おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『ヒップホップの歴史』。
わが虎吉の中学生ラッパー「ZIPPO」はヒップホップが大好き。
彼とかかわるようになってからヒップホップの世界に本気で足を踏み入れた。
それ以前は、19~20歳ぐらいの時に「ミクスチャーロック」というジャンルの音楽をやってたことがあって、その時に軽くヒップホップに触れたぐらいで、以降まったく聴くことがなかった。
なのでほとんどその世界を知らなくて、アーティストもほとんど知らない。
長い間音楽に携わってるのに、ヒップホップはだいぶ疎い。
これはダメだと思って、積極的にいろんなヒップホップを聴くようになった。
ヒップホップってアンダーグラウンドなイメージがあって、アーティストの皆さんもどこかアウトローを感じさせる人たちばかり。それも音楽だけじゃなくてダンスにもヒップホップというジャンルがある。
それがすごく不思議に思えて、これは何か裏があるな、と思い、歴史が気になった。
ヒップホップはいつどこで何がきっかけで生まれたんだろう?
と。
いろいろ勉強してたらすごく興味深かったのでここにアウトプットしておこうかと。
ヒップホップが生まれたのは1973年の8月11日。
この日がヒップホップの誕生日って言われてて、アメリカは国を挙げてこの日を「ヒップホップ記念日」と定めてる。
そんな日を国で決めてあるのがなんかすごくアメリカっぽさを感じる。
日本でいうと演歌記念日とかになるのかしら?
なんかイマイチしっくりこないし、そんなものがあったところで特に何も起きないのが日本だ。
そんなことはどうでもいい。
ヒップホップが産声を上げた場所はニューヨークのブロンクス。
1970年代初頭、その地域はゲトーと呼ばれるスラム街。
貧困でドラッグに溺れる人や、ストリートギャングが多い地区だった。
#ゲトーって言葉を初めて知ったので使いたかっただけ
この当時、世間はディスコブーム。
だけど、ブロンクスの人たちは貧困でディスコに行くお金がない。
そこで彼らは自分たちだけで公園に集まってパーティをするようになった。
自宅からターンテーブルを運んできて、外灯のコンセントに差し込んで(電気泥棒)、DJがレコードを回してダンサーが踊ったり、壁に絵を描いたり、MCがラップを披露したりしてた。
貧困な若者がお金のかからない公園で行ったパーティ。
これがヒップホップの始まりだった。
そのパーティにはヒップホップの元祖と呼ばれてる3人のDJがいた。
- クール・ハーク
- アフリカ・バンバータ
- グランド・マスター・フラッシュ
彼らはヒップホップ界隈では生きる伝説だ。
ヒップホップの誕生日とされてる、1973年の8月11日、DJの「クール・ハーク」という人が妹のシンディ・キャンベルと一緒にパーティを開いたとか。
そのパーティいちばん最初だったのか、それ以前からちょくちょく行われていたのかはよくわからないけど、ヒップホップは音楽のいちジャンルじゃなく、文化だ。
ダンスにもヒップホップというジャンルがあるのはここからきてるのかしら。
DJのクール・ハークは母親の影響でブラック・ミュージックにはまっていて、公園で回すレコードもファンクやソウル、R&Bの曲を回してダンサーを踊らせていた。
そんな中、1曲の中で歌がない間奏がいちばん盛り上がってることに気づいた。
そして同じレコードを2枚、ターンテーブルを2台つないで、同じ曲の間奏部分だけを長く流した。
間奏部分のことをブレイクビーツといって、これがヒップホップの基本になったんだと。
ブレイクビーツに乗って踊るダンスを「ブレイクダンス」と呼んだり、ブレイクダンスをする少年たちを「B-BOY(ビー・ボーイ)」と呼んだ。
これはヒップホップに携わることがなかったら知らなかった事実だ。
なんかバラバラに散らばってたパズルのピースが全部つながった気がして嬉しくなった。
アフリカ・バンバータはギャング集団「ブラック・スペイズ」のリーダーだった男。
彼も幼い頃から母親の影響でレコードを数多く集めていた。
クール・ハークのDJプレイに影響を受けてDJの技術をどんどん身につけていく。
そして後に「マスター・オブ・レコード」と呼ばれるまでになる。
バンバータはDJ、ダンス、MC、グラフィティの4大要素を「ヒップホップ」と名付けた。
ヒップホップは音楽のジャンルじゃなくて文化だったのだ。ほえーーーーー。
そしてもうひとり。
グランド・マスター・フラッシュはDJとMCという、ヒップホップ音楽のスタイルを確立させた人だ。
彼は客に背を向けてDJプレイをしたり。
クール・ハークが生み出したブレイクビーツをリピートさせるテクニックを、より正確にループさせる方法を編み出したり。
スクラッチプレイに欠かせない「スリップマット」というDJ機材を作ったり。
今のヒップホップ・スタイルの細かい部分を確立させた。
この3人がいなかったら今のヒップホップはないと言っても過言ではない。
こうしてみると、現在のヒップホップの原型が1973年のニューヨークにすべてあったんだなと。
彼らが好んでかけていたのはファンクやソウル、R&Bといったブラック・ミュージック。
ブラック・ミュージックはそもそも黒人が人種差別を憂いて歌ったもの。
今のポピュラーミュージックのほとんどはブラック・ミュージックに影響を受けてる。ヒップホップもその魂はしっかり受け継いでて、彼らが歌うのは反骨の精神。
黒人差別を受けたことに対するいわば「愚痴」をラップにして歌ってる。
ヒップホップの歴史はブラック・ミュージックそのものの歴史、と言っても過言ではない。
……ってことは。
黒人の歴史を勉強しないとヒップホップ語れないじゃないか。
まだまだ勉強しないと。
ご清聴ありがとうございました。
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