おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『人には見た目で判断できない深いものがある』。
人は見た目で判断してはいけない
とはよく言うけど。
それを実践してる人ってそんなにいない。
僕自身、見た目で判断されたことは数知れず。
やる気あんの??とか。
怖い……とか。
いつも眠そう……とか。
その度に思ってきた。
「なんて浅い人間なんだろう」
と。
どうして表面だけの情報で人を判断してしまう?
どうしてもっと深いところを読み取ろうとしない?
百歩譲って判断するだけならまだしも、それを本人に伝えてしまうのはいかがなものか?
そんなふうに残念に思ってしまう自分が決して気持ちのいいものではなく、とても残念で悲しい、マイナスな気持ちにしかならない。
それ以降、その人と関わったとしても、マイナスな気持ちにしかならない可能性が高いので自然と距離を置くようになってしまう。
自分がそう思うってことは人も自分に対してそう思う可能性があるということ。
それは絶対イヤだなぁ、と。
どうすればいいんだろう?
僕が出した答えは、
この人には何か裏がある
常にそういう意識を持って人と接することができたらそうはならない。
いや、こんな言い方をすると悪いふうにとらえてしまうかもだけど、いい意味で。笑
見た目っていうのはその人の今の心境とか精神状態が現れるもの。
たとえば僕でいうと見た目は金髪でジャージという、夜中にコンビニでうんこ座りしてタバコ吸っててもおかしくないぐらい、第一印象は決してよろしくないもの。
おそらくそれを「怖い」と思う人もいるだろう。
実際に虎吉にきた中学生にそんなふうに言われたこともあるぐらい。
でも僕はあえてそういう格好をしてる。
一般的な認識として、日本人なら黒い髪でちゃんとした服装をしてる方が人当たりが良さそう、というのがある。
学校でそれ以外の人が生徒指導の先生に厳しく指導されるのはそういった根っこがあるからだ。
僕自身、何回もそういうことがあったから辟易してた。
#辟易ってナニ
でも今はあえてそういう見た目になることで、見た目で判断するようなつまらない人を入り口で排除できる。
「この人怖そうだからお店に入りたくない」
とか、
「こんなチャラチャラしたやつにまともな仕事ができるわけがない」
みたいな考えに至る人はたぶんたくさんいらっしゃる。
でも僕はそういう人間はめんどくさいので関わりたくないから、労せずして排除できればそれに越したことはない。
むしろ見た目で判断してくれてありがとうでござる。
こういう格好をしてるのにはもうひとつ理由がある。
それはこどもたちへのメッセージ。
こんなふざけた見た目でもちゃんと生きていけるんだよ、と。
仲間もできるし、応援してくれる人もいる。
そういう人がいればこの世の中は生きていけるんだよ、と。
人ってこんなにも自由なんだよ、と。
それを明言してるわけではないけど、そういうことを考えるキッカケにでもなればいいなと。
たぶん僕らが過ごした10代よりもさらに生きづらくなってるだろうから、「こんな大人もいるんだ」ぐらいの認識を持ってくれたら嬉しい。
見た目と言えば、「こども食堂」っていう活動自体もそうだ。
日本でそういうことをするのは貧困で食べれないこどもたちのために、っていうイメージが強い。
実際に僕自身、始める前はそんなイメージを持っていた。
でも1年弱やってきてそういう子はほぼいない。
それどころか貧困とはほど遠い子たちのたまり場みたいになってる。
全員とそういう話をしてるわけではないので、中にはそういった家庭の事情がある子もいるかもしれない。
でも表面上だけの情報ではそれは到底わからない。
今でもこれから先も「実はそうだった」っていう子がいる可能性は皆無じゃないから決して油断はできない。
地域とかタイミング、店主である僕の人間性、いろんな要素が複雑に絡まっての現状だから、こども食堂が必ずしもそうなるとは限らないけど、世間一般的な「こども食堂」のイメージとはかけ離れたものになってるのは事実だ。
インスタやTikTokのコメント欄でもそういうものだっていうイメージがあってのコメントが多々みられる。
そういうコメントをしてる人はそういうイメージだけで判断してて、もっと奥深いものがあるなんて1ミリも考えない浅はかな人間なんだな、と認識してるのでわざわざコメントしてくれて感謝しかない。
実際は、家でも学校でも素を出せない子がこの虎吉という場所では自然体を晒してくれてる。
こんな生きにくい世の中でそういう場所が、心の拠り所があるっていうのは素晴らしいことだ。
そんな場所にしてくれたのは他でもないこどもたち自身だ。
僕はその流れに乗っただけ。
もちろんただ乗っただけじゃない。
この子にはどんなバックグラウンドがあるんだろう?っていうのを深く読み取ろうとした結果だ。
大人だろうとこどもだろうとそれなりの年数を生きてきたことは変わらない。
その中でどんな思いをしてきたかなんて僕にはわからない部分もたくさんある。
僕の4分の1しか生きてなかろうと、僕よりも深い考えを持ってるかもしれない。
僕よりもたくさん傷ついてきたかもしれない。
それをみせないようにしてるだけかもしれない。
そんなことはわからない。
どれだけ生きてるかなんて関係ない。
でも自分の中で「こうだ」って決めつけて接するのはその人に対するリスペクトがない証拠。
それを僕が勝手に判断してたなら、今の虎吉はなかっただろう。
人は第一印象でだいたい決まるとか言ったりするけど、そういう人が多いっていうだけ。
中にはそういう慣習を利用して、あえてナメさせようとする人間もいる。
そうやってナメさせておけばその人の本性がみえるから。
自分がそういう人間だから、余計に人にそう思われるのは癪に障る。笑
それだけは避けたいので、人には誰しも自分の想像もつかない深みがある。
そう思って接するようにしてる。
決めつけてしまったら一生後悔してしまうかもしれない。
まぁでもだいたいそれは裏切られることの方が多いけど。笑
それならそれで。
でも中には「おぉ……」って感動するぐらい深い人間もいるので、その時はこの上なく嬉しい。
これからもそんな人間にたくさん出会いたい。
ご清聴ありがとうございました。
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