おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『浮気はされる方に原因がある』。
改めて。
浮気とか不倫はされる方に原因がある。
こんなことを言うと多くの人が不愉快になることは間違いないけども。
浮気される原因は相手を人間とも思わないのが主な理由だったりする。
詳細はコチラに。
もうひとつ。
自分を磨かないで相手のせいにばっかりすることがある。
浮気されたくないなら自分自身を磨いて自分に夢中になるようにすればいいっていうこと。
でも「浮気された」って騒ぐやつほど自分を磨くことを怠って他人のせいにする。
自分に原因があるなんて1ミリも思ってない。
はたからみたらそりゃ浮気されるって。
自分を磨かない人間には魅力なんて感じないもの。
そんな人間を誰が好きになるっていうのか。
つきあうとか結婚とかの概念がそもそも必要ない
「つきあう」とか「結婚」っていうのは相手を縛りつけるだけの呪いだ。
「つきあう」は法律とか書類的なおカタイ結びつきはなく、ただの口約束とまわりの人たちの公認があるかどうか。
それに対して結婚は「入籍」という、法律的にも書類的にもおカタイ結びつきができる。
ゆえに、お互いの家族間の交流ができたりして、わりと大ごとになる。
どっちも相手を自分の所有物みたいなことにして、行動を制限したりして自由を奪う権利が生まれる。
結婚は法的にも公的にも”そういうこと”になるので、友達とかにも行動の制限を課せられたりする。
「つきあう」は結婚の疑似体験みたいなもので、誕生日やら記念日やらをふたりで祝ったり、どこかに行くのもふたりで行ったりして、絆を深めていく。
やがて家庭を築くために異性との交流を練習する。
お互い盛り上がってる時はいいけど、少しでも歯車が狂えば一瞬で関係は破綻する。
歯車が狂って関係が破綻しても、お互いを思いやる気持ちがあればまた関係は修復するけど、いったん破綻したものはなかなか修復し得ないのが現実。
そういうことを複数回繰り返して人は異性との交流の経験を積んでいく。
経験を積めば積むほど、つきあうとか結婚というものに対して疑念がわいてくる。
そのシステム要るか?と。
そのシステムは相手を縛りつけるだけの呪いでしかない。
結婚というシステムがあるから守れるものもある。
でもその多くは、遺産相続とか病院で面会できるとか法律があった上でのこと。
家族を作るとかそのための交尾とかはそんなシステムができる以前からあったものだから、本来別に必要ない。
逆にそのシステムがあるから人は慢心してしまう。
それが歯車が狂う瞬間。
結婚したりつきあったりすれば相手が自分の所有物みたいになって、そこから自分を磨く努力を怠る。
そうなると悪い意味での「空気」のような存在になる。
人間には男性と女性の性差がある。
男性は子を宿すことはできないし、女性は子を宿すための精子を作ることができない。
その性差は生まれ持ったもので、どうすることもできない。
その性差があるからこその魅力もあるけど、その前にひとりの人間としての魅力がある。
いわば土台の部分で、それがないと性差の魅力にはなんの意味もない。
意味がないというか、最初に性的な魅力を感じても、いずれ飽きる。
でも人間的な魅力があれば性的な魅力もそのまま維持できる。
僕の経験上、人間としての部分を磨こうとしない人が圧倒的に多い。
なんでやねん。
自分を磨こうとせず、相手を制限して自分のレベルに保とうとする。
相手が常にストイックに自分と向き合って人としてのレベルを上げようとする人間だったら?
人としてのレベルが合わなくなって、やがて魅力を感じなくなるのは必至。
結果、面白くなくなって、自分を高めることができる環境に逃げる。
それが浮気・不倫ということになる。
人間を磨くってそんなに難しいことではないと思うんだけどなぁ。
こういうことを言うと「人のせいにするな」という意見が絶対出てくるので、基本的には言いたくない。
でもここはひとりごとだし。
自分的には人のせいにしてるつもりは1ミリもない。
でも人のせいにしたがる人ほどそういうことを言いたがる。
その時点で人間的な魅力は皆無だ。
僕はそんな人間に興味はない。
僕は浮気されたことが過去に一度だけあるけど、その時にその相手のせいにしたことはない。
僕に男として、人間としての魅力がないからだ、と自分のせいにした。
そこから自分を磨く努力をするようにした。
浮気されたことが悔しいのではなく、自分に相手を夢中にさせられるだけの魅力がなかったことが悔しかった。
相手のせいにしたって何も生まれない。
むしろそういうマイナスな気持ちはマイナスなことしか生まない。
ネガティブなことを口から吐くとそれがネガティブな「気」が自分にも降りかかる。
それは自分にとってプラスなことは何もない。
そんな人間にだけはなりたくない。
自分を磨くことは死ぬまででもできる。
やめてしまったら人として終わり。
ご清聴ありがとうございました。
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