汗にまみれて泥にまみれて情けない面さらしてつかんだもの:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『汗にまみれて泥にまみれて情けない面さらしてつかんだもの』。

 

人間時には必死こいてやる時も必要だな、とつくづく思うって話。

 

「◯◯になりたい」

 

そう思うならなおさら。

 

誰かに頭下げたりすることもしないといけない。

頭を下げるには直接その人に会いに行った方が伝わりやすい。

会いに行くために汗をかくこともある。

会いに行くために泥まみれになることもある。

 

疲れてしんどくて、死ぬんじゃないかってぐらい体力消耗して、すげぇ情けない顔になることだってある。

 

それでも。

 

そんなものはなんてことはない。

 

死ぬわけじゃないから。

 

汗をかくのも、泥まみれになるのも、疲弊して死にかけるのもずーっと続くわけじゃない。

 

汗も泥も水で流せばすぐ落ちる。

 

死にかけるほど疲弊しても1日2日寝れば回復する。

 

たったそれだけのことで「◯◯になりたい」に近づけるなら喜んでやる。

 

その姿をみたまわりの人間が何を言ってこようが関係ない。

カッコ悪いと言われることも。

情けないって言われることも。

ダサいって言われることもある。

それが今の自分の姿だ。

 

でもそれもずっと続くわけじゃない。

 

そうやってダサくてカッコ悪い姿をさらすのもそうだけも自分でその姿をみるのもまたしんどいこと。

だけど。

 

「◯◯になりたい」っていうのと、自分のそういう姿を天秤にかけた時、自分のそういう姿なんか安いもんだ。

 

てゆーか。

そんな姿をさらすこともできないような中途半端な気持ちならやらない方がマシ。

 

僕は18歳の時に家を出て、いったん就職したものの入社式でブチギレて辞めた。

 

高校卒業と同時に家を出てひとり暮らしを始めて、さらにバンドをやりたかったので、何か仕事をしないといけない。

 

しかも髪の毛を坊主にして、さらに金髪にしてしまったので、それを受け入れてくれる所を探さないといけない。

当時は髪の毛は黒くないと仕事にありつけなかった。

 

いろいろ探してやっとみつけたのが工場の仕事だった。

朝8時ぐらいから夕方5時までの冷蔵庫を作るお仕事。

 

18歳でひとり暮らしをしていると、同級生のたまり場のようになる。

 

毎日毎日仕事が終わって家に帰ると取っかえ引っ変え誰かが居た。

 

特に何をするわけでもない。

 

ただただ居心地のいいたまり場になってた。笑

 

そりゃータバコは吸い放題だし、買って来さえすれば酒も飲み放題。

いつでも寝ようと思えば寝れるし、僕の許しがあればいつまででも居放題。

そんな最高な場所ないよね。

 

しかも僕が次の日仕事だというのに夜遅くまで起きてなんかやってやがる。笑

 

おかげでよく寝坊した。

 

そうやって仕事はいちおうして暮らしてはいたものの、バンドをやりたいという気持ちはどんどん膨らんでいくばかり。

 

時々サポートで単発的なライブとかはあったものの、もっとどっぷり音楽に浸かりたい。

 

でも今のままじゃ音楽に触れる機会が圧倒的に少ない。

 

何かできることはないんだろうか。

 

どうしたらいいかをひたすら考えながら毎日過ごしていた。

 

そういえば高校生の時、ライブハウスでライブをやった時に「PA」という音響の仕事があったのを思い出した。

 

僕もそんなことをしてみたい。

 

僕は「PAになりたい」。

 

そうすれば、毎日音楽漬けだ。知識も身につくし、まだ組んでもいないけど、いずれ組むであろうバンドのためにもなる。

想像したら面白すぎたので、それからというもの、どうすればPAになれるかをずっと考えた。

 

そんな時、家によく来てたやつのひとりが、僕がよく出演してたライブハウスで働き始めた。

 

そのツテを使ってPAになれないか考えた。

 

