おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『言いたいことも言えないこんな世の中になってしまった』。
先日、SNSのコメント欄にこんなコメントがあった。
上部だけの人の心には刺さらないですからね。自身が担っている立ち位置が何なのか、そこから何を伝えたいのか。少なくとも親を否定するような言い方をされてるようでは早い段階で立ち止まると思います。
と、おっしゃられてる。
こういうコメントをする人は、SNSで発信をしている以上、必ず出てくる。
そしてその度に思う。
何のためにこんなコメントを残すんだろう。
意見があるのなら。
言いたいことがあるなら直接言えばいいのに。
仮にホントに虎吉のためを思ってくれてるのなら、DMなりなんなりする方が圧倒的に早いし、こういうネット上でやるよりも直接やり取りができた方が意思疎通がしやすい。
コメント欄は誰でもみることができる。
だからこそ。
好意的なコメントとか温かいコメントだったらほとんどの人が幸せな気持ちになれるからいいようなものの、悪意があったり感情をぶつけるようなコメントは果たして誰が幸せになるんだろう?と。
たとえばさっきのコメントのように偉そうなことを言ってたら、誰も幸せになれないんじゃないか?と。まして投稿してるのはこどもとの絡み動画が多い。
みる人はこどもとの絡みをみてほんわかしたい人が多いから、そんなコメントがあったら不快になるかもしれない…とか考えれないのかしら。
それを想定した上での事なのだとしたら、一体何のために?
世間の皆さまに己の頭の悪さを露呈することを目的にでもしているのかしら?
それなら超説得力があるけど、さすがにわざわざそんなことをするようなバカはいない世の中であってほしいけど、実際問題そういう人が多い世の中なのは事実。
偉そうに振る舞う人は得てして脳みそがちょっと足りないから、そんなふうに冷静に考える人間が一定数存在するっていうことをもしかしたらわかってないのかもしれない。
コメントされた側がそういうコメントに対して、瞬間的に腹が立つことはある。
そこはもう人間だから仕方ない。
腹が立つと同時にとても残念な気持ちにもなる。
だけどすぐに冷静になって前を向く。
最終的には、コメントをしてくれればその投稿に対してリアクションがあったと判定されて、オススメにもなりやすくなって、いろんな人にみてもらえる可能性が広まるから、むしろ「コメントしてくれてありがとう」と感謝の気持ちすら生まれる。
後は冷静にコメントを分析したりして楽しんでる。
さっきのコメントも冷静に分析してみた。
まず「上部だけ」というなら「上辺」じゃないのかな?と。
言いたいことが何かは通じるけど、「上部」だと上の部分っていう意味合いが強いから言いたいこととはちょっと違ったものになってしまうんじゃないか?と、違和感を覚える。
調べてみたら上部でも上辺でもどっちでもいいみたいなことが書いてあるものもあった。
まぁそこはどうでもいいや。笑
僕が発した言葉が人の心に刺さるとかそんなことは、その本人じゃないとわからない。
実際に刺さってる人もいると思う。そういうことを行動で示してくれる人はたくさんいる。
自分の経験したことを話すことで、こどもたち及び他の人が何か感じてくれたら嬉しいなーと思いながら話をしてる。
自分の経験したことを他の人の役に立ててもらえれば本望だし、それを「違う」って思ってくれても僕は何も思わない。
否定したいなら勝手にすればいいと思う。
ただ、僕自身が経験したことを自分で否定することはしたくないし、謙遜するつもりもない。
経験したことしか話してないし、想像で話す時もあるけど、その時は「わからんけどね」って付け加えて笑ってる。
それでも面白いと言って来てくれる人はいる。
それで人が離れていくならその離れていった人たちがたまたま相性が合わなかっただけ。
さっきのコメントした人も、合わないと思ったならべつにみなければいいだけの話。
それをわざわざスマホを手に取ってアプリ開いて僕の投稿をみて、わざわざコメントを残してくれている。
そこでどういう感情になったのか知らないけれど、わざわざコメントの内容を考えて、わざわざ指を動かすほどの何かがあったから自分の時間をそこに費やしてくれている。
僕はそれに対して瞬間的に腹は立ったけど、わざわざありがとうとは思う。
