響でいつもの5人以外は妖怪の世界になってしまった。

 

出来杉くんにツノが生えたり、担任の先生がバケモノに変身したり、新聞越しののび太のパパのカゲが妖怪の形になっていたり、階段から上がってくるのび太のママの声が妙に低かったり、と、人によってはトラウマレベル。

 

他にも「海底鬼岩城」では、スネ夫とジャイアンがバミューダトライアングルで宝探しをしたいと言ったけどドラえもんはそれを断固拒否。仕方ないので二人は夜中にドラえもんを出し抜いてバギーで勝手に太平洋から大西洋に向かった。

テキオートーの効き目が24時間でもうすぐ切れるのを分かっていながらバギーはそのことを言わなかった。

そしてついにテキオートーの効き目が切れて、じわじわと水圧と酸欠に苦しみながら最後には意識を失ってジャイアンとスネ夫はバギーから転落。

 

その時に放ったバギーのひと言。

 

「アレ?死ヌンデスカ?人間ナンテ威張ッテテモコウナルトダラシナイモノデスネ」

 

これはこどもの時には小さすぎてたぶんそこまで深く考えれてなかったからなのか、恐怖を感じることはなかった。

 

でも、大人になって改めてみたら怖すぎる。

いろんな意味で。

 

海底人が住むアトランティスとムー大陸の設定とか。

 

ダイオウイカとか。

 

そんな怖い場面は他のドラえもん作品にもたくさんあるなーと。

 

むしろ藤子・F・不二雄が描きたいのはそっちなのかー、と。

 

すごく納得してしまった。

 

怖い場面以外にも、「アニマル惑星」とか「雲の王国」とか、環境問題とかをあからさまに表現してたりするし、そういうところにすごく深みを感じるからこそ何回みても飽きないんだなぁと。

 

アラフォーになっても夜ひとりで寝る時にドラえもんをみながら眠りにつく40代がここにいるのはそういうことだ。

 

とりあえず僕のドラえもん愛はまだまだとどまることを知らないのでこのへんで。

続きはまた今度。

 

ご清聴ありがとうございました。

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