まだ働き始めて間もなかったけど、さっそく言ってみた。

僕「PAになりたいんやけどどうしたらいいかな」

友人「どうなるかわからないけどとりあえずPAの人に伝えてみる」

と言ってくれた。

 

高校生の時に組んでたバンドのメンバーのひとりがそのライブハウスの人とすごく仲良しだったので、僕のこともいちおう認識はしてくれてたものの、こんな高校出たばっかりのフラフラしてるような人間を受け入れてくれるわけないよなー…とか思ってたのでほぼ絶望的。

 

そんなふうに考えてたら、なんと意外な返事が返ってきた。

 

「ホンマにやりたんやったら1回電話しておいで」

 

と、電話番号を教えてもらった。

 

なんと。

 

僕は嬉しすぎてオシッコちびりそうになった。

だけどそれもつかの間。

電話するとかムリなんですけど。笑

 

面識はあったものの、ほとんどしゃべったこともない4つ年上の人。

 

電話番号を教えてもらった次の日、僕は仕事をしながらそのことが頭から離れなくて、全然落ち着かなかった。

 

かといって、いつまでもその状態でいるのも嫌だし、仕事が終わってナンジャカンジャしてたらどんどん先延ばしになってしまいそう。

 

もうその場で電話をしようと覚悟を決めた。

 

「トイレに行ってくる」と言って仕事を離れた。

そしてトイレに着いて個室に入り、大便器の前で携帯電話を手に取る。

 

この時の緊張は今でも鮮明に覚えてる。

 

ドキドキしすぎて心臓が破裂するんじゃないかと思うぐらい緊張した。

 

緊張で頭が真っ白になりながら通話ボタンを押した。

 

その時の会話はよく覚えてない。

 

でも「やりたいんやったら1回おいで」と言われて、ヒザから崩れ落ちて安心したのは覚えている。

 

PAになるための道は開けた。

 

後は自分次第。

頑張ればPAになれる。

 

電話をしたその日、僕は仕事終わりでライブハウスに向かった。

 

ちょっとでも前に進みたい。

じゃないととてもじゃないけど気持ちが落ち着かなかった。

 

着いてからどんな言葉のやりとりがあったのか一切覚えてないけど、PAブースに入らせてもらって感動したのは覚えてる。

そこでまずやったのはケーブルを巻くこと。

これが早く正確にできないとPAは何も始まらない。

 

その日はもうひたすらケーブルを巻いて1日が終わった。

巻くことだけに集中しないと上手く巻けなかった。

 

その日から僕は毎日通い続けた。

雨の日も。風の日も。そのライブハウスでライブがある時は必ず行ってた。

給料は1円も出なかったので、工場の仕事とかけ持ちで、夕方からライブハウスに向かうというスタイル。

 

ヘタすると終わるのが夜の12時とかになることもあって、次の日の工場の仕事が寝不足で死にそうになったこともあったけど、ツラくはなかった。

 

ライブハウスでの仕事はしばらくはケーブル巻きとステージの転換作業のみだけだったけど、どれもこれもPAになるための道だと思うとすべてが楽しくてしかたなかった。

 

ケーブル巻きも慣れてくると何も考えなくてもできるようになって、その空いた意識で師匠がどんな感じで仕事をしてるのかをひたすら見続けた。

 

ミキサーとかエフェクター、いろんな機器を触る手。

目線。

気持ちの持っていき方。

どんなテンションでバンドの人たちと会話してるのか。

どんな感じで音を出してるのか。

などなど。

 

見れるところはたくさんあったので、時間が全然足りないぐらい。

 

1日があっという間に過ぎていった。

 

僕はどうやらやる気が表に出ない性質のようで、1回外部のPAの人が来た時に、「この子やる気あんの?」と、僕の師匠に怒り気味に訴えていた。

師匠は毎日毎日通ってるのを知ってるので、その場は「まぁまぁ…」と言っておさめてくれたけど、僕は内心悔しくてしかたなかった。

 

初めましての人にガツガツ行けるほどメンタル強くねんだよ。

とかいろいろ思うことはあったけど、今この場で反論したって無意味だと思い、その場はただ無言で耐えた。

 

PA修行を始めて3ヶ月ぐらい経った頃、PAの師匠の方が組んでるバンドの練習のPAをやってみるか?と声をかけてもらった。

 

マジかっっっっ!!

