こども食堂店主のひとりごと:何のために生きるのか

店主のひとりごと

おはようございます。

 

こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。

 

今回のテーマは『何のために生きるのか』。

 

今この日本ではそんなことを考えたこともない人がたぶん大多数を占めてると思うんだけれども。

 

そんなこと考えなくても生きていけるから。

 

学校や仕事が終われば帰る家はある。

食事をとろうと思ったら家にすでに用意されてる人もいる。

なければコンビニ、スーパーに行けばだいたいなんでも揃ってる。

 

食事が終わればお風呂に入れる。

すぐに入れるベッドがある。

寝転びながらスマホをイジってそのまま寝落ち。

 

そしてまた朝がくる。

 

そんな生活が当たり前のように繰り返される。

 

でもそれは当たり前なのか?

 

否。

 

決して当たり前じゃない。

 

帰る家があるのも、食事がいつでもとれるのも、寝る場所が確保されてるのも、すべては日本が平和なおかげだ。中には帰る場所も食事も寝る場所も安定していない地域もある。

 

かつて日本もそんな国だった。

ほんの100年ほど前、日本は戦争の真っ只中にいた。

帰るべき場所が戦火で焼かれて跡形もなくなってるかもしれない。

今日の夕飯はもしかしたら食べれないかもしれない。

寝てる時に爆弾を落とされてそのまま何も気づかず即死してるかもしれない。

 

そんな常に死と隣り合わせの日常だった。

 

やがて戦争が終わって、生き残った人たちが歯を食いしばって今の平和な日本を築き上げた。

 

僕らはその恩恵を受けて、毎日朝を迎えれることが当たり前であるかのように生きることができている。

 

だからこそ、死が常に隣り合わせだってことを忘れてしまいがちだ。

 

もしかしたら明日事故に遭って逝ってしまうかもしれない。

さっき食べた料理になんか菌が入ってて、数時間後に食中毒で逝ってしまうかもしれない。

あした風邪をこじらせて肺炎になって逝ってしまうかもしれない。

いつ何が起こるかわからない。

 

そんな不安に怯えながら生きるのは楽しくないのかもしれない。

 

でも、だからこそその日一日をちゃんと生きようっていう意識が生まれるんじゃないかな。

 

まわりにそんな人はあんまりいないから、そんなことを真剣に考えてるとたいていバカにされる。

 

バカにするまではなくても、「あぁ〜……」みたいな感じの引き気味のリアクション。

 

そういうヤツは無視すればいい。

 

いずれ離れていって全く関係ない赤の他人になって、ビックリするぐらい老け込んでいって、不平不満ばっかり口にするようになる。

自分を磨くこともせず、自分の成長なんか興味がなく、常に自分以外の何かのせいにしてしまってる。

なんか生きる意欲がない感じ。

 

逆に、そういうことを真剣に受け止めてくれる人は大切にした方がいい。

 

なかなか希少な人だ。

 

何のために生きるのか?

 

僕自身、そういうことを考え出した時、答えはなかなかみつからなかったけど、今考えたらそれを考えることこそが生きることと真剣に向き合い始めた時だったなぁと。

 

音楽を奏でること。

絵を描くこと。

料理をすること。

 

この3つが僕の生きる上での至上の喜びではある。

 

でも音楽と絵はあくまで自己を表現するための手段。

自分の命を削って創りだした作品がいろんな人を笑顔にしたり絶句するほどの感動をしたりすると、それは至福の時間ではある。

料理は生きていくうえで必須なもの。料理をする喜びは同じく食べた人が美味しい!って言って幸せそうな顔になるとすごく幸せを感じる。

でもそれが生きる目的なのか?ってなると、自分の中ではちょっと違う気がした。

 

じゃあ何のために?

 

腑に落ちた答えは「笑って死ぬこと」。

 

よく生きた!って言いながら高らかに笑って死にたい。

そして残された人たちが「あいつ死にやがったww」とか言って宴会でも開いてくれたら最高だな。

 

ワンピースのゴールド・ロジャーが死ぬ間際に笑ったように。

橋岡克仁の!漫画大好き~【ワンピース】ゴールドロジャーの経歴|橋岡克仁

同じくワンピースのドクターヒルルクがそうしたように。

145話 受け継がれる意志 (冬島・チョッパー登場-16) - ワンピースまんがぱうち(レビュー・ネタバレ)

マンガの世界の架空の人物の死に際がすごく印象的で、僕自身もこんなふうに潔く死にたい。

そんなふうに思った。

 

マンガの影響でそんなことを考えるのはちょっと幼稚なのかもしれない。

 

でもキッカケなんてそんなもんだと思う。

 

小説の影響を受ける人だっているだろう。

映画の影響を受ける人だっているだろう。

 

なんでもいい。

 

マンガだって小説だって映画だって、作った人が何かしらの想いを込めて表現したものだ。

 

それを受け取る側がどう感じるか、は自由だ。

僕は僕なりの受け取り方をして、そういうことを考えるキッカケになった。

 

じゃあ、「笑って死ぬってどういうことなんだろう?」と。

 

それってたぶんものすごく大変なことなんだろうな、と。

 

よく生きた!って自分で自分の人生を褒め称えれることってなかなかないと思う。

 

だいたいあの時あーしとけばよかった、とか、もっとやりたい事があったのに、とか、悔やんで死んでいく人が多いように思う。

実際その立場になったことがないからよーわからんけど。

なんかそんな感じなんだろう。

 

それを心の底からよく生きた!って言えるまでに持っていくのは、それらを全部受け止めて潔く身を引かないといけない。

自分を中心に考えないといけない。

かといって自己中になってしまったらまわりに誰もいない寂しい人生になってしまう。

自己中と自分中心っていうのは似てるけど違う。

そう考えると今現時点ではまわりの人は老若男女問わず僕のことを可愛がってくれて、助けてくれる人がたくさんいる。

 

わりと自己中に生きてきたつもりなのに。

 

それはそれですごく恵まれててありがたいな、と思う。

 

でもその人たちに向かってよく生きた!って笑って言うにはまだまだ足りない。

 

自分自身がやりたいこともたくさんあるし、受けた恩恵を全然返せてない。

 

でも全部を返すことはたぶん無理だ。

そもそも全部って何だ?

 

逆の立場なら、返すとかじゃなくてオマエのやりたいように、後悔のないように生きればそれでいいよ、って言うと思うから、そうやって生きていくことにしようと思う。

 

ちゃんと天寿を全うすれば人生残りあと半分。

 

笑って死ぬ、っていう目標を達成できるように。

 

後悔のないように。

 

まわりの人たちにちゃんと胸張ってよく生きた!って笑って言えるように。

僕が死んだ時、その人たちが笑って宴会できるように。

 

一日一日をしっかり生きようと思う。

 

 

ご清聴ありがとうございました。

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