中島みゆきの「空と君のあいだに」という曲の中で、「憎むことでいつまでもあいつに縛られないで」という歌詞があるけど、こういうことだなぁーとしみじみ思う。
「自身が担っている立ち位置が何なのか」と言っているけど、ただの個人店の店主でしかなくて、立ち位置も何も、僕は僕の思うようにやってるだけ。そこに何も制限はないし、こどもたちとの関係もべつに悪くはないと思う。
だからこそ来てくれるんだろうし。
そしてそれを応援してくれる人は少なからずいらっしゃる。
その人たちは僕のやろうとしてることを支持してくれて行動で示してくれているし、実際にお店でこどもたちと絡んだりして楽しんでもいる。
需要と供給はちゃんと成り立っているので、外野がそれをどうこう言ったところで特に何も影響はない。
嫌なら関わらなければいいだけの話。
何を伝えたいのかはこのひとりごとでわりと細かく書いてるし、動画にもしてるし、直接話してもいる。全員に、とはまだまだほど遠いけど、コツコツやっていくしかない。
親を否定するような言い方を、とあるけど、否定をしてると言うのであれば確かに否定はしてる。
一部の親を。
自分が親の立場であることもふまえて、自分のこどもがこういうお店に行ったんだとしたら、僕だったらこうするけどなーと。
なんでそれをしないんだろう?
っていう考えを主張してるだけ。
それを否定ととるなら、否定で全然かまわないけど、べつに全親を否定してるわけではないし、一部の親を否定してはいるけど、その人たちにも僕の想いが届いたらいいなーという考えがある。
だからこそこういう、誰もがみれる場所で文字にして公開してる。
その否定してる、と思う人がそれを読んで少しでも考えが変わってくれたらいいな、と一抹の希望を胸に抱いて。
「早い段階で立ち止まると思います。」
立ち止まるって何だ?
こども食堂が?
こども食堂なんか別に立ち止まったところで特に影響はないけどね。
細々とやっていければいいし。
千客万来なんか望んでもない。
誰でもどうぞ♡
とは謳ってはいるけれど、こどもはお客さんではないから僕が気に入らないと思ったらその場で伝える。でもちゃんと伝えたらこどもたちもわかってくれるし、むしろそこから仲良くなることだってある。
ここは福祉施設じゃない。
気に入らないなら来なければいいだけ。
無理して関わる必要もない。
それはお互いにそう。
僕が気に入れば何か特別なことをしてあげることもあるし、気に入らない人間に対しては酷いと思われることをしてることもある。
それは個人店だから僕の自由。
僕には何の義務も責任もない。
飲食店として?
飲食店として立ち止まるかどうかはやってみないとわからない。
まだまだ多いとは言えないけど、常連と言える人も増えてきてるように思う。
少なくとも、来てくれたお客さんに対して精一杯できることはやってるつもり。
料理は美味しいと言ってくれるし、何回も来てくれるからそういうことなんだと思う。
不味いと思ったならわざわざ来ないだろう。飲食店なんだし。僕が客の立場なら不味いと思ったお店には行かない。
大人こども問わずくり返し来てくれる人は少なからずいる。
でもそこに満足してるわけではないし、常に料理を出す時はドキドキしながら出してる。
これで満足してくれなかったらもう来てくれないだろうな、と。
頻繁に来てくれてる人が普段の様子をみて何か意見を述べてくれるのならまだわかるけど、何もみてないし来てもない人が何か意見を述べたとしても、何も響いてこない。
SNSの動画はあくまでふだんの様子の一部分を切り抜いたもの。
12時間の営業時間のうちのほんの1分〜2分のできごと。
しかもほぼほぼこどもとの絡み。
それ以外のことはいくらでもあるし、なんなら大人との絡みはほぼ動画にはしていない。
飲食店として大切な部分は大人の絡み。
その部分はほとんど知らないはずなのに、立ち止まるというのはかなり早計なのではないか。
いろいろな角度から分析してみたけど、腑に落ちないことばっかりだった。
てゆーか全体的に何が言いたいのかよくわからなかった。
もはや個人的な感情をぶつけてるだけでは?と疑われても仕方がない。
言いたいことがあるなら直接言えばいいのに。
こんな世の中だからなのかしら?
ご清聴ありがとうございました。
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