おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『おとなとこどもの関係』。
先日、昔から知ってる10年以上つきあいのあるお客さんがいらっしゃった。
その方は70近いマダムのOさん。
ズケズケと言いたいことも言えるし「オカン」みたいな存在。
Oさんはバツイチで娘とその弟がいてふたりとも僕と同年代。
こどもが20歳ぐらいの時に離婚したらしい。
現在そのふたりのこどもとの関係があまり良くないとのこと。
ほんの何年か前まではそんなに関係が悪いとは言ってなかったのに、ここ最近はすこぶる関係がよろしくないと。
弟さんの方は元々そんなに良好と言えるような関係ではなかったっぽくて、そんなに大差ないかなーと思うんだけど。
娘さんの方は関東在住で、Oさんと同じアーティストの追っかけをして一緒にライブを観に行ったり、泊まりに行ったりそれなりに関係は良好だったように思えた。
のに。
なぜ。
詳しく話を聞くと、幼い頃にお母さんであるOさんがぞんざいな扱いを娘さんにしたらしい。
でもそれは元旦那である父親がOさんに対してぞんざいな扱いをしてたことがそもそもの原因っぽい。
そのぞんざいな扱いをOさんが受け流してたことが娘さんの中で気に食わなかった、っていうことをここ1年ぐらいで言われ出したと。
僕にも似たような経験があるからなんとなくその気持ちはわからなくもない。
僕自身はオネショが原因で心を閉ざしてしまった。
そしてそれかは40年経った今、ようやく自分の中でケリがついて、両親に話したところ、思ってたのと違うリアクションが返ってきた。
その時点で父と母は感謝はするけど尊敬はできない、というすごくわだかまりが残った感じになってしまってる。
そのわだかまりは時間が経つことでしか解決できないんだろなーと思ってるからもうそれはしかたない。
妹に「もういいやん、仲良くしたらいいやん」と言われるけど、そんな簡単なものじゃないのよ。
Oさんのところも形は違えどそんな感じなのかなー、と。
そう考えると、幼い頃の記憶っていうのは大人になってもずっと残る、って考えた方がいいなと。
しかもそれはよっぽどの事がないと治ることがない、取り返しのつかない大ケガにもなりうるから、親はそこに細心の注意を払わないといけない。
僕らの世代あたりから携帯電話の出現で個人間でのやり取りが可能になった。
さらにインターネットの普及でいろんな情報がガラス張りになったことで、今まで当たり前だと思ってたことが実は違うんじゃないか?って思う人が増えていった。
たとえば暴力。
僕らも含めた上の世代は先生や親に殴られたり蹴られたりするのは当たり前の人たちが多かったけど、僕らよりも下の世代はそれはもう完全に「ダメなこと」として認識してる。
学校の先生は「体罰」になって大問題になる。
親でもこどもに暴力を振るうと「虐待」になってこれまた大問題。
その境目にいる僕らの世代はなんかいろんな変化に対応できなかった人が多いんじゃないかなと予想。
それが当たり前だと思ってたけどどうやら違うらしいぞ?みたいな。
え?じゃあ今までやられてたことってなんなんだ?みたいな。
今までは親や先生にそういうことを無理やりされても特にそれを疑問視するなんてことはなかったけど、インターネットの普及でそういうのが明るみになって「それはないだろ」的な風潮が広がった。
親子関係とか先生と生徒の関係っていうのは、絶対的なナニカがあった。
でも現代、それは完全に失われてる。
血の繋がりがある親子と言えどしょせんは他人だ。
先生と生徒なんてもっと他人だ。
支配していい理由なんかどこにもない。
なのに親や先生はこどもを支配下に置こうとする。
そして大人の意見や考え方を理不尽に押し付けてこどもの意志をなきものにしようとする。
怖いのは、そういう考え方が親や先生が主体になってないところ。
教育委員会、もしくはもっと上が大元だ。
真の狙いは国民をそういう風に従わせて、従順な納税者を増やそうとする策略。
きったねー。
それはさておき。
親や先生は血の繋がりとか義務教育というものに守られてきたせいでこどもたちとちゃんと向き合ってこなかった。
ゆーてしまえば集客なんかしなくても勝手に生徒はやってくる。
向き合おうが向き合わまいが関係ない。
そして多くの人たちがそういう真実を知って心を失くしてしまった。
いくら親子といえど。
先生と生徒といえど。
自分たちの自由にしていい権利なんかどこにもない。
憲法でも言ってるじゃないか。
基本的人権の尊重
って。
なのにそれを無視するから親子の関係がおかしくなる。
こどもだって人だ。
意志もあるし幼いなりにいろいろ考えてる。
ナメてかかるといつか足元すくわれちゃうよ。
ご清聴ありがとうございました。
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