おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『こどもは大人が思うよりもはるかに大人のことを見ている』。
大人はこどもをナメている。
…人が多い。
全国津々浦々回って確かめたわけじゃないのでただの肌感ではあるけれど。
今まで出会った大人たちの中にそういう人の方が多かった。
そしてそういう人はだいたいこどもにもナメられていて、こどもはそれを決して表に出さない。
残念ながらこどもたちのが優秀だな、と思うことが多かった。
大人とこども両方が混在する学校以外の組織に長年在籍してたらそんな感じだった。
その組織は少年野球チーム。
少年野球チームは大人とこどもが絶妙に絡み合ってて、リアルな関係性を生でみれるから面白い。
そしてだいたい野球好き、もしくは野球経験者の親が指導者になるのでいろんな親子の関係性もみれるから面白い。
野球好きでなくても、チームの一員になるとどんどんのめり込んでいく様子も面白かった。
僕も合計すると10年以上少年野球チームに所属して指導者として携わった。
野球経験皆無だけど、審判員とかもやったりしてわりと野球に詳しくなった。
だからこそフラットに、冷静にみれる部分はあった。
僕はバスケ経験者なんだけど、たぶんこれがバスケのチームだったとしたら、もっと熱血になってたかもしれない。
事実、野球経験者の親たちは我が子に対してすごい熱血指導していて、こどもたちはその熱血ぶりに若干引き気味だったりする。
そんな理由でフラットにみれていたのと、元々の性格がのんびりしてるのもあって、こどもたちとはわりと仲良しこよしできてた。
しょーもないことでもなんでも話してくれるので、そこで大人たちに対する気持ちとかも聞いてたら、すごく大人たちのことをちゃんとみていて、的確に分析してた。
あの人はちょっと勝ったからって天狗になってる、おまえのおかげとか厚かましいねん、とか。
こわっ。笑
僕もそんなふうに思われてるのかもしれないなーと思ったら背筋が凍った。
でもそれを言ってくれるってことはそれを僕が大人だけど本人に告げ口しないっていう安心感があるからで、たぶん僕のことは信頼してくれてるんだろな、と。
同類とみられてただけかもしれないけど。
こどもってみてないようでちゃんと人間をみていて、こどもをナメてくるような大人に対しては、すごく警戒する。
どんな年齢でも。
3歳ぐらいの小さい子でも同じく、めちゃくちゃ人間をみてる。
僕が所属してたチームは基本的に親がめちゃくちゃ関わるチームだったので、お父さんがコーチをしてて、その脇でお母さんがその様子を見守っていた。
そうすると家がガラ空きになるので、まだ小さい子がいる家庭はその子をグランドに連れてきて、同じようにして連れてこられた小さい子たちと一緒に遊んでる、っていう光景がよくみられた。
こどもをナメてるような大人がその小さい子に絡んでいくとギャン泣きするし、その人が近づくだけでも空気がガラッと変わる。
普段そんなに絡むことは少ないのに、その人のことをちゃんとわかってる。
やっぱりよくみてるんだなー、というのがよくわかる。
だけど。
本来はこどもたちがそんなふうに警戒しないといけないことの方が危ういのでは?と思ってしまう今日この頃。
その当時は僕は責任者でもなんでもない、ただの「いち親コーチ」だったから、誰かが作った空間の中にコッソリ忍び込んだ感じだった。
グランドの責任者といえば監督。
監督は全然人気がなく、こどもたちはおろか、大人たちにも散々な言われようだった。
とにかく褒めないし、人を人と思ってるのかしら?ってぐらい情がない。
コーチ会議とかで「私は嫌われにいきます」とは言ってたけど、そういう考え方だとチームはまとまらない。
嫌われにいくってことは、こどもたちに警戒されても仕方ないっていうのと同義。
それだとこどもたちは本音で話すことはなく、監督の気に入るような言動や行動をするようになる。
試合に出たいっていう気持ちがあるからだ。
事実、こどもたちは監督の顔色ばかりうかがって萎縮してしまって、それがミスに繋がるなんてことは日常茶飯事だった。
勝負は時の運もあるので、そんな状態でも勝つことはある。
だけどそれで勝ったとしても、それが将来につながるかというとそうでもない。
中学になってそのまま野球を続けた子は全体の半分以下だった。
続けた子は親が絶対やらせるとかそういう理由もあったから、少年野球の目的とはかなり逸脱してしまっている。
チームがそんな状態だと監督とこどもたちの間で普通の話すらまともにできなくなる。
なので。
監督がいるのといないのでは空気が全然違ってて、いないとみるや、こどもたちはすごく楽しそうにのびのび練習をし始める。
こんな顔もできるんだー、と。
ホントはそういうのびのびできる環境で練習した方が効率は圧倒的に高くなる。
監督がいるのといないのとでは、パフォーマンスも全然違ってて、監督いる時にそれやれよ!wっていうのがしょっちゅうあって面白かった。
ダメだなーと思ったのは、大人がこどもに対して変に取り繕ったりすること。
大人大人だ、みたいな空気を出して変にかっこつけてる感じがしてこどもと対等な目線で向き合ってない。
そしてそういう大人はこどもたちから距離をとられてしまう。
それがすべてにつながっていく。
そんな経験を虎吉で最大限生かそうとした。
ずっと見られてる意識を持って、それでも自分を貫こうと。
そしてこどもたちとは対等な目線でヒザを突き合わせて向き合う。
ダメなところはダメなまんまでいい。
失敗したら失敗した姿もちゃんとみせる。
変に隠そうとしないでありのままをさらけ出してちゃんとひとりの人間だということを見てもらおうと思った。
おかげ(?)で、虎吉ではこどもたちはすごくのびのびしてくれてる。
のびのびっていうかもう、ダラダラしてる。
でもダラダラしてはいても、見るとこはちゃんと見てる。
他に大人がいないときに僕に「あの人ってさぁー」みたいな話をしてくることがある。
大人である僕は常にその意識を持っておかないといけない。
こどもたちは大人が思うよりもはるかに大人のことをよく見てる。
虎吉でこどもと関わる機会が多くなった今、世の中全体が見えるようになったと思う。
こどもたちが大人をよく見てるのはいつの時代も変わらないものなんだと思うけど、僕らの時代よりもはるかにそんな子が多い気がする。
ご清聴ありがとうございました。
コメント