こども食堂店主のひとりごと:こどもとの距離の縮め方

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

今回のテーマは『こどもとの距離の縮め方』。

 

こども食堂(兼居酒屋!)をオープンして5ヶ月の月日が流れた。

 

まだまだ本当に必要なこどもたちには届いてない部分が多々あるのを肌でヒシヒシと感じつつも、ようやく理想の形の片鱗が見え始めた。

 

常連さん(大人こども含め)が増えてきたのが何よりの証。

 

こどもたちはホントに自由でやりたい放題。

 

カウンターの中に勝手に入ってくるわ、冷蔵庫勝手に開けてゴソゴソ物色するわ、しまいにゃ勝手に自分で材料買ってきて新メニュー考え出すわ。笑

 

言いたい放題言われていじられまくっている店主がココにひとり。笑

 

でもそれはこどもたちが自分らしさを出してる証拠でもある。

 

そしてその自由でやりたい放題こそが僕の理想としてる「形」だ。

家や学校でどんなふうに過ごしてるのかはわからない。

もしかしたらまったくの別人格かもしれないし、そのまんまかもしれない。

 

何はともあれ。

 

僕の中で理想としてた「こども食堂」の形になってきている。

こどもたちが素を出せる場所。

 

多くの大人がそんなものを望んでるのかどうかは知らないけど、今の日本ではそういう場所が極端に少ない気がする。

 

こどもたちはみんな大人の顔色をうかがって生活している感じだ。

 

それじゃまともな大人にならない。

 

もういい加減右へ倣えの世の中は終わらせた方がいい。

そのためには大人とこどもの距離を近づける必要がある。

 

僕ひとりでやったところでどうにもならないけど、こどもたちがそういう大人もいるんだっていう認識を持ってくれたらそれでいい。

 

とりあえずは。

 

ゆくゆくはそういう大人が増えてのびのびと成長していってくれたら日本はすごくいい国になるんじゃないかなと信じてる。

 

何年、何十年かかるかわからないけど。

僕の意志をひとりでも多くの人に伝えたい。

 

大人こども含めて。

 

理想の形になってきた、とは言ったけど、それは勝手にそうなったわけじゃなく、そうなるようにちゃんと逆算してその通りに動いた結果。

 

たぶんこれができる大人は少ない。

 

「オトナ」だから。

 

どうしてもこどもはこどもっていう目線でみてしまうし、まわりの目も気にしてしまう。

 

「オトナ」としてそれは素晴らしいことだと思う。

 

でもそうやって線引きすることがこどもにとってはちょっと寂しかったりするものだ。

 

僕自身がこどもの時そうだったから。

 

「あー、この人は僕に対して壁を作ってるなー」

 

っていうのがヒシヒシと伝わってくる。

 

そうじゃなくて、僕はガンガン踏み込む。

目線を必ずこどもと同等レベルまで落として。

#わざわざ落とさなくても同等レベルなのは内緒

 

そして「ツレか!」ぐらいの空気感を作る。するとアイツらは心を開いてくれる。

 

ただ。

 

しょっぱなからこちらからガンガン行くのではなく。

 

いきなりガンガン踏み込むと警戒されて離れていってしまう。

 

最初はただ待つのみ。

でも待ってる時もこどもたちの動きやちょっとした仕草、言動なんかはよく観察する。

 

何が好きなのか、何が嫌なのか。

積極的なのか、消極的なのか。

その子の情報を少しでも把握しておく。

 

待ってたらそのうち話しかけてくるタイミングがあるから、その時だけはガンガン踏み込んでいく。

 

でもそれもケースバイケースで、人によってはそこでただ待った方がいい、ってこともある。

 

そこにこれはこう!って明確に言えるものはない。

 

人それぞれ。

 

こどもだからといってナメてかかると彼らがナメてかかってくる。

 

「ナメる」にもいろんな種類がある。

 

ひとつは完全に下にみる「ナメる」。

これはもはや人とも思ってないと言っても過言でないぐらい、ものすごく雑な扱いを受けるもの。

 

よく「ナメてんのか」とか「ナメんなよ」みたいなセリフがあるけどそういう扱いを受けた、と思った人が吐く。

でも多くの場合、本人にそのつもりはまったくなく、ナメられてると勘違いしてる側のただの被害妄想である。

 

もうひとつは、尊敬の念を込めた上での「ナメる」。

 

これは傍から見るとナメられてるように見えるけど、本人たちはイジって楽しんでいるだけである。

 

なので僕は後者の方で完全にナメられている。

 

でも僕はナメられているわけではなく、あえてナメさせている。

 

その方がこどもたちの素がみれるからだ。

そして本音を語ってくれる。

 

そうするとコミュニケーションがすごく円滑になる。

 

まずはそういう関係を作ることが大切。

 

その上で、僕が最終的にこどもたちに伝えたいのは『人ってこんなにも温かいんだよ』ってこと。

 

そしてそういう人たちがまわりに居れば、この世界は素晴らしいものにみえるってこと。

 

世界が素晴らしいかどうかなんてその人の捉え方次第。

 

みる人がみればくだらない世界にもみえる。

事実、そんなふうにみてる人はけっこういらっしゃる。

 

でも「くだらない」って見限ってしまうのはとてもカンタンなこと。

 

それをくだらないとみるか素晴らしいとみるかはその人次第。

 

その「人」は環境によってとても左右される。

 

環境とは主に「人間関係」だ。

 

人間関係によって「人」が形成される。

 

まわりにいる人はひとりじゃない。

 

たくさんの人と関わっていく中でその影響を受けて人間は形成されていく。

 

その人たちが自分のことばっかり考えるような自己中の集まりだったら、少なからず影響は受ける。

 

腐ったミカンの箱の中に入れられた新鮮なミカンはたちまち腐っていくように、人間も腐った人間の輪の中に入っていくとたちまち腐った人間になっていく。

 

でもそれが素敵な人たちの輪の中に入れば、同じように素敵な人間になっていく。

 

そしたらこの世界が素晴らしくみえる。

 

その輪の中に僕みたいな人間がいて、少しでも人間の温かさを伝えられたら、と思う。

 

何よりも怖いのは「孤独」になってしまうこと。

 

人は孤独になると、いや、厳密には決して孤独ではないんだけど、そう感じてしまう人も中にはいて、自分以外の人間を誰も信用できなくなってしまうことがある。

 

その時にひどく「孤独感」を味わう。

 

そうなってしまうとものすごくツラい。

 

誰にも必要とされてない。

誰かに甘えたいのに甘えられない。

 

そんな想いだけはさせたくない。

 

味わったら味わったでそのぶん深い人間にはなれるのは間違いないけれど。

 

そのことを思い出すとツラい…とかでもないけれど。

した方がいい経験としない方がいい経験があるから、あんまりオススメはできない。

 

そんなことよりも、いろんな人に関わっていろんな人の痛みを知って、その人に寄り添える人間になれたら、孤独のツラさもわかるようになる。

 

話がずいぶん違う方向にいってしまったけれど、僕がこども食堂をやってる理由のひとつだ。

 

こどもたちに伝えたいことはまだまだ書ききれないほどたくさんある。

 

まずはこどもたちと心を通わせないことには何も始まらない。

 

でもこどもたちもまだまだ未熟だけどひとりの心の通った「人間」だし、それぞれに違った考え方、個性がある。

 

それを忘れると大変なことになる。

素晴らしい世界への入り口のカギはこどもたちが握ってる。

 

ご清聴ありがとうございました。

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