ムダだったけどムダじゃなかった20代前半:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『ムダだったけどムダじゃなかった20代前半』。

 

20代前半。

 

学生から社会人になる人が大半の日本社会。

高校を卒業した瞬間から社会人になる人もいる。

中学を卒業した瞬間の15歳から社会人になる人もいる。

小学校を卒業した瞬間から社会人になる人もいる。

中には学校なんか行ってないって人もいる。

キラキラした希望を胸に秘めてる人も。

学生気分が抜けないまま精神的にやられちゃう人も。

いろんな人がいる。

 

僕は高校を卒業した瞬間に社会人になって、就職した。

 

だけど入社式の日に辞めた。

 

せっかく就職したのに入社式で辞めた話

 

そこからはバンドをやると決めて、そのための勉強とバンドメンバー集めも兼ねてライブハウスの音響の仕事を始めた。

 

ライブハウスには同じようにバンドをやりたいって思う同世代がたくさんいて、何回かバンドを組もうというお誘いを受けた。

 

すっげー狙い通りにことが進んで内心ニヤニヤしてた。

 

PAとしてメインを任されるようになった頃、強烈な個性を持つメンバーに巡り会ってバンドを組んだ。

 

いろんなことがあった。

 

メンバー全員でUSJに遊びに行った時、僕がメンバーに対する不満が爆発してブチ切れて暴れたり。笑

ボーカルがクスリにまみれてライブ中止になったり。笑

 

本気で命かけてバンド組もうって言ったんじゃないの?

 

だけど、活動的には、地元のライブハウスでワンマンやったり、インディーズでCD出して全国流通になったり、メジャーデビューの話が出たり、わりと順調に活動は進んだ。

 

メジャーデビューにあたってバンド名を変えられたり、事務所の人たちに特別扱いされたり、なんかすっげぇ高級な食事に連れて行ってもらったり、メジャーの世界ってこんなんなのかぁ…っていうのを体験させてもらった。

 

そのメジャーデビューのための全国ツアーの直前にゴチャゴチャがあって解散した。

 

バンドが解散して、メンバーおよびその当時の音楽仲間とか含めほぼ全員と連絡をとることはなかった。

 

解散からおよそ10年。

 

僕は音楽から離れて全然違う仕事をしていた。

 

そんなある日。

 

ふと当時のことを思い出した。

 

いろいろあったけど元気してんのかなーと気になって、近況を覗いたろと思ってSNSをいろいろ漁ってみた。

 

するとあらビックリ。

 

当時組んでたバンドが一夜限りの復活ライブをするという告知が目に飛び込んできた。

 

おろろ???

 

何にも話聞いてないぞーー。笑

 

ハブられたのかしら。

 

ハブられること自体はべつに慣れてるからどうでもいいんだけど。

 

問題はそれを「復活」と言い切れてしまうメンバーの皆さまの心模様。

 

ドラム違う人間やん。

 

それでいいのか?笑

 

その程度のもんだったのか。

本気でプロ目指して頑張ってたのは自分だけだったのか。

 

いろんな想いが頭の中を駆け巡ってどうにもこうにも収拾がつかない。

 

冷静になって、その現実を受け止めるしかない。

 

あの頃切磋琢磨しながらやってたことは、間違いなく事実だったと思いたい。

 

だけどそうじゃなかったのかもしれない。

 

真相はもやはどうでもいい。

 

自分の中にもあーすればよかった、こーすればよかった、っていう思いは数え切れないほどある。

 

自分の至らなさがゆえにそーなったこともたくさんある。

 

その結果がこれだ。

 

問題はこれからをどう生きるか。

 

過去に起きたことはもう覆ることはない。

もう戻ってこない。

 

起きたことをどう受け止めてどう捉えるかは自分次第。

 

メンバーの皆さまに一瞬は失望したけど、それはそれで彼らの選択だから僕にどうこう言う権利はどこにもない。

 

ただ単に連絡がとれなかったってだけかもしれないし。

 

想像でネガティブなことにたどり着くのはよろしくない。

 

とはいえ。

 

こういう状況になってしまった以上、僕からコンタクトをとろうとすると拒否される可能性があるので、それはやめとこう。

 

もし。

 

この先。生きてるうちにどっかで会うことがあったら酒でも飲んで当時のことを笑って話せる日が来たらいいな、とも思うようになったからもうそれはどうでもいいや。

 

そう考えると、あの20代前半にやってたことは何だったんだろう…って思う側面はある。

 

ムダな時間だったのかなぁーと。

 

そう捉えてしまえばそれで終わりだろう。

 

でも決してそうじゃない。

 

そうじゃない側面もある。

 

その最たるものが音響の仕事。

 

バンド活動のために始めたつもりだったけど、実際はバンド活動よりも裏方の仕事の方が自分に向いてることが理解できた。

 

僕はステージの上に立つ人間じゃない、と。

さんざんステージの上で演奏してきたからわかったこと。

 

自分は表舞台には向いてない。

 

もし音響の仕事をしてなかったら。バンドをやってステージの上に立つことがなかったら。そんなふうに自分に何が向いてるかなんてわからなかったかもしれない。

 

そして音響の仕事で得た知識とか経験は僕にとってはこの上ない宝物。

 

それはバンドを組もうと思わなかったら手に入らなかったもので、そういう意味で考えると感謝だなぁと思う。

 

バンドを組んでなかったら、音楽業界がどうなってるのかなんて理解できなかったし、そういう経験ができたことにも感謝。

 

音楽を作ることの楽しさに気づけたのもバンド活動があったからこそ。

 

バンドを始めた初期の頃、(たぶんその当時の事務所との関わりで)Rolandの方からパソコンで曲作りができる機材をもらった。

 

それが転機だった。

 

それまでMTRという、シンプルな機材を使ってやったことはあったけど、それはそれで楽しかった。自分で演奏した音に音を重ねることができるだけでもじゅうぶん楽しめた。

でもパソコンでの曲作りはレベルが違った。

めちゃくちゃ衝撃を受けた。

 

録音した音が波形で表示されてるではないか。

その波形をいろんなところに貼り付けたり、部分的にカットすることもできる。

 

なんて面白い。

MTRだったらそんなことはできなかった。

 

ピアノとかストリングスとかドラムとか、いろんな音色を入れることもできる。

 

できることの幅が無限に近いぐらい広がった。

 

当時はまだそういうツールを使ってる人は少なかったけど、今は誰でも使うことができて、ボカロPなんて職業もあるほど。

 

今や音楽家にとっては欠かせないツールを出始めた時に触れることができたのはバンド活動があったからこそ。

 

それが今でも朝起きたらまずパソコンで開いてっていう、ルーティンになってる。

 

バンドがなかったら今の音楽浸りの生活はなかったんだろうなぁ、と思うと感謝しかない。

 

たぶん人生ってそんなもんなんじゃないかなーと思う。

 

ムダだと思えばムダになるし。

 

ムダじゃない部分は何かなかったんだろうか?って探すことが大事なんだ、と。

 

それがムダかどうかは他人が決めることじゃなくて自分で決めること。

 

自分の中であれはムダじゃなかった、と思えればそれが正解で、前を向ける。

 

ムダじゃなかったっていう基準はそこに感謝の気持ちが生まれるかどうかなんじゃないかな。

 

今があるのはあれがあったおかげだ

 

って。

 

何事もそう思える人間でありたい。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

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