恋愛・結婚に向いてないのではなく価値観が合ってないだけ:こども食堂店主のひとりごと

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torakchi

こども食堂【虎吉】店主。整体師。音楽家。水墨画家。バツ3。元女性風俗セラピスト。元PA(音響)。

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店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『恋愛・結婚に向いてないのではなく価値観が合ってないだけ』。

 

恋愛も結婚も向いてない!

 

それは向いてないのではなく、価値観が違う人としか会ってこなかっただけ。

 

世の中は広い。

 

もしかしたら自分の価値観とピッタリ合う人がどこかにいるかもしれない。

 

あなたのその価値観は決して間違ってるわけじゃない。

 

恋愛も結婚も人それぞれの形がある。

 

必ずしも「こうじゃないといけない」なんてことはない。

 

世の中には情報があふれてて、恋愛モノは特に多い。

映画、小説、漫画、ドラマ、音楽、、、

 

その影響で恋愛とはこういうものだ!っていう価値観が生まれやすい環境になってる。

 

日本人は右に倣えの文化で育ったから尚のこと、「恋に恋してる」人が多い。

 

「恋愛とはこういうものだ!」という価値観が、自分の中だけで完結してるならそれはそれで素晴らしいことではあるんだけど、多くの場合その価値観を人に押し付けてしまう。

 

だから話がすこぶるややこしく、めんどくさくなっていく。

 

もはや「恋愛は幻想である」と言っても過言ではない。

 

恋愛の意味

 

恋愛は交尾をするための準備段階。

 

「この人と交尾をしたい」

 

っていうのが根っこにある。

逆にそれがないパターンをみたことがない。

いわば子孫繁栄のための本能であるとも言える。

 

だからこそ、恋愛が人生においてかなりのウエイトを占めるっていう人がたくさんいる。

 

だけど、恋愛の形なんて人それぞれ。

 

自分の気持ちとか意志を大切にしないとどこかで崩壊する。

 

恋愛は交尾のための準備段階であるとともに、人と人との関係性を築くための有効な練習方法でもある。

 

自分の気持ちと相手の気持ちがお互いに素っ裸になってぶつかり合う。

 

しかもそこには文字通り素っ裸になる「肉体関係」というものもついてくる。

 

こんなにも深い人間関係は恋愛以外にはない。

 

肉体関係をちゃんとしたコミュニケーションツールとしてお互いに捉えることができたなら、人間関係を築いていく上ですごく役に立つものになる。

異性でも同性でも関係なく。

 

ただ、多くの場合対象が異性であることが多くて、同性で肉体関係をって人はそこまで多くない。

 

だからこそ、お互いの気持ちを思いやれる肉体関係までに関係が進むのって素晴らしいこと。

 

恋愛にはそういう意味もあるので、人として成長するためにはたくさん経験しておいて損がない。

ただ、自分の欲望だけに突っ走る男は少なくないので、多くの場合人間関係を築くことはなかなか難しいのが現実ではある。

 

自分の価値観を大切にすることが大事

 

恋愛には人それぞれの形がある。

 

10人いれば10通りの考え方、気持ちがある。

 

大切なことなのでもう1回。

多くの場合「恋愛とはこういうものだ!」みたいな価値観を押し付けてしまう。

 

優しい人は、それを許容してしまって、疲弊してやがて崩壊する。

 

崩壊するとなかなか立て直すのは大変なので、そうなる前にお別れした方がいい。

 

恋愛に対する価値観が違うだけなのに、「もう恋愛はムリだ」とか、「その先の結婚なんてとんでもない」っていう方向に行ってしまいがち。

 

だけどそうじゃない。

 

たまたまそういう人としか出会わなかっただけ。

 

もしかしたら幼少期の親からの愛情不足ゆえに、寂しさを埋めるためだけに恋愛をしてるっていう可能性もある。

 

でもそれは恋愛を求めてるわけじゃなくて、人としての温もりを求めてるだけなのかもしれない。

 

