おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
今回のテーマは『人が人じゃなくなってる』。
「飲み」と「コミュニケーション」が混ざった造語。
飲みニケーションという言葉が生まれてずいぶん久しい世の中。
そもそもこの言葉が生まれたのは仕事とプライベートを分けたいっていう人たちが皮肉って作ったんじゃないかという気がしてる。
・・・って思って調べてみたけどいつ生まれたのかはよく分からなかった。
どうやら高度成長期にはすでにあったっぽい。
その時代なら仕事終わりに飲みに行くことは(たぶん)当たり前みたいなもんだったから、どちらかというとポジティブな理由で生まれた言葉なのかもしれない。
でも今、そうやって皮肉に聞こえるのは、飲み会で親睦を深めるという行為を良しと思わない人が増えたっていう話をよく聞くからだろう。
僕の感覚では、お酒を飲む場が親睦を深めるっていうのは間違いなくあると思っていて、それを嫌がる人の気持ちが1ミリもわからない。
むしろ、なんて自己中な考え方なんだろう、と不快な気持ちにすらなる。
それならそれで勝手にすればいい、とも思うけど。
僕は居酒屋とこども食堂を経営してるけど、居酒屋のお客さんがたまに「飲みに行こう」と言って連れ出してくれる。
普段お店で飲みながら僕としゃべってるのにもかかわらず、だ。
いくら飲みながらしゃべってるとはいえ、あくまで僕は仕事中だ。
他にもお客さんがいればそちらにも気を配らないといけないし、注文が入れば料理やお酒を用意しないといけないから作業に集中しないといけなくなる。
しゃべってる途中でもそんなものは関係ない。
そうなると話が途切れ途切れになって中断してしまう。
飲みに誘ってくれるってことはそんな僕とゆっくりしゃべりながら飲みたいっていう意思表示でもある。
そしてその連れて行ってもらった飲みの席で楽しい時間を過ごすことができれば、また嬉しそうに僕のお店に足を運んで来てくれる。
さらにその飲みの席で知人を紹介してもらったりすることもある。
その紹介してもらった知人が僕のお店に足を運んで来てくれたり、場合によってはその知人を通じて設備なんかも安く手に入れたりすることもできる。
僕にとってはお店の環境が整うし、その知人の人にとっては顧客がひとり増えるから、ウィン・ウィンの関係になれる。
実際に僕はそういう出会いでお店をキレイにしてもらったことがある。
まだオープンして半年も経っていないのにもかかわらず。
でもこれはほんの一例で、自分で仕事をしていればこういうことは多々ある。
でも始めからそういうことを狙っていったわけではなく、あくまで目的は連れて行ってくれた人と楽しい時間を過ごすため。
もし僕が自分のことしか考えない自己中で、その飲みの席の誘いを断ってたとしたら、そんな出会いもなく、いまだに僕のお店はキレイになることもなく、そのままだったかもしれない。それだけならまだしも、誘ってくれた人はもう諦めて僕のお店に来てくれなくなるかもしれない。
たった一度、断ったせいで二度のチャンスを失っていることになる。
フリーランスとか経営者だと、仕事の現場以外での立ち振る舞いがすごくカギを握る。
そういう場として、お酒の席だったりゴルフという社交の場がある。
ゴルフをよくする人の話を聞くと、ゴルフでラウンドを回りながら仕事の話になって、そこでお仕事をいただくこともたくさんあるそう。
僕はゴルフはしないけど、飲みの場にはよく連れて行ってもらってる。
それは僕のことを可愛がってくれてるからで、人と人としてのお付き合いだ。
そういう繋がりがあるからこそ人脈も広がる。
現に僕のお店をキレイにしてくれた人は今ではすっかり常連さんになってくれて、頻繁にお店に足を運んでくれるようになった。
必ずしもそういう繋がりができるとは限らないけど、行動に移さないことにはそういうチャンスには巡り会えない。
どんなお店だって自分ひとりでは成り立たない。
お客さんがひとりでも来てくれるから売り上げが上がって、そのお金で材料を仕入れたり家賃を払ったりできる。
場所と材料あればなんとかなる。
結果、僕はなんとか生き延びることができている。
人はひとりでは生きていけない。
僕はサラリーマンはしたことがないけれど、同じことが言えるんじゃないかな、とは思う。
飲みを断る人の多くがサラリーマンだし。
会社は組織だからいろんな人がいる。
いろんな人がいて、それぞれが分担してひとつの成果を上げる。
その会社での仕事をすべてひとりでこなしてるわけじゃないから、コミュニケーションをとることは避けられない。はず。
ってことは、人対人。
信頼関係があった方がより細かな情報を共有できる。
なんなら仕事のことだけじゃなくて、プライベートのことまでも話せるぐらい信頼関係のある間柄なら仕事の話もより円滑になる。
少なくとも僕自身はそう感じてるし、実際にそういうところまで話してくれる人は仕事の話でもスっと入ってくる。
そして自分の意見を言いやすい。
人ってそんなもんなんじゃないかな。
そういう意味でいうと、近年の飲み会を拒否するような人って人じゃないよなー、と思う。
いろんな人が繋がって今の自分の仕事があるってどうして考えないのかしら。
その繋がりをより深めるためにはそういう場も必要だ。
そこに報酬を求めるような人間は僕ならいらない。
何より感謝の気持ちがまったく感じられない。
それが嫌なら自分ひとりだけで仕事するがよい。
でも仕事っていうのはだいたい需要と供給で成り立ってるからどっかで必ず人との密接な繋がりが必要な場面も出てくる。
そのためには一見ムダに思えるような「飲みニケーション」が必要な時もある。
そしていつかその「ムダ」が「必須」に変わることだってある。
世の中どこで何がどうなるかなんてわからないからねー。
ご清聴ありがとうございました。
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