 

なんてこったい。

 

僕はそのバンドは高校生の頃から好きだったので、もうこれ以上ないご褒美だった。

 

そのバンドはいつも夜中にライブハウスで練習をするというスタイルで、僕はその当日ワクワクが止まらなくてずっとニヤニヤしていた。

 

やっとPAができることと、好きなバンドの練習をみれる。しかも自分の好みの音にいろいろ調整できる。

 

こんな幸せなことある?笑

 

3ヶ月の間、ほぼ毎日PAの仕事のお手伝いをしてきたから、マイクの準備やらの手順は完璧に把握できてる。

自分がその場所にいたらどうするか、のシミュレーションも何回もやった。

 

後はそれを実践するだけ。

 

PAとしての第一歩をやっと踏み出した感じがして、すごく嬉しかった。

 

それからはそのバンドが練習する時は毎回PAをやらせてもらって、少しずつ経験を重ねていった。

 

そうこうしているうちに、普段のライブのPAも少しずつやらせてもらえるようになった。

 

そしてあの電話の日から半年。

 

僕のPAとしてのデビューが決まった。

 

今までずっと頑張ってやってきたことがついに報われる。

 

いろんなことがあった。

 

…ような気はするけど、特に嫌だなと思ったことは外部のPAの人が来た時だけ。

アレだけはすごく悔しくてさっさと一人前の仕事ができるようになりたいと気合いが入った。

 

でもそれも、そのおかげで気持ちが引き締まったのは事実。

 

とにかくこの半年間は「早くPAになりたい」っていう気持ちが強すぎて、それ以外のことは屁でもなかった。

 

でも後から考えると汗にまみれて泥にまみれて情けない面をさらしてよく頑張ってたなぁと思う。

そんなふうに頑張れた背景には、中学のバスケ部時代、ケガで半年ぐらい一切活動ができなかったことがある。

あの時、バスケをしたくてもできなかったことが何よりも悔しかった。

それでも必死で練習を重ねてたらレギュラーになれた。

ドラムを始めてからも、最初からすぐに叩けたけど、1年も経たないうちにすぐに壁がやってきて、ドラムを辞めたくなるぐらいボコボコに言われた。

「ヘタクソ」だの「辞めちまえ」だの「才能ない」だの。

ホントに落ち込んで続けてももうムダなんじゃないかって思ったほど。

でも冷静に考えてこのまま終わってなるものか、と。

このまま終わったら人間的な成長もできなくなる。

そしてそのまま死んでいく、とか思ったら悔しすぎて再起。そこから猛練習して必死で上手くなろうとした。それこそ汗をかいて泥まみれになって情けない面をさらして。

 

そうするといろんな人からバンドのお誘いの声がかかるようになるぐらいは上手くなった。

PAを目指すまでにいろんなことがあって、それを乗り越えてきたからPAを目指すぐらいはへのカッパだったんだと思う。

人間時には時にはそういう時間も必要で、そういう経験があればわりと楽しく生きれるし、人に優しくできるし、いろんな人と交流がしやすくなる。

少なくとも、そういう経験がない人間が他人にどうこう言うのはカッコ悪い。

毎日毎日必死で練習してても結果なんてすぐ出ない。

少なくとも1か月は何も結果なんて出ないまま練習を続けないといけない。

その間はすごくみじめにもなってくるし、不安にもなるし、絶望的にもなる。

それでもできるか、だ。

できないってことはその程度の気持ちしかないってことだから、もうそういう人間には興味がわかない。

やるかやらないかは自分次第だけど、いろんなことを考えればやらない選択になんか意味があるのか?

そこから逃げたら一生逃げ続けることになる。

じゃあ。

やるしかないんじゃない?

 

ご清聴ありがとうございました。

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