メンヘラを卒業する方法:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『メンヘラを卒業する方法』。

 

メンヘラという言葉がある。

 

メンタルヘルスが不安定な人、心の健康状態がよろしくない人のことを指す言葉。なんだとか。

あんまり意味も深く考えずなんとなくで使ってたものの、世間一般的なイメージはあんまりよろしくない。

 

メンヘラは誰も幸せになれないし、本人に自覚が1ミリもない。

そしていろんな人に迷惑をかける。

 

だからイメージがよろしくない。

 

何がどうなったらメンヘラなのかっていう基準はたぶん人それぞれなんだろうけど。

 

共通してることは人の気持ちを考えず、自分のことしか考えてないっていうこと。

てゆーか他の人のことなんか考える余裕がない、って言った方が的確かも。

 

それほどに心に闇を抱えてしまってる状態。

 

僕は一部の人からメンヘラ製造機と呼ばれてしまうほど、関わった人がメンヘラになりやすい。

 

こんなことを自分で言うのもなんだけど。

 

実際そうだからもうこれはネタとして昇華するしかないなと。

 

メンヘラの主な特徴は基本的に「自分」に軸があること。悪い意味で。

 

「自分はこんなにも頑張っているのに」

とか

「自分ばっかり我慢してる」

とか

「自分なんて……」

とか。

 

そういうのって言われるとすごく精神的に負担がかかるし、なんなら言わなくても空気で伝わってくる。

 

メンヘラになってしまう主な要因は「ヒマ」。

 

他にやることがなく、脳みそに余裕がある状態の時にメンヘラになりやすい。

 

ずっと相手のことを考えてしまうわけだ。

 

それ自体は素晴らしいことなんだけど、それがマイナスな方向に考えちゃうからタチが悪い。

メンヘラの例として。

「誰といるん?」

とか

「浮気してんの?」

とか、その他もろもろ、疑いをかけることに関しては超一流と認めざるを得ない。

 

たぶん僕自身にも問題はあると思うんだけど、こればっかりはそれだけではどうにもならない。

 

そんなマイナスなことは考え出したらキリがないし、もし違ってたらそれはそれでしんどいし、いいことなんて何ひとつない。

 

ましてそれを相手にぶつけてしまうともうケンカにしかならない。

 

ケンカにならずとも確実に空気は悪くなる。

 

ヘタすると関係自体が終了する。

 

そんなメンヘラの気持ちは分からなくもない。

 

僕にもそういう時期があったし、誰にでもそうなる可能性はある。

 

この人はメンヘラにはならなさそうだな、って人でも漏れなくメンヘラにお成りになられる。

 

メンヘラを卒業するには、すべてを自分の責任にするしかない。

 

僕は中学生の時にちょいメンヘラだった。

そしてわりとすぐに時間のムダだと気づいて卒業した。

 

その当時は「メンヘラ」っていう言葉はなかったけど、今考えたらあれは間違いなくメンヘラだった。

 

それも異性に対してではなく、同性に対して。

僕は中学校入学の時点から大阪に転校してきて、それまでも繰り返す転校とかいろいろあって心を閉ざしていたので、心を許せる友達がなかなかできなかった。

 

だからひとりでも仲良くしてくれる人がいると、その人に依存してしまってた。

 

だからその人が他の人と仲良くしてるのとかをみるとすごくイヤな気持ちになったし、「おれのことなんかどうでもいいんだ」とか思ってた。

 

いやー。

こわいわー。

メンヘラだわー。

 

でも僕の場合はそれを相手にぶつけなかったからまだマシだった。

てゆーかぶつけるなんてこわくてできなかった。

 

だいぶ病んでた。闇だった。

 

そんな気持ちになるのもしんどかったし、どうにかこうにか抜け出したかった。

 

ちょうど同じ時期にヒザが痛くなってバスケ部を見学せざるを得なかった。

その時に悔しすぎて自分と向き合うことが増えて、すべてを自分の責任って考えるようになった。

ヒザが痛くなったのも自己管理力の無さ。

それで試合に出れなくて悔しい思いをしたのも、誰のせいのもできない。

すべて自分の責任。

 

そーなると、とことん考えるタチなので、そんなメンヘラ的なことを考えるヒマがなくなった。

 

半年ぐらい大人しくしてたらヒザの痛みもなくなって、バスケットボールに夢中になった。

 

心の拠り所がバスケしかなかったけど、毎日毎日部活に明け暮れることでなんとかメンタルは維持できてたからか、メンヘラが出てくることはなくなった。

 

バスケは高1でやらなくなったけど、その矛先はドラムに、音楽に変わって、プロになりたいって腹が決まってからは常に自分との戦いで、メンヘラとは無縁の人生になった。

 

そのかわり、メンヘラを生み出す側にになってしまった。

 

自分自身が軽いメンヘラだったのと、数々のメンヘラと関わってきたのとでみえたことがある。

 

卒業するためには方法はひとつで、自分自身と向き合うこと。自分を磨くこと。

 

それしかない。

 

たくさんのメンヘラをみてきてわかったことは、メンヘラは自分自身を成長させようという感じがあまりみられない。

 

今の自分に満足してしまってる傾向にある。満足tっていうか、「自分はこのままでいいんだ」的な。

 

だから「自分はこんなに頑張ってるのに」とか「自分ばっかり我慢してる」とか「自分なんていない方が…」っていう思考になってしまう。

 

ホンマに頑張ってんのか?

ホンマに自分ばっかり我慢してんのか?

 

もっと頑張れる、我慢できる余地はあったりするんじゃないか?

 

自分なんていない方が…って、じゃあいてもいいぐらいの人間になれるようにもっと自分自身を磨けばいいだけの話じゃないのか?

 

僕の場合はバスケや音楽に没頭することで「自分磨き」を常にし続けた。

今も自分磨きは継続中。

 

没頭すればするほどその結果が自分に返ってくる芸術とかスポーツは、苦しいこともあるけど、裏切りはしない。方向さえ間違っていなければ。方向が間違ってたとしても、それは「経験」になることもある。

 

それすらも自分の責任にできなかったらもう人として終わりだ。

 

だけど、人間は裏切ることもある。

 

メンヘラになる人は裏切られた過去を持ってることが多い。

それが心の傷になる。

 

心の傷が残ったまんまだと、その傷を再びえぐられたくないので守りに入っちゃう。

守りに入ると心の余裕がなくなる。

そうなるとまわりも自分自身もみえなくなって自分を認められなくなる。

だから自分以外のところに評価を求める。

その対象が「人」の場合、自分が望んでるものとは違うものが返ってくることが多い。

それで躍起になって自分の望んでるものを返してもらおうとする。

それが依存だ。

 

そしてそれこそがメンヘラの心理。

 

 

人間なんてその日の気分とか精神状態で考えが変わったりする生き物だし、時間が経てば経つほど考え方も変化してくるから、思った通りになることはほとんどない。

 

そこですれ違いが生じてメンヘラはどんどん酷くなっていく。

 

僕の場合はその対象をバスケや音楽にしたことでメンヘラはあっという間に卒業できた。

 

そういうものに没頭できればメンヘラなんてこわくない。っていうかそんなヒマがなくなる。

それができずにいつまでもメンヘラ体質が残ったまんまなのは、シンプルに物事に没頭できていないだけ。仕事でも趣味でもなんでもいい。没頭するものがあればメンヘラにはならない。

他に理由なんかない。

 

ご清聴ありがとうございました。

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