精神的な成長に絶対必要なもの:こども食堂店主のひとりごと

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

本日のテーマは「精神的な成長に絶対必要なもの」。

 

人間は年月が経てば体は勝手に成長する。

そしてそれは誰がみても「大きくなったなぁ…」とわかるもの。

 

パッとみ、背が高ければ大人にみえるし背が低ければまだまだお子ちゃまね、といった感じに。

 

ランドセルを背負ってなかったら小学生だと分からないぐらいの子もたくさんいる。

 

でもしゃべってみたらやっぱり小学生で、精神的な未熟さがうかがえる。

 

そういうのは外見からだけではわからない。

 

そしてそれは歳を重ねた大人でも同じことが言える。

 

外見からはどうみてもオッサンなのにやってることとか言ってることが小学生かよって人もたくさんいらっしゃる。

 

精神的に成長してない人が一定数いらっしゃるこの世の中。

 

なんでそんなことが起こるんだろうかとか、わりとそんなことばっかり考えて生きてきたけど全然答えが出なかった。

 

でもようやくあーこれかなっていうのがでてきた。

 

心の拠り所があるかどうかで精神的な成長の速度がだいぶ変わるんだなーと。

 

人の心はとても脆くて傷つきやすい。

 

傷がつかないようにメッキを被ったり猫かぶったりしてできるだけ自分の心をみせないようにする。

触れられないように攻撃的になったりもする。

 

そしてそれは傷がついたら辛くて苦しいことを知っているから。

 

同じ思いをしたくないっていう自己防衛反応だ。

 

見た目オッサンオバサンなのに中身小学生かよって思うような人はこの自己防衛反応がいつまで経っても残ってしまってる連中だ。

 

それがいいか悪いかは別で人それぞれ。

 

そのままでいいって思うのも自由だしそれで満足なら別にどうだっていい。

 

しょせんそういう人はその程度なので関わりたいとは思わないし、もったいないなーとも思う。

 

人として成長する機会を多分に失ってしまってる。

 

てゆーかそもそもそんなもの望んではいない。

 

望めば死ぬまで成長し続けることができるのが人間のいいところなのに。

精神的にオトナだなぁと思う人は自らの心をさらけ出しても傷つくことがない。

それぐらい心がたくましく育ってらっしゃる。

 

もしくは傷はついてるけどすぐに自己修復できる特殊能力が備わってるのかもしれない。

僕の場合はたぶん後者のような気がする。

 

そしてそんな人はいろんなことを乗り越えてきてるので、自分以外のものにめちゃくちゃ優しい。

 

そんな人ばっかりだったら世の中すごく平和で楽しすぎるのになぁと思う。

 

でも現実は決してそうじゃない。

 

そうなってしまってる原因はその人本人の考え方もある。

でも。

そもそもなんで「精神的に成長できない人」がそういう考え方になってしまったのかっていうと、日本という国の教育システムが大半を占めてるってのもある気がする。

 

まぁそれはそれで長くなるのでちょっと置いといて。

 

そしてそんな人ばっかりでもなく、人として成長し続けてる人もいる。

 

そんな人たちの共通ポイントは心の拠り所があるかどうかなんだと思う。

 

心の拠り所っていうのもすごく抽象的なんだけど、僕の解釈としては自分の心の内をさらけ出せる場所。

 

もしくは人。

 

心をさらけ出すっていうのもこれまたすごい抽象的なんだけども。

 

要は自分の心の深いところにある想いとか考えてることとか感じてることとかを外に出せるか否か。

そしてそれを受け止めてくれる人、場所があるかどうか。

 

僕自身は「心の拠り所」がなかったからずいぶん成長が遅れた。

 

今まで生きてきていろんな経験を積んで、はたからいろんな人をみて、頭ではわかってるつもりだったものの、自分自身のこととなると全然わからなくて迷い続けておよそ40年。

 

ようやく自分の中の歯車が動き出した。

 

なぜにこんなにも時間がかかってしまったのかというと。

 

僕には自分の心の深いところをさらけ出せる人が身近にいなかったってのがひとつ。

 

普通はたぶん家族とか友達とか恋人とかいろんな人にさらけ出せるんだと思うんだけど、僕は幼少期の頃、近所に住んでいた「かーくん」というひとつ年上の男の子を最後に誰ひとりとして自分の心の深いところをさらけ出せていない。

 

その原因は転校を繰り返すことで心を閉ざしてしまったから。

 

そもそも心がすごくおデリケートな僕はちょっとしたことをすごく気にして傷ついたりしてしまうタイプで、かなり被害妄想でメンヘラな人間だった。

 

その背景には8歳〜9歳ぐらいまで毎日欠かさずおねしょをしていたことがある。

毎日おねしょをする、というのはなかなか精神的にハードなものである。

 

なんせ毎日母親or父親に怒られるのだから。

 

僕だってやりたくてやったんじゃない。笑

 

おねしょなんかしたくないっていちばん思ってるのは他でもない僕自身だ。

 

でも自分ではどうにもこうにもコントロールすることができない。

 

かといって、オムツをして寝るなんて恥ずかしくてできないし、毎日毎日混乱の朝を迎えることに恐怖を覚えてた。

 

そしてそんなことは誰にも言えない。

 

誰かに知られたら恥ずかしくて学校なんか行けない。

 

そんな恐怖とも毎日戦ってた。

 

それが8歳〜9歳まで続いてたので、たぶんその時点で心なんかとっくに閉ざしてしまってたんだと思う。

 

誰にも自分の心なんかさらけ出せない。

 

それは幼なじみであるかーくんにすら言えていない。

なので結局のところ、僕は物心ついた時からずっと何かと戦っていて、心の拠り所なんかなかったんだということになる。

 

長すぎる迷路を抜け出せたのが40歳を過ぎてから。

 

ようやく自分の心をさらけ出せる人に出会って自分の中の歯車が動き出した。

 

精神的な成長が始まった感じ。

 

そうなると、爆速でぎゅるんぎゅるん伸びていって、人生何周目?ってよく言われるほどに成長した。

 

心の拠り所と言ったけど、たぶんそれはあんまり適切な表現ではない気がする。

 

自分の心を刀に例えるなら、鞘が心の拠り所的な感じなんだと思う。

 

刀だけだと危なっかしくていろんな人を傷つけてしまうし危なっかしくて持ち運びができない。

でも鞘に収めれば誰も傷つけることはないし持ち運びも自由自在だ。

 

そしてその刀は人によっていろんな形をしてる。

 

ピッタリ収まる鞘がないと隙間ができたり入り切らなかったりする。

 

隙間があると何か物足りない。

 

入り切らないとその部分でいろんなものを傷つけてしまう。

 

ピッタリハマれば落ち着くので、何処にでも安心して行ける。

 

たぶんそんな感じ。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

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