孤独死する人の特徴と末路:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『孤独死』。

 

孤独死──────。

 

誰にも看取られることなく、自宅でひとりで息を引き取って、その死が長期間発見されない状態を孤独死というそうで。

 

遺品整理士という仕事をしてる方はよく孤独死と対面するらしく、壮絶なんだそう。

スカパーで「ダラケ!」という番組があって、いろんな世界のスペシャリストたちが3人ぐらい出演して、仕事上のコアな話をするというとても面白い番組があった。

その番組で遺品整理士の人たちがその仕事の壮絶っぷりを話してるのをみた。

 

孤独死をする人は身寄りがないとか、友達がいないとか、天涯孤独。

 

だから孤独死なんだけど。

 

その様子はモザイクをかけられるほどに生々しくて、遺体の皮膚が溶けて床のかなり深いところまで染み込んでしまってたりする。

 

あと、基本的に部屋の中はグチャグチャで、残飯が放置されてるのは当たり前で、カップラーメンの汁やら麺やらが残ったまま置いてあったり、空いたペットボトルに用を足して、それが何本も放置されてたり、映像をみるだけでえずいてしまうようなものばかり。

 

その場にいたら匂いもあるので間違いなくリバースしてるだろうなと、容易に想像がつくような、モザイクがかかってても何かしらが伝わってくる強烈なものだった。

 

孤独死のツラいところは、死んだ後にいろんな人が大変な思いをしてること。

 

異臭を放つことが発見の手がかりになることが多くて、その時にはすでに遺体の皮膚が溶けてドロドロの液体になってたりする。

 

その液体は床のはるか深くにまで侵食して、後始末が大変な作業になる。

 

その遺体を部屋から運び出すのは警察の仕事。

ドロドロに溶けた遺体を外に出す作業は何人がかりにもなる。

 

運び出した後は遺品整理士のお仕事。

 

遺品整理士の人は仕事とはいえ、その侵食した床を掃除したりするのは壮絶で頭が下がる。

 

何よりも迷惑なのは家主さんだ。

 

自分の持ち家でそんなことがあったとなれば、その後の運営にものすごい支障が出る。

いわば事故物件として扱わないといけなくなる。

 

人が孤独死した家に住みたいと思う人は家賃を下げたとしても、そうそういないだろうから、ヘタすりゃその物件全体の風評被害につながって、住人が全員居なくなるってこともありうる。

 

その死後の凄惨な様子とかはこの番組をみなかったらまぁ知ることはなかっただろう世界。

 

孤独死。彼らはなぜそんなことになってしまったのか、に目が向いた。

 

誰にも発見されないってことは、誰にも気にもかけてもらってないってこと。

 

誰からも連絡を受けることなく、誰にも連絡することもなく、ただただひとりで孤独な生活を送ってた。

近所づきあいがあればちょっとは気にかけてもらったりもするんだろうけど、それもないから異臭を放つまで気づいてもらえない。

 

てことは、よほど性格に難があったのか。

それとも人間を誰も信じれなくなって、接触を避けてたのか。

 

それはもはや本人か、その人と関わりのある人にしかわからないこと。

 

そんな中、僕の叔父さんが孤独死した。

 

もうずいぶん前の話。

 

叔父さんは小さい頃によく一緒に遊んでた従兄弟の父親で、しょっちゅう顔を合わせていた。

 

大人になるにつれて従兄弟と会う機会も少なくなっていって、何をしてるかとかも全然わからなくなった。

 

たまに親から「〇〇結婚したで」とか「こどもが生まれたで」とかを聞いたぐらい。

 

その中には「〇〇の家は離婚した」というのもあった。

 

小さい頃は全然そんなふうにはみえなかった。

でもそんな簡単にみせるようなもんでもないよな、とも思いつつ。

大人になってから「そういえばそんなに雰囲気は良くなかったかもなー」なんて思い返したりしてた。

 

そんな中、10年以上ぶりに会った時にその叔父さんが孤独死したことを聞いた。

 

その叔父さんは家ではとんでもねー人だったらしく、

 

「死んでまで迷惑かけんといてほしいわ」

 

と従兄弟が言っていたのが僕の心に深く突き刺さった。

 

離婚したのはもうずいぶん前の話。

 

それなのに、元妻・叔母さんのところに連絡がいくってことは、よほどまわりとの接触を遮断していたということなのか。

 

従兄弟にあんまり根掘り葉掘り聞くのもイヤだったので、そこらへんの詳しい事情はよくわからないけど、確実に言えることは叔父さんは奥さんとこどもたちにめちゃくちゃ嫌われてたこと。

 

小さい頃、よく泊まりにも行ってたけど、その時はそんな様子は感じ取れなかった。

 

後になって思うことは、確かに偉そうな雰囲気はあったかなーと思うぐらい。

 

従兄弟である僕が遊びに来てる時ですらそうだったから、普段はもっと酷かったんだ、と容易に想像がつく。

 

早々に離婚してもう何年も会ってないのに元妻というだけで連絡がいく。

 

そしてその連絡がいった先ではとんでもねーぐらい罵られてる。

 

孤独死の悲惨な状況と、関わった人たちの話を聞いて、こうはなりたくないな、という教訓を得た。

 

人が離れていくから最終的に誰も気をとめなくなる。

 

死んでたとしても知ったこっちゃない、と薄い関係のある僕がそういう感想を抱く。

 

そして残された人たちがとんでもねー迷惑を被る。

 

人間こうなったら終わりだな。

 

ワンピースのチョッパーの育ての親・ドクターヒルルクが放った名言。

「人はいつ死ぬと思う?忘れられた時さ」

孤独死するような人はカラダは生きてるのに存在を忘れられてしまってるから「死んでる」も同然。

そうはなりたくないな。

 

ご清聴ありがとうございました。

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