小学生・中学生の義務教育をもっと実用的なものにすればいいのに:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは『小学生・中学生の義務教育は要らない』。

 

基本的に義務教育は要らないというのが僕の持論なんだけども。

 

学校なんていらないんじゃないか問題

 

なんでそんなに義務教育に対して拒否反応が起こるのかを考えてみたところ。

 

今の義務教育でやってる内容があまりにも時代遅れすぎるからだなーと。

仮に義務教育の内容が今の時代に合っていたとしたら、考えは変わるかもしれない…って思った。

 

そもそも何のための義務教育?

 

義務教育は全国民が平等に教育を受けれるように、っていう憲法で定められてる制度。

 

小学校と中学校は授業料は無償という、表面的には素晴らしい制度。

実際問題、親からすれば朝から夕方近くまでこどもを預かってくれるし、お昼には給食もあることを考えると、非常にありがたい制度ではある。

 

他にも友達を作ることで社会性を学んだり人間関係の大切さを学んだりできるところは素晴らしい。

 

学力を上げて、いい高校に入っていい大学に入る。

そしていい企業に入って高い給料をもらって人生安泰。

 

みたいな流れが昔は一般的だった。

 

そのための義務教育だ。

戦国時代とか江戸時代には学を学ぶことが武士としてだったのが義務教育のそもそもの始まり。

武士は今でいう国会議員とか県会議員みたいなもの。

要は政治家さん。

つまり義務教育は政治家を育てるため、政府の狗を作るためのシステムといっても過言じゃない。

 

義務教育は要らない

 

表面的には素晴らしくみえる一方で、しょせんたまたま同じ年に生まれて、たまたま同じ地域にいたこどもたちの寄せ集めなので、気が合う合わないっていう問題が生まれる。

 

たまたま気が合えばそれはそれで素晴らしいけど、問題は気が合わない時。

 

中には誰とも気が合わず、学校に居場所がないっていう子が少なからずいる。

それが理由で学校には行きたくないっていう子もいる。

それでもこどもは学校には行かないといけない。

それでも親は学校に行きなさいと言わなければならい。

 

それが親の「義務」だから。

 

気が合わないだけですめばいいけど、中にはイジメにあう子だっている。

 

イジメられた子を擁護すると自分もそういう目に合わされるのでは、と、まわりの子は見て見ぬふりをする。

 

なのでクラスで浮いた存在になる。

 

そうなると先生もヘタに手出しできない。

 

先生には相談できず、友達もムリ。

親には心配をかけまいと、もはや誰にも相談ができなくなる。

それならまだマシで、「義務」だからと無理やり学校に行かせられて、またイジメが加速していく。

最悪の場合、精神的に追い詰められて自ら命を絶つ。

 

そんなケースが日本ではたくさんある。

 

親も子も「義務教育」だから学校に行かなければ!というみえない圧がかかってて、大切なものを見失う。

 

特に親は我が子がイジメにあってるなんて夢にも思わないし、国から課せられた「義務」を果たそうと躍起になってるから、なおのこと大切なものがみえなくなる。

 

こどもも親のそういうみえない圧をかけられてホントの事を言えなかったりする。

 

義務教育はこどもと親が真剣に向き合えなくなる、すごく残酷なシステムでもある。

 

人間には闘争本能があって、弱い者はさらに弱い者を攻撃しようとするから、イジメはなくそうとしたってなくなることはない。

 

気が合わない弱い相手に対しては徒党を組んで「ちょっと遊んでやろう」ぐらいの感覚で始まって、徐々にエスカレートしていく。

 

イジメは取り返しのつかない心の傷を負うことにもなりかねないし、ヘタしたら命を奪われる。

 

心の傷はまだ治る可能性が残っているものの、命を失ってしまったら二度と戻らない。

 

僕が義務教育なんて要らないって言ってる理由はココ。

 

7割ぐらいはイジメ問題とか自殺者が多いっていうことが占めてる。

 

文科省の調査データをみると自殺者の数は年々少しずつ増えてるし、その理由のほとんどが義務教育絡みのもの。

 

でーた

 

しかもこれはあくまでも文科省の調査に基づいたデータなので、実際にはもっと多いかもしれない。

 

残りの3割は義務教育で学んだことが社会に出た時にほとんど役に立たない。

 

本日の本題はこっち。笑

 

実用的な義務教育

 

高校卒業してから社会人を20年ぐらいやってるけど義務教育で学んだことで役に立ってるのは算数の計算と漢字ぐらい。

 

他で役に立ったなーと思えるのは中学で習った方程式ぐらい。

 

Xを使った式で答えを求めるのはやっててよかった〜と思うけど、それもゆーてそこまで頻繁に使うこともない。

 

歴史とか理科とかは義務教育が終わって社会人になってから自分で学んだことがほとんど。

 

他はほぼ役に立たない。

 

役に立つのは受験の時ぐらい。

 

むしろ高校とか大学の受験のために義務教育を受けてるようなもので、社会に出たらその知識はホントに役に立たない。

 

どんな生き方をするかによってもそれは変わると思うんだけども。

 

なんでもっと実用的なことを教育しないんだろう。

 

「実用的」ってのも人によって形が変わる。

 

ある人はパティシエになりたいかもしれないし、ある人はプロ野球選手になりたいかもしれないし、ある人はやりたいことがまだ見つかってないかもしれない。

 

それぞれの個性にあわせてじゃあそのためにはこういうことを学ばないといけないね、っていう教育の方が絶対にいいと思うんだけど。

 

教える人不足になるのは間違いないけど。

 

でもそもそも現状教師ひとりに対して30人ぐらいのこどもたちっていう時点でもう破綻してるよね。

 

虎吉の若女将・あゆみ氏は中学校3年間の義務教育期間を病院で過ごして、中学校には行ってない。あゆみ氏は自分たちで作った作品をどうやったら売れるかを大人の手を借りずに自分たちで考えて、実際に売上を作ってその売上のお金を遠足のお小遣いにしていたんだと言っていた。

 

そういうのをこそ学校で学ぶべきだと思う。

 

その当時はできることは限られてたかもしれないけど、今はいろんな方法がある。

 

たとえばクラス全員YouTubeチャンネルを作ってそれぞれ動画を作らせてみるとか。

 

ちゃんと親に許可をもらって。

 

それで誰かひとりでも伸びればその子には広告収入が入る。

 

それは自分で稼いだお金だ。

 

そのお金は親にちゃんと報告して使い道はその家庭に委ねるとか。

 

みたいなことを授業の一環でやれば素晴らしい社会勉強になる。

 

どうみせれば視聴者が喜んでくれるんだろう、とか、どういう視聴者にみせれば伸びるんだろう、とかいろんなことを考えることがビジネスでいうところのマーケティングにつながる。

 

動画を作ることや投稿することはスマホがあれば無料でできる。

 

動画を作ることが得意な子もいれば苦手な子もいる。

そういう子は何か違う方法を探せばいい。

文章を書くのが得意な子はブログを書くのもいい。

 

今の時代は小学生でも個人で稼ごうと思えば稼げる時代だ。

やりようによっては誰もがその可能性を秘めてる。

 

その現実を社会人になってから知るよりも、こどもの時から知っておいた方がいい。

 

ちゃんとやる子もいればやらない子も出てくるけど、その差は「お金」という結果に出てくるのでテストの点数よりもはるかに現実的。

なのでテスト目的よりもはるかにやる気を起こしやすい気がする。

 

こればっかりはやってみないとわからないけど、少なくとも今の義務教育よりはよっぽど役に立つと思うけどなぁ。

 

ご清聴ありがとうございました。

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