こども食堂店主のひとりごと:幸せはなるものじゃなくて気づくもの

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

今回のテーマは『幸せはなるものじゃなくて気づくもの』。

 

いろんなSNSで名言として取り上げられることが多いこの言葉。

 

ホントその通りすぎて出てくるたびに胸がいっぱいになるし全人類に伝えたい。

 

ので僕なりの考えもここにも書き留めておこうと思った次第です。

 

まず、幸せってなんなのかってことを定義しなくちゃいけない。

 

そんなもんは人それぞれ感じ方が違うからこれが幸せだと万人に共通して言えるものは何ひとつとしてない。

 

年齢、性別性格、時代、環境、その他いろんな条件によってその答えは変わる。

 

たとえば。

おにぎりがひとつここにあったとしたら。

 

1週間何も食べてなくてお腹が空きすぎて死にそうになってる人にとって、目の前に置いてあるおにぎりはこれ以上ない幸せと言えるだろう。

 

それがたとえ塩で握ったおにぎりじゃなく、間違えて砂糖で握った具も海苔もないおにぎりだとしてもだ。

 

普通に食べたら絶対不味くて食べたくないと容易に想像できるおにぎりだったとしても、とにかく一刻も早く手に取って口まで運びたい。

 

そしておにぎりを口に入れた瞬間、その人は世界でいちばんの幸せをひとり占めしてるかのような感覚に襲われる。たとえそれが地面に落ちて泥が混ざったおにぎりだとしてもだ。

 

「僕はこんなにも幸せでいいのだろうか?」

 

と、幸福感でいっぱいになるだろう。

 

でも、ついさっきお昼ご飯を食べたばかりの人が同じように目の前におにぎりがあったとしたらどうだろう。

間違いなく手に取らない。

 

それどころか、塩じゃなく砂糖で握ったおにぎりだとわかった瞬間に「まずっ」とか言って捨ててしまうかもしれない。

 

おなかいっぱいになった人とそうでない人ではおにぎりに対する幸福度が全然違う。

 

こんな感じでどこで幸せを感じるかは状況によって変わる。

 

僕らが普段普通に使ってるウォシュレット。

 

アレなんて普通に使うどころか、ないとウ〇コできない、なんて人もいるぐらいだ。

それぐらい現代人にとっては当たり前の存在になってしまっている。

 

でも、もし仮に江戸時代の人がウォシュレットを使ったらどうなるだろう。

 

ウォシュレットどころか、まず洋式のトイレにビックリすることだろう。

 

理解するまでにかなり時間はかかるかもしれないけど、便座が温かいこと、何回も拭かなくてもおしりがキレイになることに幸せを感じるかもしれない。そもそも便座に座ること自体ありえない時代。

 

ちょっと例えが悪かったかもしれない。

 

ガスストーブとかにしとけばよかったかな。

 

まあいいや。

 

大事なのはそこじゃない。

 

僕らが今当たり前のように使ってるものでも、見方を変えればそれだけでもじゅうぶん幸せなことなんだってこと。

 

当たり前が当たり前じゃないことに気づいた時、人は初めて幸せを感じることができる。

 

今、こうして普通にスマホを触って文字を打ってるけど、スマホを持てて指が動いてるっていうのは決して当たり前じゃない。

 

たとえばケガをして右手が使えなくなったら。

 

片手で全部やらなくちゃいけない。

 

いつも左手にスマホを持って右手で操作してるからすごく不便に感じる。

 

でも治ったら右手は使えるようになる。

 

その時に初めて右手を使えることはなんて幸せなことなんだ、と気づくことができる。

 

……と、こんなふうにそれが幸せだと思える、気がつける人はまだマシで、それすら気づけない人もいる。

 

やっと治ったわー

 

とか言って。

 

「幸せになりたい」とか言ってる人はだいたいこんな感じ。

 

目の前に幸せあるやん!

 

っていう状況でもそこに気づいてない。

 

やっと治ったって言うような人とか幸せになりたいとか言ってるような人は、それが当たり前になってしまってて、有難みにまったく気づかない。

 

いや、気づこうとしない。

 

そしてそうやって右手が使えることに幸せを感じるような人たちをバカにするような態度をとったり、嘲笑ったりするのもそういうタイプだ。

 

そういう浅はかな行動が自らの幸せを遠ざけてるとも知らず。

 

てゆーか、そんな人は自分の幸せのことなんか何も考えてない。

だから目の前の幸せに気づかない。

 

幸せなんかそこらへんに転がってるもんなのに、闇雲に探して「無い無い」ゆーてる。

 

もしかしたら気づいてるけど見て見ぬふりをしてるかもしれない。

 

真相はわからないけど。

てゆーかどーでもいいけど。

 

もし今幸せになりたいと思ってこれを読んでるのなら、1回ドン底を味わってみるといいと思う。

 

何がドン底かなんて人それぞれだからわからないけど。

自分の中でこれ以上の底はねぇ、ってぐらいのところに自ら身を投じてみるといい。

 

今当たり前になってることがすごく幸せに感じるから。

 

そしてその気持ちはできるだけ忘れないように。

 

忘れたらまた元の木阿弥。

その瞬間だけは幸せを感じることができても、それがまた当たり前になってしまったらすぐに忘れてしまう。

幸せは自分以外のものに求めたらみえなくなる。

幸せを感じれる人が増えたら世界は平和になるんだろうな。

 

ご清聴ありがとうございました。

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