おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『結婚してたら偉いのか?独身者に対する「既婚マウント」をとりたがるのはなぜ?』。
結婚経験がない
それはひとつの人生の選択であって、決して優劣で語れるものじゃない。
「結婚しないの?」
「結婚したほうがいい」
「結婚できないなんて人としてどうかしてるよ」
などなど上から目線でものを申してくる人が少なからずいらっしゃる。
「結婚しない=人としてどうかしてるよ」とか……そんなこと言う方がどうかしてるよ。笑
なぜそうなってしまうのか?
それを言う人の心理はどうなってるのか?
検証してみた。
結婚することが一人前という文化
結婚をして家庭を持つことが一人前の大人としての証、みたいな文化がある。
これは日本に限らず、どこの国でも同じ。
先進国でも発展途上国でも、文明のないようなどっかの村でも、結婚することが大人としての証みたいな風潮はある。
特に村とかだとその傾向はより強くなるイメージ。
「〇〇さんとこの息子さん結婚するんやってぇ!」
っていう井戸端会議が目に浮かぶ。
確かに結婚は一般的な交際とは違ってお互いの家族とか親族も絡んできて、大人同士の付き合いが必須になる。
どっちかの家族イベントには必ず呼ばれるようになったり、逆に親族を呼んだり。
親族の誰かが入院すれば顔を出したり、いろんなシチュエーションでいろんな絡みが生まれる。
その家族によっていろいろ形は違うけど、「大人の対応」をしないと後々めんどくさくなったりすることもある。
そういう意味では確かに「大人の証」っていう側面はある。
だけどたかが側面。
しょせんそんなものは表面上のものでしかなく、経験上深い付き合いとまでいくことはあんまりなかった。
親戚に対して笑顔で爽やかな対応をしてても、自分の家族に対しては不機嫌になって暴力を振るうような人間はたくさんいる。
もはや何をもってして「大人」なのかが分からない。
既婚マウントをとってくるような人は、その表面上のところしかみてなくて、「自分は既婚だから大人である、あなたは未婚だからこどもだ」ってことを言いたいんだと思う。
結婚をしないことが大人じゃないなら、世の中の独身者はみんな大人じゃないということになってしまう。
そんなバカなことがあってたまるか。
結婚はあくまで人生における選択肢のひとつでしかない。
幼少期に親が仲が悪いのをそばでみていて、「これが結婚なんだとしたら自分は結婚なんかしたくない」っていうふうに考えることもあるはずだ。
そういう人が世の中には少なからずいる。
そんなふうに考えてる独身を貫いてる人の中に素晴らしい「大人」はたくさんいる。
結婚なんか関係ない。
マウントをとることでしか自分を肯定できない視野の狭い悲しい人間。
結婚=幸せ?
人間社会では「結婚=幸せ」っていう価値観がある。
だから結婚式はだいたい祝福モード全開だし、結婚がゴールインと例えられるのもその価値観からきてる。
マウントをとるような人は「結婚したから私は幸せ」っていうのをアピールしたいんだと思う。
確かにそこだけを切り取ってみたら幸せにみえるのかもしれない。
でも。
結婚したからといって全員が全員幸せかというとそうでもない。
結婚はあくまでゲートイン。#競馬用語でスタートラインに立つ意
そこからふたりの生活が始まる。
どんな相手であれ、結婚したことを前向きに捉えて、その上で自分に出来ることをやる、とかならそれはそれで幸せな人生なのかもしれないけど、人それぞれの考え方や価値観がある。
逆に結婚したことで苦しい状況に立たされてる人は腐るほどいる。
結婚した人の3分の1以上が離婚してることからもそれは明白だ。
「結婚生活はしんどいけどいろんな事情があって離婚まで踏み切れない」って人もまだたくさんいらっしゃるから、それも含めて考えるとおよそ半分ぐらいは幸せになれてないんじゃないかと思う。
果たしてホントに「結婚=幸せ」なのか?というと疑問しか残らない。
何が自分にとって幸せか?
