おじいちゃんの思い出:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『おじいちゃんの思い出』。

 

僕が21歳の時。

 

じいちゃんが死んだ。

 

2月3日。節分の日だった。

 

もうひとりのじいちゃんは僕の高校受験の合格発表の日の明け方に死んだ。

 

どっちのじいちゃんもすごく優しくて、怒られた記憶がない。

 

先に死んだじいちゃんは関わりが少なかったけど、9歳ぐらいの時に将棋が楽しいって話をしたら将棋盤を買ってくれて、その将棋盤は今でも大事にしてる。

 

死ぬ1週間ぐらい前にお見舞いに行った時、起き上がる元気もない状態だったけど、合格祝いを自分から渡してくれた。

まだ合格かどうかもわからないのに。

 

入試の時、あ、これは合格するだろうなっていう手応えはあったし、その話はしてた。

 

おそらくじいちゃんはもう自分が長くないことを悟っていたんだろう。

末期のガンだった。

そしてこのお見舞いが最後になるかもしれない、と思ってまだ1週間前だったけどフライングで合格祝いをくれた。

 

その時僕は、もうじいちゃんが長くないんだ、っていうのを悟った。

 

でもまさか、合格発表当日の明け方に、とは思ってなかった。

たぶん夜中の2時とか3時ぐらい。

 

病院から連絡があった。

父と母がバタバタし出して、僕も目が覚めた。

あ、これはもうダメなやつだ、って思った。

 

そこからもう1回寝ようとしたけど、全然寝つけなかった。

 

じゃあもう起きとこう、と。

 

たぶん帰ってくるのはだいぶ遅くなって、ヘタしたら朝になるだろう、と。

 

中1と小5の妹はふたりとも寝てる。

 

学校もある。

 

バタバタするだろうから朝ごはんでも作って待っとこう、と。

今考えたらなんてできる子なんだって思う。笑

 

何をして時間をつぶしてたか忘れたけど、たぶんマンガでも読んでたんだろう。

外が明るくなってきたぐらいの時、予想通り父と母は帰ってこないので僕は動き出した。

 

お米は準備してあったから、目玉焼きとみそ汁を作った。

 

作り終わったぐらいの時に父と母は帰ってきた。

 

案の定、じいちゃんが死んだ。

 

母方のじいちゃんだったから、いろんな手続きやらをするために母はすぐさま病院へ。

僕の合格発表は父がついてきてくれた。

説明会みたいなのがあって、それに保護者がついて行かないとダメだった気がする。

 

寝不足で意識が朦朧としてる中、合格したのをみた。

でもじいちゃんが死んだ。

 

合格することはもう試験の時の手応えでわかってたから喜びの感情は1ミリもわいてこない。

じいちゃんが死ぬことも1週間前のお見舞いでわかってた。

 

でももう何が何だかわからない。

頭の中はグチャグチャだった。

 

その日、お通夜に行ったことも、次の日に葬式に行ったことも、もう覚えてない。

 

じいちゃんは僕の高校受験合格という置き土産を置いて旅立って行った。

 

それから3年後。

 

高校を卒業した。

 

3回も停学をくらって、いつ辞めてもいいと思っていたけど、じいちゃんがくれた合格だったのと、3年の時の担任が素晴らしい先生だったこともあって、なんとか無事に卒業できた。

 

その頃僕は、家族との仲がかなり険悪になっていた。

停学3回もくらうぐらいだ。

抑えていた鬱憤が高校に入って一気に爆発して父親とはほとんど会話をしなくなった。

 

それでももうひとりのじいちゃんには会いに行ってた。

ひとりでスーパーはくとに乗って。

 

じいちゃん家では何もせずただただダラダラして過ごしてた。

その事で父と母にはバッチバチに怒られた。

 

それでもじいちゃんは何も咎めることなく、優しかった。

じいちゃんにしてみたら、孫がひとりで電車に乗って会いに来てくれる。それだけでじゅうぶん嬉しかったんだろう。

 

僕はまだ孫はいないけど、こどもはいる。

自分のこどもがひとりで公共交通機関を使って会いに来てくれたりなんかしたら、その事実だけでワシャワシャ抱きしめたくなるほど嬉しい。

 

孫とかだったらその嬉しさはさらに倍増するかもしれない、とか考えたらそりゃそうなるよねーって自分の行動は決して間違ったものでもなかったなと思いたい。笑

 

まぁできればお手伝いとか積極的にしてたらなおよかったんだけど。

当時の僕はすこぶる不貞腐れてたので、そんな余裕はなかった。

 

高校に入ってからは家族と共にじいちゃんの家に行くことはなくなったけど、僕は定期的に単独で会いに行ってた。

 

そんな中、高校を卒業したと同時に僕は家を出てひとり暮らしを始めた。

 

就職はしたけど、社長のやり方が気に入らなくて入社式の途中で辞めた。

 

そこから音響の仕事をするようになり、バンドを始めた。

 

社会人になって、バンドを本気でやり始めてから、ほんの少しだけ大人になった。たぶん。

 

けど相変わらず父と会話することはないままだった。

 

そんな中、じいちゃんの体調が悪くなっていった。

 

またガンだった。

 

家を出てからも、車に乗ってひとりでじいちゃんの家に行ってたけど、少しずつ元気がなくなっていくじいちゃんをみるのがツラかった。

 

じいちゃんのガンが発覚してから、父と会話するきっかけができて、ギクシャクしてた関係が戻った。

 

その後すぐにじいちゃんは死んだ。

 

母は「おじいちゃんがあんたらふたりの関係を修復してくれたんやね 」なんて言ってたっけ。

 

優しいじいちゃんだった。

 

結局死ぬまで僕は怒られたことがなかった。

 

小さい頃、僕がじいちゃんの隣で寝ててオネショをしてしまった時。

家では怒られてばっかりだったけど、じいちゃんは怒るどころか笑ってた。

 

小学校3年生の時、ゲームボーイが欲しかった僕は、親に頼んでも全然首を縦に振らないので、親には内緒でじいちゃんに手紙を書いて直談判した。

 

「おとうさんもおかあさんもゲームボーイを買ってくれません。おじいちゃん買ってください」

 

的な内容だったと思う。

 

その手紙を読んだじいちゃんはすぐさま駆けつけてくれて、ゲームボーイを買ってくれた。

 

親は何も知らなかったので、めちゃくちゃ驚いてた。

 

じいちゃんが帰った後、こっぴどく怒られたのは言うまでもない。

 

じいちゃんは何があっても僕の味方をしてくれて、大好きだった。

 

偶然にも、ふたりのじいちゃんは同い年で、戦争を体験してる。

ふたりで戦争の話に花を咲かせてた、と母は言ってた。

 

僕も戦争の話を聞きたかったし、もっといろんな話をしてみたかった。

天国で会ったらいろんな話をしてみたいな。

 

ご清聴ありがとうございました。

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