人を育てるということ:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『人を育てるということ』。

 

人を育てる。

 

これはどんな場面でも言えること。

 

子育てもそうだし。

仕事でもそう。

 

皆さん苦労してんなー、という印象。

そんなに難しいのかしら?って思うけど、僕自身は何も難しいことはないと思っている。

 

たぶんだけど、捉え方の問題で「育てる」っていう考え方がそもそも間違ってるんじゃないのかなーと。

 

人は育てるものじゃない。

 

勝手に育っていくものだ、っていう捉え方をすればもうちょっと違った視点でモノをみれるのでは?

 

「育てる」っていう意識を持つと、全部自分の責任になっちゃう。

 

どっちにしろ全部自分の責任であることには変わりはないんだけど。

 

「育てる」になると、その人をコントロールして自分の支配下に置こうとしてしまう。

 

でもそれだと、時分の思った通りにいかなかった時にイライラしたりパニックに陥ったりして、感情をぶつけてしまいがち。

 

その感情をぶつけられた側のこどもとか後輩とかは、それが原因でトラウマを負いかねない。

 

たった一時のくだらない感情のせいで。

 

他にも、「育てる」っていう意識を持つと変なプレッシャーがかかる。

 

「ちゃんとした人間に育てないと…!」

 

っていう。

 

それが子育てになるとより一層強まる。

 

夫婦間で共有できてたらなんとかなるかもだけど、それができてないと親は自分しかいないから、っていう考えになっちゃう。

そんなこと考えてたら息詰まっちゃうし、楽しくないから違う考え方をした方がいい。

 

何よりも。そもそも人が人を育てるなんておこがましいし厚かましい。

 

植物ならまだしも、人間とかその他動物には意志がある。

その意志を無視するケースが多いからこういうことを考えてみようと思った。

植物を育てるには、水をあげる量とか気温とか湿度とか、けっこうキッチリ管理しないといけない。

 

でも人間とか動物はそんなことは不可能。

自分の意志で動いてると離れることだってある。

その時には何も管理なんかできない。

 

自分のことですらちゃんと把握できてる人なんてそうそういないのに、他人のことなんてどうやって把握できるんだ。

 

でもそういう人に限ってすべてのことを把握しようとしたがるから困ったもんで。

 

できるわけねーのに。

 

それよりも。

 

「勝手に育つ」っていう意識でやる方が圧倒的に効率がいい。

 

精神的にも余裕ができる。

 

そういう意識を持つようになったのはPAをやってた20歳ぐらいの時。

 

その頃は僕も同じように「育てる」っていう意識を持ってた。

 

「育てる」対象はバンド。

 

いろんなバンドがいたけど、中でも多かったのは高校生バンド。

 

彼らは身体はもう立派な大人だけど精神的にはまだまだ未熟なティーンエイジャー。

 

思い通りにことが運ぶはずがない。

 

ちゃんとすればすごくいい演奏ができていいライブができるようになるのになぁー…

 

こちらが彼らのためを思ってそんなことを言ったとしても、彼らはそんなこっちの思いなんか知ったこっちゃない。

 

やらねーんだ。

 

宿題みたいな感じで、次回のライブまでにこういうことができるようになろう、って言ったところでそれを確実にこなしてくる子なんてほぼいない。

 

だからその都度その都度こっちもいろいろ考えないといけない。

 

なんとかこの子たちをいいバンドにしたい。

 

でもそう思えば思うほど、その思いが強くなればなるほどどんどん空回りしていった。

 

こっちが意図したことをやらない。

 

それがストレスになって、相手に対して苛立ちを覚えるようになった。

 

そしてその苛立ちを隠せなくなって表面化する。

すると、それが相手にも伝わっちゃう。

 

そうなると関係性がどんどん悪くなっていってしまう。

 

初期の目的とは真逆の方向になってしまった。

 

これはいけない。

 

そう思った僕は方向転換することにした。

 

バンドをいい方向に向かわせたい。

 

その思いは変わらない。

 

でもこっちがいくら考えてそれを伝えたところで、その真の意図が伝わってるかどうかなんてわからない。

 

