おはようございます。
こども食堂【虎吉】店主・高木のひとりごとです。
本日のテーマは『こどもは良くも悪くも親の影響を受けて育つから注意が必要』。
カエルの子はカエル🐸
そんなことわざが日本にはある。
親と子は似るものだ、という意味をまとっていて、その現象はよくある。
あまりいい意味で放たれる言葉じゃないイメージがあって、基本的にあんまり使いたくはなかったんだけど、あまりにもこどもが可哀想すぎて、このことわざを使いたくなるような出来事が虎吉で起こった。
詳細はこう。
1年前。
虎吉によく来る、とあるひとりの子「Aくん」がいた。
Aくんは虎吉をすごく気に入ってくれてて、しょっちゅう遊びに来ていた。
お手伝いをしてくれたり、自分で考えた料理を作らせてほしいと言ってきたり、すごく楽しそうに過ごしてた。
そんなある日。
インスタで投稿した動画がバズって、いろんな人の目に触れることになった。
それがAくんの通う学校の先生の目にも留まり、保護者の方々に「こども食堂虎吉には行かないでください」という謎の通達が出るという、意味不明な事態になった。
その通達により、我が子が映ってる動画を削除してくださいという保護者がポツポツ現れた。
なんでやねん。笑
だいたい来るのは初めましての人たち。
Aくんの保護者の方も同じように、初めましてなのにいきなりやってきて動画を削除してください、と直接言って来た。
その時の内容がまぁまぁ失礼極まりないもので、動画を削除してほしい理由を延々と30分ぐらい語ってらっしゃった。
その理由は「私のこどもがこんなこども食堂みたいな所に行ってるって知れたら恥ずかしい」なんだそう。
ほうほう…。
詳しく話を聞くと、「こども食堂=貧困」っていうイメージがあるから、こども食堂に我が子が通ってるなんてことが知れたら我が家が貧困だと思われてしまう、とのこと。
確かにいまだにそういうイメージを持ってる人はいる。
だけど実際問題、虎吉に貧困家庭の子が来てるのかなんてわからない。
仮に貧困だとしても、それをこどもが表立って言うことは考えにくい。
実際に何回も通ってるのは心の安らぎを求めてくる子ばかり。
ごはんを食べたり、自由にダラダラしたり、安心して羽を伸ばせる場所になってる。
僕も最初はこども食堂=貧困家庭っていうイメージは持ってたけど、実際にやってみて、そうじゃないんだな、っていう認識が生まれた。
その旨を一生懸命伝えても、一向に話を聞く気がなく、僕がしゃべってる途中で話を割って入ってくる。
今まで散々こどもが世話になっといて、初めましてでいきなり動画を削除してくれだの行かせるのは恥ずかしいだの、ハテナが全開だったけど、まぁいいや、と思ってとりあえず件の動画は削除した。
正直、めちゃくちゃ腹も立った。
だけど、今の時代の学校のアホさ加減とかいろんな情報を知れたから、それもまぁいいや、と思った。
それ以降、Aくんが虎吉に来ることはなくなった。
あれだけ楽しそうに過ごしていたのに。
あれだけ凝り固まった考えを持っている保護者の方から行かないようにキツく言われたのかもしれない。
それから数ヶ月経って、虎吉に頻繁に来てるこどもからAくんの近況を聞いた。
どうやら虎吉のことを悪く言ってるらしい。
悪く言われること自体は慣れてるから別にいい。
悲しいことだけど。
問題はAくんの心の荒みようだ。
虎吉に行きたい
っていう気持ちが当時は確かにあったんだと思う。
だけど、Aくんは保護者の言うことには逆らえないから行けなくなった。
それはAくんにとってはかなりのショックな出来事だったのかもしれない。
もしどうでもいいと思っていたなら、わざわざ悪く言うことなんてしなくてもいいハズだ。
もしかしたら今も行きたいと思ってくれてるのかもしれない。
だけど自分は行けない。
行ってる子が羨ましくてしかたない。
そのジレンマがAくんの心を荒ませてしまって、ホントは行きたいっていう気持ちが歪んだ方向に行ってしまった。
虎吉を悪く言うことでしか自分のメンタルを守れなくなってしまった、のかもしれない。
これは僕の憶測でしかないけど、もしそれが当たってたとしたら。
Aくんの保護者が自分のことしか考えない人間で、その考えをAくんに押し付けた結果、Aくんの行動の自由が奪われて、心が荒んでしまった。
カエルの子はカエル。
親が親なら子も子っていうこのことわざ。その真実は親がこどもに悪影響を及ぼしたパターンがほとんど。
Aくんは純粋に虎吉で楽しく遊んでただけだった。
少なくとも虎吉に来てる時は僕はそう感じた。
親のエゴをこどもにぶつけた結果、親と似たような感じの人間になってしまった。
いくら親子って言ったって、血が繋がってるって言ったって、脳みそは別の他人。
こどもにはこどもの考え方がある。
親が育った時代とこどもが今現在育ってる時代では環境が全然違う。
子育てに大切なのは、そういう意識をしっかり持つことだ、と改めて思い知った出来事だった。
ご清聴ありがとうございました。
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