おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『ドラえもんが好きな人に悪い人はいない説』。
こども食堂「虎吉」では頻繁に大山のぶ代版ドラえもんが流れている。
決して「こどもたちが好きだから」といった優しい理由ではなく、ただ単に店主が無類のドラえもん好きというだけである。
ドラえもん。
原作連載開始から50年以上経っていて、アニメも同じぐらい長期間にわたって続いてる、日本人なら知らない人を探す方が難しいマンガ。
ドラえもんが好きな人に悪い人はいない。
なぜなら。
ドラえもんの真髄は優しい人じゃないと理解できないから。
この世の中、ホントに優しい人って少ない。
ドラえもんをちゃんと分かり合える人って優しい人ばっかり。
そう。
のび太くんのような優しさを持つ人が真の優しい人。
とは言っても。
おれの方がドラえもん好きだ!なんて言ってもそんなものは外からは判別できない。
人それぞれの感覚があるから、どっちの方が好きかなんてのは議論してもしょうがない。
なので。
ドラえもんに関するさまざまなことを理解できるかどうか、がポイントになってくる。
以下にポイントをまとめたので熟読してもろて。「おいおい、それはちょっと違うだろう」などの異論がある場合はコメントを残すなりDMするなりしてもろて。
「勝手にドラえもん検定」スタート。
ドラえもんに出てくるキャラの優しさを理解できる
それぞれのキャラにはそれぞれの優しさがある。
それをちゃんと理解できているか。
ドラえもんの優しさ
ドラえもんは22世紀の未来世界からやってきた「子守り用ネコ型ロボットMS-903」。#言いたいだけ
2112年9月3日、マツシバロボット工場で生産された。
ドラえもんの性格は、原作とアニメでは多少違っていて、原作のドラえもんはわりとサバサバした感じだった。
アニメでも初期の頃はわりとサバサバしてたけど、次第に穏やかな性格になっていった。
たぶん大山のぶ代効果なんじゃないかなと個人的には思ってる。
ドラえもんはなんだかんだ言いつつも、結局のび太のために道具を出してあげたりして、のび太のことを大切に思っている。
自分の体調が悪くても、のび太が心配で未来の世界に帰れないとか、ジャイアンとスネ夫にいじめられた事に激昂してミサイルを出したり。笑
「帰ってきたドラえもん」でのび太と離れ離れになる最後の夜に一緒に寝てたのが印象的だった。
時には辛辣な態度をとったり、ケンカして未来の世界に帰ったりすることもあるけど、ずーっとのび太のことが気がかりで、恋人じゃんwってぐらいのび太のことを思ってる。
異星人とか地底人、海底人、いろんな種族の人物に対しても偏見がなく、むしろその人たちが幸せに暮らすためにはどうしたらいいかを常に考えたりして、よく神様のような扱いを受けてる。
個人的に好きなのは「アニマル惑星」でタヌキ呼ばわりされて腹を立ててたところに本物のタヌキが現れて「タヌキのどこが腹立つ?」と言われた時。
「いえ…そういう意味では…」と、タジタジなドラえもんに優しさが溢れてるなぁ、と。
のび太の優しさ
基本的にはジャイアンとスネ夫にいじめられたり、泣き虫でドジで頭も悪い。
だけど、射撃とかあやとりが天才的で、人間的にいちばん優しいのはのび太。
映画版だと特にそれが如実。
個人的に好きなのは「結婚前夜」の青年のび太。
置き去りにされたネコのために必死になって空港まで家族を追いかけたり、川の土手で潰してしまった花に添え木をしたり。
寒そうな先生に上着を貸してあげたり。
あののび太が・・・って思うと泣けてくる。
基本的にのび太は他人のこととかまわりのことをよくみてるし、すごく思いやりがある。
優しすぎるやん。
その優しさがこどもの頃にもよく出てる。
ドラえもん同様、違う種族に対しても偏見がなく、植物とか動物に声をかけたりしてるのは、のび太の優しさを物語ってる。
作中でいちばん優しいのはのび太だ。#個人的な見解
他のキャラ
他の主要なキャラにも共通してるのはドラえもん、のび太と同じように、違う種族に対して偏見がないこと。
のび太のパパやママ、出来杉や先生でさえも。
しずかちゃんはのび太と同じぐらい穏やかで優しい。
個人的に好きなのは、「鉄人兵団」でのリルルとのやり取り。「理屈に合わないことをするのが人間なのよ」と諭したり、なんだかんだほっとけなかったり、ロボットの星に行ってリルルが消滅する時に泣き叫んだり。
のび太に匹敵する優しさを持ってるなぁと。
ジャイアンもスネ夫もいつものび太をいじめたりしてるけど、いざという時にはすごく優しさをみせてくる。たまにそういうのをみせてくるから憎みきれない。
結婚前夜でジャイアンの家に集まってお酒飲んでるのをみると、小さい頃からずーっと一緒で大人になってもそうやって一緒にお酒を飲める関係っていいなぁって羨ましくなるし、基本的にのび太のことを大切に思ってるんだなぁと、泣けてくる。
宴会の直後に先生と遭遇して、先生の「明日は遅刻するんじゃないぞ」というセリフもすごく印象的で、のび太のことを思ってるんだなぁと泣けてくる。
のび太のパパもママも他のキャラたちの親も、みんなすごく優しい。
ジャイアンの母ちゃんなんていつも怒ってる印象だけど、なんだかんだジャイアンを大切に思ってる描写がいくつもある。
そんな優しいドラえもんの世界。
その優しさは声優陣の声があったからこそなんだろうなぁ…って実感したのが声優陣交代劇。
声優陣交代を理解できる
