【生きづらいと感じる人】生きづらさの原因は愛着障害かもしれない:こども食堂店主のひとりごと

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torakchi

こども食堂【虎吉】店主。整体師。音楽家。水墨画家。バツ3。元女性風俗セラピスト。元PA(音響)。

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店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『生きづらさの原因は愛着障害』。

 

対人関係に自信がなくて他の人とうまく交流ができない。

自己肯定感が低くて自分に自信が持てない。

他人に心をなかなか開けない。

心が満たされない。

 

それ。

もしかしたら愛着障害なのかもしれない。

 

愛着障害は精神疾患のひとつ。

障害って名前がついてるけど、生活に支障が出る人もいれば支障が出ない人もいるっていう、疾患だけど疾患じゃない、みたいなちょっと複雑なもので、小さい頃に親との関係がうまくいってなかったりするとそうなる。

 

僕も愛着障害っぽいところが多々あって。

 

でも今はもうずいぶん克服して、すっかり精神的に健康になった。

まだ完璧に克服したというわけではないかもしれないけど、だいぶ生きづらさがなくなった。

 

愛着障害と生きづらさがどう結びついてるのか。

 

どうやって向き合って生きていけばいいか。

 

そんなお話。

 

愛着障害って何?

 

愛着障害はひとことで言うと「親との関係がうまくいってない」。

 

ほとんどの人間は生まれてから親からの無条件の愛情を受けることでちょっとずつ安心感を得て育っていく。

その受けた愛情がたくさん積み重なって、土台というか後ろ盾みたいなものになって、他人との交流が円滑に進む。

 

たとえば、仮に友達に裏切られて心が傷ついたとして。

愛情が積み重なってできた安心の土台があれば、その傷を土台の主である親が慰めてくれることによって心の傷は回復しやすい。みたいな。

 

その安心の土台のことを「愛着の土台」なんて言い方をする。

 

愛着の土台は一朝一夕でできるものじゃなくて、長い時間をかけて少しずつ積み重ねてできていくもの。

 

時間が短かったり、愛情の注ぎ方が不十分だったり何らかの不具合があったりすると、土台がうまく形成できなくて精神的に不安定になることがある。

 

土台が不安定だと、心の傷が回復しにくくて、また傷つけられるんじゃないか、って傷つくのを恐れるようになる。

だから他人の顔色を過度にうかがったり、他人のことを信じることができなくなったり、自己肯定感が低くなったりしてしまう。そんな精神状態だとなかなか生きづらい。

 

これが愛着障害。

 

3人に1人は愛着障害って言われてるらしく、中にはずーっとそこに気づかないままの人もいるぐらいで、僕も気づかないまま大人になったひとり。

 

気づかないのも無理はなくて、僕自身も「愛着障害」という言葉を知ったのはごく最近の話。

もしもっと早くにこの言葉を知ってたら。もっと早くにこういうことがあるんだってことを知ることができてたら、もっと対処のしようがあったかもしれない。違った人生になってたかもしれない。

でも今はそれがあったから今の自分があるって思えるから、結果的にどのタイミングで知っても関係なかったな、と。

元々何も知らない状態で自分自身で答えにはたどり着いてて、言葉とか症状とかを後から知って、答え合わせしたみたいな感じ。

 

いちおう精神疾患の部類には入ってるけど、精神的にかなり深いところの問題で、自分以外の人が判断するのはなかなか難しいんじゃないかな、と思う。

なので、たとえ医者の診断基準を満たしてなかったとしても「愛着障害」である可能性はじゅうぶん考えられる。

 

ネット上には「愛着障害診断テスト」みたいなものもあって、やってみたけどよくわからなかった。

 

なので愛着障害かそうじゃないかはこの際どっちでもよくて、「そういう傾向がある」ぐらいに軽く捉えるのがいいかもしれない。

 

精神疾患は非常にデリケートなもので、疾患という名前がつくことで安心する場合と不利益になる場合が混在してる。

 

僕はそれを知ったことでなんか肩の荷がおりたような感覚に陥って、精神的にすごく楽になった。

 

でも中にはそれを知ることによって「自分は障害者なんだ」と落ち込む人もいらっしゃる。

それは障害を持つ人が差別されてしまって、生きづらくなることを知ってるからなんじゃないかな、と。

僕は今は他人がどう思おうとまったく関係ないっていう人間だから、そんなことは気にならず、ただただ「自分が間違ってるわけじゃなかったんだ」って思えたから精神的にすごく楽になった。

 

他人との交流がなかなかうまくいかなくてなんか生きづらい、と感じてたのはちゃんとした根拠があったんだ、と思えたから。

 

今までずっと「自分の至らなさが原因でいろんな精神的な不具合が起きてた」と思ってたものが、「そうじゃない可能性がある」って思えた。

 

自分で自分を認めてあげることは愛着障害のいちばん有効なクスリになる。

 

愛着障害の原因

 

愛着障害の原因は幼少期の親からの愛情が足りてなくて、愛着の土台がちゃんと形成されてなくて、精神的に不安定になること。

 

こどもが安心して素をさらけ出せるのは「家」であり、親(養育者)。

「素」とは、甘えたりワガママを言ったり反抗したりして感情を表に出すこと。

 

そうやっていろんな「素」をさらけ出して少しずつ時間をかけて土台は形成されていく。

 

その土台がある上で、家の外でいろんな人たちと交流をすることで少しずつ人間社会を学んでいく。

さっきの友達に裏切られて傷ついたり〜っていうのなんかはまさに。

 

その原因はいろいろある。

 

親(養育者)の虐待

肉体的なものだったり、精神的なものだったり、性的なものだったり。

親(養育者)が安心の対象じゃなくて恐怖の対象になってしまう。これは生きづらい。

 