「結婚=幸せ」の幸せの部分の内訳は?どんなところが幸せなのか?マウントをとってくる人に聞いてみるといいかも。
幸せなんて他の誰かが決めることじゃない。自分で決めることだし、感じることだ。
既婚マウントをとるような人は、おそらく自分の幸せが何なのかも分かってない。
そのくせ、人に「結婚した私は幸せ、あなたは幸せじゃない」って言いたい。
むしろマウントをとるような人は、自分の結婚生活がうまくいってないことが多い。
その不満を他者にぶつけて少しでも自分が優位な立場でありたい、という心の現れでもある。
マウントをとることでしか自分を肯定できない、弱くて自分のことしか考えれない悲しい人間。
結婚はステータス
人はいろんな人間と関わることで生きていく。
仕事で毎日のように関わる人もいる。
いろんな人たちの中で自分はどの立ち位置にいるのか?を重要視する人にとっては、「結婚」はひとつのステータスになる。#ステータス=社会的地位、状況、状態
「結婚している」という事実が、社会における成功者として重要な要素になるのだ。
マウントをとるような人は「あなたは私より立場が下なのだからひれ伏しなさい」とでも言いたげだ。
そんな人ほど家庭内で偉そうにしたり不倫したりしてるんよな。
それが自らの社会的地位を下げてしまうことにもなりかねないのに。
ステータス思想を家庭に持ち込んでしまって、家族に対してもマウントをとってしまっている。
要は自分のことしかみえてない。
マウントをとることでしか自分を肯定できない、弱くて惨めな悲しい人間。
こどもマウント
既婚マウントと同じようにこどもがいることでマウントをとってくる人もいる。
「こどもがいないと人としてどうなの?」
「自分のこどもを持ってしかわからない感情がある」
「こどもをもってこそ人間は一人前」
などなど。
確かにこどもを育てることはひとつの人生経験にはなる。
こっちの想像の斜め上をいくこともあるし、思い通りにいかないことばかり。
その反面、できるようになったことがあると、ものすごく嬉しかったりする。
でもそれはべつに「自分のこどもを持つ親じゃないと味わえない感情」ってわけでもない。
児童施設、学校、幼稚園、保育園とかで働いてる人はそういう感情を毎日味わうことができるし、虎吉のようにこども食堂という場所だってこどもと接する機会は多いから、いろんな感情を味わうことはできる。
こどもを作らないっていう選択を自らする人もいるし、体質とか病気とかで親になりたくてもなることができない人だっている。
そんな人たちの気持ちとかを考えれない時点で、マウントをとる人のこどもの将来が心配になる。
そんなことでその人の価値が変わるはずがあろうか。
結婚と同じように、こどもを産むことが大人の証だったり、こどもがいることが幸せだったり、ステータスになったりする人が一定数いらっしゃるのは事実。
でもこども食堂「虎吉」を運営してて、毎日こどもたちと接してると、こどもの将来が心配になる親がたくさんいる。
…っていうのも、親の愚痴を言ってくれる子がたくさんいるからだ。
虎吉というごくごく小さい規模でそんな感じなんだから、全国レベルで考えるとそんな親はもっとたくさんいるんだろうなぁと思ってしまう。
そしてそういう親に限ってマウントとったりするんだろうな、と。
マウントをとるような親ってだいたいこどもとの関係がうまくいってない。
だから独身者に対してそういうマウントをとってしまうんだろうな。
マウントをとることでしか自分を肯定できない・自分を慰めれない、弱くて惨めで哀れな悲しい人間。
既婚マウントはなくならない
マウントをとるような人は総じて結婚生活に満足してなかったり、不安や不満がある人が多い。
その負の感情を和らげる手段として他者に対して優越感を見せつける。
そんなことしても一時的なものだし、どうにもならないこと。
相手を不快な気持ちにさせるだけ。
そしてそれが巡り巡って自分に返ってくる。
でもいちばん厄介なのは本人にはマウントとっているという自覚がなく、ただただ「善意」で言ってくるというケース。
そういう人は「結婚」「出産」が自分の中で当たり前になっていて、視野が狭くなってる。
両方経験してない人が身近にいる。
だけどその人はその人で自分で選んだ道なのだから、それに対してどうこう言おうとは思わない。
そんなもので人の価値は決まらない。
結婚するのも自由だし、こどもを作るのも自由。
しないといけない決まりなんてない。
自分は自分、人は人。
世の中の人たちがみんなそういう考えになったら世界は平和になるのになー。
ならねーだろうなー・・・。
ご清聴ありがとうございました。


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