大山のぶ代さんたち、レギュラー声優陣が25年間にわたってドラえもんに命を吹き込んできた。
だからこその優しい世界があった。
それをリアルタイムでみて育った僕は、風邪をひいて学校を休んだ時とか、家にひとりでいる時とかにビデオ録画したドラえもんばっかりみていた。
人生でいちばん最初に描いた絵はドラえもん。#記憶には無いけど残ってた
単行本は大長編含め全巻揃ってたし、映画も毎年見に行ってた。
僕のようにドラえもんで育った人はたくさんいると思う。
だからこそ、声優陣の交代の時の衝撃は凄まじいものがあった。
こんなのドラえもんじゃない・・・。
最初の頃はまったく受け入れることができず、交代するぐらいなら終わってくれた方がイイ…って何度思ったことか。
でも声優陣交代が僕が大人になってからだったので、まだよかった。
こどもの頃に交代ってなってたらたぶんショックでかすぎて寝込むレベル。
慣れるまで5年ぐらいかかった。
慣れたと言っても完全に受け入れれるようにやったわけじゃなく、なんか別作品としてみてる感じだった。
声優が変わればキャラクターも全然変わってるし、全体的な空気感はあの頃のドラえもんとは完全に別モノ。
でも。
そんな僕みたいな人間がたくさんいるからこそ、声優の皆さんの苦しみはそれこそ半端じゃなかっただろうな、とも思い始めた。
特にドラえもん役の水田わさびさん。
どれだけ否定的な声に悩まされたことだろう。
精神的にかなり落ち込んだであろうことは想像に難くない。
そんなことを考えたら終わってくれた方がイイとか思ってた自分がすごくちっぽけに思えた。
ホントにドラえもん好きを名乗るならそれはそれで受け入れないと、ドラえもんを語る資格はないな、と。
どんな形であれ、ドラえもんはドラえもんだ。
今はもう普通にみれるし、水田ドラえもんは水田ドラえもんで素晴らしいドラえもん作品に仕上がってると素直に思える。
でもどっちが好きかって言われると0.1秒で、なんなら食い気味に旧ドラえもんって答える。
やっぱり別格だ。
なにが違うんだろう?
って深ーく考えてみたところ、わりとすぐに答えは出た。
旧にあって現にないもの。
それは藤子・F・不二雄のSF感だ、と思った。
ドラえもん作者、藤子・F・不二雄の真髄を理解できる
ドラえもんの作者の藤子・F・不二雄はいろんな作品を描いていて、その中でも「SF短編集」はちょっと異世界。
「ミノタウロスの皿」とかあのへん。
絵は間違いなく藤子・F・不二雄なんだけど、内容がちょっと怖い。
ヘタするとトラウマレベルの強烈なやつもある。
初めて読んだ時、これがあのドラえもんを描いてる藤子・F・不二雄が描いたマンガなのか…?と疑いたくなるほどの衝撃を受けた。
絵柄は完全に藤子・F・不二雄のもので、中にはドラえもんじゃん!ってキャラも出てくる。
間違いなく藤子・F・不二雄が描いたものだ。
それにしても内容が全然違う。
しかもそれがめちゃくちゃ面白い。
なるほど。
これが藤子・F・不二雄の真骨頂なのか、と。
どおりで大人になっても惹き込まれる不思議な魅力があるわけだ。
なんせ高校生になっても、社会人になってひとり暮らしをしても、相変わらずドラえもんはみてたし、なんなら夜寝る時には子守唄代わりに毎日違うやつをみてたほど。#主に映画のヤツ
そういえば、ドラえもんの話の中でもたまにホントにドラえもんか?というぐらい怖い内容のものもあった。
小さい頃に恐怖だったのは「パラレル西遊記」。
ドラえもんの道具の影響でいつもの5人以外は妖怪の世界になってしまった。
出来杉くんにツノが生えたり、担任の先生がバケモノに変身したり、新聞越しののび太のパパのカゲが妖怪の形になっていたり、階段から上がってくるのび太のママの声が妙に低かったり、と、人によってはトラウマレベル。
他にも「海底鬼岩城」では、スネ夫とジャイアンがバミューダトライアングルで宝探しをしたいと言ったけどドラえもんはそれを断固拒否。仕方ないので二人は夜中にドラえもんを出し抜いてバギーで勝手に太平洋から大西洋に向かった。
テキオートーの効き目が24時間でもうすぐ切れるのを分かっていながらバギーはそのことを言わなかった。
そしてついにテキオートーの効き目が切れて、じわじわと水圧と酸欠に苦しみながら最後には意識を失ってジャイアンとスネ夫はバギーから転落。
その時に放ったバギーのひと言。
「アレ?死ヌンデスカ?人間ナンテ威張ッテテモコウナルトダラシナイモノデスネ」
これはこどもの時には小さすぎてたぶんそこまで深く考えれてなかったからなのか、恐怖を感じることはなかった。
でも、大人になって改めてみたら怖すぎる。
いろんな意味で。
海底人が住むアトランティスとムー大陸の設定とか。
ダイオウイカとか。
そんな怖い場面は他のドラえもん作品にもたくさんあるなーと。
むしろ藤子・F・不二雄が描きたいのはそっちなのかー、と。
すごく納得してしまった。
怖い場面以外にも、「アニマル惑星」とか「雲の王国」とか、環境問題とかをあからさまに表現してたりするし、そういうところにすごく深みを感じるからこそ何回みても飽きないんだなぁと。
アラフォーになっても夜ひとりで寝る時にドラえもんをみながら眠りにつく40代がここにいるのはそういうことだ。
他にもドラえもんを語る要素は多分にある。
いちおう僕の中でここだけは!ってところを抜粋した。
さぁ。異論があるなら来たまえ。
ご清聴ありがとうございました。



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