ネグレクト(育児放棄)・親(養育者)の精神的不安定

親(養育者)自身が精神的な問題を抱えてたり、情緒不安定だったりして、育児放棄をすると、愛着の土台に必要な愛情が継続的に満たされない。

こどもが「抱っこ」って言ってきてるのに無視したり。

感情的になってこどもに八つ当たりしたり。

 

親(養育者)の不在や頻繁な交代

親(養育者)が離婚とか再婚とかを繰り返したりすると、愛着の土台に必要な愛情が継続的に満たされない。

養護施設とか里親で育ったりしてもそういうことが起きることがある。

要はその子にとってその養育者が合ってるのかどうか、がすごく大事なこと。

 

親の過干渉・無関心

こどもが「こうしたい」って言ってることに対して過度に干渉したり、反対にこどもがやってることに対して無反応だったりすると、愛情が不足する。

 

親の不仲

父親と母親の仲が悪いと、愛情が不足しやすい。

#片方だけでもちゃんと愛情を注いでいたらまた全然変わる
#アメリカではこどもの前で夫婦ゲンカをするだけで精神的虐待にあたるとされるところもある

 

愛着障害の原因はだいたいこんな感じ。

 

こういう環境だと愛着障害になりやすい。

 

けど、誰もがそうなるというわけではなく、本人の性格とか気質にもよる。

 

要するに同じ親から生まれた兄弟でも、兄が愛着障害になって、弟は大丈夫だってことがある。

 

僕は毎日のオネショによる精神的虐待が原因。

 

夜寝る前にどれだけ漏らさないように頑張って対策をしてても、必ずやらかしてた。

365日の内、360日はオネショをしていた。

 

そして毎日怒られた。

 

自分でコントロールできるものじゃないのに。

コントロールできるならとっくにやってるて。笑

わざとやるわけないじゃないか。笑

それでも毎日怒られた。

僕からすればそれはもう理不尽なものでしかない。

それが積み重なって、親に対して恐怖しかない幼少期を過ごした。

 

でも妹たちは全然オネショなんてしてなくて、至って普通で僕とはそのへんの感覚が全く合わないから困ったもんだ。

これを虐待と言っていいのかは微妙なところだけど、少なくとも僕の中ではそれが恐怖でしかなくて、毎日寝るのが怖かった。でもその「怖い」っていう感情ももう出せずにいたからじゅうぶん虐待の要素はあったな、と。

 

愛着障害の克服方法

 

克服する方法は、たぶん人によって違うけど、共通してるのは自分を許してあげることなんじゃないかな、と。僕は医者じゃないからそこらへんはよくわからない。でもいろいろ調べてると共通項はそこだった。

 

愛着障害の人は過去の経験によって自己肯定感が低くなりがち。

 

だから「自分なんてダメだ」とか思ってしまって生きづらくなる。

 

ダメなことなんてない。

 

過去の自分と向き合って自分を許してあげることが大事。

 

僕は自分の過去を振り返って、オネショで理不尽に怒られてたなーということにたどり着いた。

 

オネショなんて自分でコントロールできるものじゃないってわかった時に、じゃあ、あの時の親の行動は一体何だったんだ?

ってことになって、こどもに自分の感情をぶつけてただけじゃないか、と。

 

怒ったとて、何も改善しない。

むしろ精神的に追い詰められることによって、余計にオネショは繰り返される。

 

じゃあ間違ってるのは親じゃないか。

 

という分析に至った。

 

そしてそれを他人にぶちまけて受け入れてもらったことで心が軽くなった。

 

それまで「自分に至らないところがあるから」と思ってたものが「そうじゃなかった」と思えたことが大きかった。

 

それから少しずつ精神的に健康になって、生きづらさがなくなっていった。

 

愛着障害と向き合って生きていく

 

愛着障害が完治したのかどうかはたぶんまだこれからをみていかないとわからない。

 

愛着障害っていうものがあるってことを知ったのはだいぶ克服してから。

ごく最近、SNSでたまたまみかけて、そんなものがあるんだ!ってなってそれからいろんなことを調べたりした。

 

自分の症状と調べたものが必ずしも一致してたわけじゃないけど、当てはまるところが多々あったから、たぶん僕も愛着障害だったんだなー、と自分を知ることができた。

 

完治するものなのかどうかはまだわからない。

 

「親のせい」でいい。小さいこどもにとって親は絶対的な存在。

その親がこどものことをちゃんとみないでどうする。

オネショをしたっていいじゃないか。洗えばすむことだ。

してしまったものはどうしようもない。そこからどうしたらいいかを考えてあげればいい。

やってしまったことにいちばん傷ついてるのは本人だ。

僕はそれを知ってるから自分のこどもがオネショをした時、笑って「ドンマイ♡」って言ってあげた。

そしたらオネショをしなくなった。

それはたまたまかもしれないけど、少なくとも精神的に楽になるようには言ったつもり。

 

親は、血は繋がってるかもしれないけど、あくまでも「他人」

何を考えてるかとか、深いところまでは知ることができない。わからない。すれ違うこともある。

 

僕は少なくとも、元凶である親とはまだ和解していない。

一度和解しようと歩み寄ったけど、弾かれてしまったので、それから親とは会ってないし連絡もほぼとってない。

 

だけどそれでいいと思ってる。

自分が会いたいと思えるタイミングがくるまでは歩み寄ることはしなくていい。

 

そう思えた時が愛着障害が完治する時なのかな、と。

 

それまでは今までやってこれなかった自分の生きたいように生きる。

 

ご清聴ありがとうございました。

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