じゃあ相手に考えさせればいい。

 

そう考えることにした。

 

そうすればこっちはライブの後とか、ライブ以外のところで意見を言うだけで、その後やるかやらないかは彼ら次第。

 

でもそれは同時に、「こっちが何を言うか」のハードルが爆上がりする。

 

あの曲にはどんな意図があったのかを聞いたり。

あの動きにはちゃんと考えがあったのか聞いたり。

音作りの狙いとか。

 

ちゃんとライブの細かいところまで観察しないといけない。

 

ライブだけじゃなく、普段の立ち振る舞いとか言動にまで注意を傾けないといけない。

 

じゃないとライブのすべてはみえてこない。

 

すごく大変だし、考えることも増えたけど、やり甲斐はそっちの方があった。

 

それでこっちが思う通りになった時なんかはすごく嬉しい。

ダメだなーって思った時でも、それはいろいろ考えた上でのことだったりする。

 

その時は失敗に終わったとしても、次にはつながる。

 

そして回数を重ねていってやがてうまくいくようになる。

 

あー。

人ってこうやって育っていくんだなー。

 

って実感した。

 

そのやり方ですべての子たちがうまくいったわけじゃない。

 

中にはこっちがいくら考えて意見を言っても、何も理解してないこともある。

 

そんな時はもうお手上げだった。

 

そしてそんな子はやがて音楽を辞めていく。

 

その後どうなったかも知らない。

 

世の中そんなに甘くはない。

 

でもそういった「人に何かを教える立場」というのを経験したことは僕の人生でめちゃくちゃ生きてる。

 

他の仕事で人に教える時にも、とりあえず本人の思うようにやらせてみる。

 

それで失敗した時の責任は全部僕が背負う。

 

そうすれば失敗はしても大丈夫なんだ、っていうマインドになって、思い切った行動ができる。

 

思い切った行動をして成功すればそれは本人にとって大きな自信になるし、失敗したとしても、その失敗を「なんで失敗したんだろう?」ってちゃんと自分で考えたり、僕自身が教えたり一緒に考えたりして分析することで次に繋げれるから、ムダにはならずちゃんと糧になる。

 

それを重ねると、どんな状況でもちゃんと自分で考えれる人間に育つ。

 

子育ても同じく。

 

僕は日曜日ぐらいしか家にいなくて普段はほとんどこどもとかかわることがなかったからあんまり声を大にして言えることではないけれども。

 

まーでも、こどもは極論いえば親である自分だけの問題ですむ。

失敗して他人に迷惑をかけてしまったなら、自分が頭下げればいい。

 

その覚悟を持っていれば、だいたいのことは笑って見過ごせる。

 

でもその覚悟がないと、失敗をする前に止めようとする。

止めてしまったらこどもはそれがうまくいくのか失敗するのかのさじ加減がわからず、むしろそっちの方が大きくなってからいろんな人に迷惑をかけてしまう可能性は高くなる。

 

そしてフラストレーションもたまりやすい。

 

仮に失敗をしたら、その責任が親である自分に及んでしまうことに恐怖を感じて、感情的になる。

タチが悪い親はその感情をこどもにぶつけてしまう。

 

そういうのが積もり積もっていつしか反抗期になって親である自分に牙をむく。

 

そして親子関係はグダグダになっていく。

 

子育て失敗。

 

子育ては失敗するとやり直しがきかない。

 

その失敗した分の時間は二度と取り戻せない。

 

そんな親子はたくさんいる。

 

僕の親もそうだったから、余計にそこは気を使ったところだった。

 

人は理不尽に上に立ってしまうとかならずしっぺ返しがくることを身をもって知っていたから。

 

人は「育てる」ものじゃない。

ほっとけば勝手に育っていく。

それをサポートするだけだ。

でも、そのかわり一緒にいる時は細かいところまで観察することを忘れちゃいけない。

本人が何を好むのか、何を嫌がるのか、そんなことも細かく把握してないといけない。

そしてそれは日々変わっていくものだということも。

「育てる」なんておこがましい。

 

ご清聴ありがとうございました。

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