こども食堂虎吉の日常には小さな幸せがたくさん転がってる:こども食堂店主のひとりごと

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torakchi

こども食堂【虎吉】店主。整体師。音楽家。水墨画家。バツ3。元女性風俗セラピスト。元PA(音響)。

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こども食堂とは

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『虎吉の日常には小さな幸せがたくさん転がってる』。

 

こども食堂をやって1年ちょっと。

だいたいの事象はとらえ方次第で幸せにも不幸せにもなるなぁという、よくある話をリアルに体感した話。

 

日々こどもたちがやってきて、なんかよくわからんけど仲良くなった子もたくさんいる。

仲良くなった子は成長期この上ないので1食だけじゃ物足りない場合もある。

 

そんな時、彼らはサイフからなけなしのお金を出して追加で注文する。

「サイフに300円しかないぃっっ」とか言いながら。

 

どうやら虎吉の料理を「美味しい」と認識してくれているようでとても嬉しい。

 

もしくはどうしても腹が空いてるから仕方なく、「もうここでええわ」ってなってるだけなのかもしれない。笑

 

お金を持っていない子もいる。

 

それでも食べたい、と彼らは言う。

 

そんな時は何かお手伝いをすれば食べてもいいよ、と。

 

そのお手伝いはその時々で変わる。

 

洗い物をしてもらうこともある。

買い物に行ってもらう時もある。

たまったペットボトルのゴミを近くのスーパーの回収ボックスまで捨てに行ってもらう時もある。

店内のそうじをしてもらう時もある。

 

彼らはそのお手伝いを喜んでやってくれる。

中にはブーブー文句を言いながらやる子もいる。

 

文句をたれるヤツには「イヤならやらなくていいよ」と僕は言う。

 

そう言うと彼らは「ごめんなさい、やります」と言って渋々ながらもキチンとやる。笑

 

それだけ「食べたい」という欲望の方が勝っているのだ。笑

 

僕的にはやってくれてもやってくれなくてもどっちでもいい。

 

僕がやれば一瞬で終わること。

なんなら僕がやった方が確実に早いのは早い。

 

でもそれをあえてやってもらってるのは、こどもたちに社会ってそういうものだよっていうことを体験してもらうため。

 

家でお手伝いをして何かをもらうのと大して変わらないかもしれない。

 

だけど、僕は彼らの親じゃない。

 

ただのそこらへんにいるひとりの他人の大人だ。

 

お手伝いをして報酬をもらう。

お手伝いをしてくれるのは僕の手が空くので、その時間で僕は他の事ができたりするから、虎吉にとっては価値のあること。

 

何らかの価値を提供することで報酬が発生する。

これは大人が仕事でやってることと同じ。

 

報酬といってもお金じゃない。

 

だけど、そういう経験が社会に出た時に役に立つんじゃないか、と思ってる。

 

彼らはそれをブツブツ文句を言いながらも楽しんでやってくれてる。

 

仕事は楽しんでやるのがいちばんいい。

 

仕事をした後にコーラをすごく美味しそう飲んだり、すごく美味しそうにごはんを食べる。

 

自分が働いて得た報酬は、無料でいただくものとはまた味が違ってくる。

 

そんな経験をしてもらえたらな、と思う。

 

中には自らお手伝いを申し出る子も出てきた。

 

そんな彼らの顔はいつもとはまた違った輝きを放っていて、嬉しそうだ。

 

そんな小さな出来事に幸せを感じる日々。

 

こういうのは多くの人が幸せを感じるんじゃないかと思う。

だけど、とらえ方次第だな、と思うこともある。

 

虎吉に来るこどもたちは小学校高学年から中学生の子が多い。

 

ゆえに彼らはすごく生意気な口を聞いたり、横柄な態度をとったりする。

 

それを「生意気だ!」と捉えてしまう人が多い。

実際にそういう動画をSNSにあげたりしていて、コメントで「生意気でムカつく」とかそういうのがたびたびある。

 

そりゃーそうでしょう。

 

生意気なお年頃なんだもの。

 

人それぞれ時期に差はあるものの、生意気と感じられてしまうような時期ってあるじゃない?

 

僕にはそんな生意気な時期がなかった。

厳密に言うと、あったけどたぶん20歳とかそのあたり。

 

中学生ぐらいの時はそんなことできなかった。

 

だからこそ思う。

 

そういう多感な時期に生意気言える環境って大事だな、と。

 

僕は物心ついた時から親に対して恐怖と不信感しかなかったから、思ってることを素直に言えなかった。

生意気なんか言った日にゃあこっぴどく怒られる。

だから彼らが生意気言えるってことはそれだけ心を許してくれてる証だなと思う。

 

冷静に考えたら。

 

家では生意気な態度をとったり生意気なことを言ったりするけど外では大人しくしてる、っていうのが一般的なんじゃないかなーと思う。

 

中学生の時、友達の家に遊びに行ってその友達が親に対してすごく生意気な感じだったのを覚えてる。

普段はそんな感じが一切なく、家ではまるで別人のように幼くみえた。

それも複数人がそんな感じだったから、そういうのがごく一般的な家庭なんだなーと認識して、ちょっと羨ましかったのを覚えてる。

 

今の時代の彼らにも当てはまるのかどうかはわからないけど、だいたいそういうのはどの時代でも同じような気がする。

 

ってことは。

 

虎吉でそういう顔をみせてくれてるっていうのは彼らが心を許してくれてるってことなのかなーという考えに至った。

 

もしかしたら家でもみせない顔をみせてくれてる可能性もある。

 

SNSのコメントでそういうのもあった。

 

もしそれが事実だとして。

 

その子の親からするととても羨ましい話なわけで。

 

そんな顔をよもやSNSでみることになるとは思ってもみなかったわけで。

 

お手伝いにしてもそう。

 

普段、家で洗い物なんかしたことないのに、虎吉では自ら率先してやる。

 

それをSNSでみた親が嬉し泣きしてた、ということをこども本人の口から聞いた。

 

そんなこともあるもんなんだなぁーと、しみじみ。

 

お手伝いをすることに関してはあまり悪く言う人はいないけど、「衛生上良くない」みたいなことを言う人がいても不思議じゃない。

 

生意気なことに関してはけっこう悪く言う人がいらっしゃる。

 

でもどんな事象でもそうだけど、みる角度によって捉え方は変わる。

 

虎吉には小さな幸せがたくさん転がってる話。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

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