その価値観が合う人ってそんなにいないから、「恋愛はムリだ」っていう結論に至ってしまう。

 

でもその価値観が合う人であれば恋愛も結婚もやろうと思えばいくらでもできる。

 

世の中の「恋愛に対する価値観」とは違ったものでも、自分たちが納得していればそれでいい。

 

外野がどうのこうの言う権利も資格もない。

 

大切なのは自分自身の価値観をしっかりと見極めること。

 

そしてそれをブレないようにしっかり守ること。

 

その上で、その価値観を大切にしてくれる人と出会うことができたら、それも恋愛のひとつ。

 

恋愛に「つきあう」っていう口約束はいらない

 

恋愛ってどこから始まるのだろう?

 

よくあるのは「好きです、つきあってください」という告白をどちらかがして、相手が承諾すればそこから交際が始まる、っていうやつ。

 

その裏には「あなたと肉体関係を持ちたいです」という下心があるのと、「あなたは私(僕)が束縛します」っていう免罪符と権利を持ちたい気持ちが存在する。

 

肉体関係を持ちたいっていうのはすごく下卑た表現にも聞こえるけど、好きな人を抱きたいと思うのは人間としてごく当たり前の感情なので、とらえ方の問題なだけ。

「下心」っていう表現も同じく、なんか下卑たような表現ととらえられかねない。

でも下心があったから人類はここまで発展したんだから、それをどうとらえるか、だけの話。

それと同時に発生する彼氏・彼女なんだから自由を奪ってもいいと思い込む人たちが少なからず存在する。

たとえ最初はそうじゃなかったとしても、時間が経つにつれてそういう気持ちが芽生えてくる。

 

「つきあってるんだから当然」

 

的なことがよく起こる。

 

「つきあう」っていう口約束がなければ安心できない人たちが多くいるってことだ。

 

でも、人間ってそんな簡単に縛れるものじゃない。

異性がいる飲み会に行くな、とか。

異性の連絡先消せとか。

そんなクソくらえなことを言う人もいるけど、それをしたところで何にもならない。

 

肉体関係を持つのだって、つきあってからじゃないと、みたいな風習もある。

 

べつに順番なんかどうだっていいじゃないか、と思う。

 

仮につきあってから肉体関係を持って、体の相性とか性に対する考え方が違ってたら最悪だ。

 

好きならそれも我慢すべきだ、っていう考え方もあるけど、それをすればどっちかの心はかなり消耗する。

 

消耗していく心がもたらすのは不信感。

 

そして消耗しきった後に待ち構えてるのは「決別」だ。

 

熟年離婚なんかはまさにそれ。

 

「つきあう」とか「結婚する」っていう「約束事」が生まれることによって、相手が自分のものだと勘違いして、自分を磨こうという考えはどこかに飛んでいってしまう。

 

いちばんいいのは「つきあう」も「結婚」もなく自然とそういう形になること。

 

約束がなければ相手はいつどこに行ってしまうかわからない。

だけど、常にその状態であれば「飽きられないように自分を常に磨かなければ」という思考になる。

 

つきあったり、結婚してからでもそういう姿勢があれば関係は良好なまま続いていく。

 

ただ。

 

そんな考え方を持ってる人はあまりいないのが現実。

 

でもどこかには必ずいる。…はず。

 

だからこそ恋愛が向いてないって自分を責める方向に持っていってしまう。

 

そうじゃない。

 

たまたま自分の価値観と合う人がいなかっただけなんだ。

 

一般的な恋愛が向いてない。

 

それは間違いじゃない。

 

恋愛をすること自体はむしろ素晴らしいこと。

それを自分なりのやり方でやればいいだけ。

人の意見なんかどうでもいい。

自分が「好きだ」と思える人とよく話し合ってその人とどういうふうに関わっていくのかを当人同士で話し合って決めればそれでいい。

 

ご清聴ありがとうございました。

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